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Fictional forest
「SavedC」

 ツカサは重い頭を起こして、彼女に向き直った。

「なんで言わなかったんだ」

 脳裏にまだ映像がまわっている。
 時計を見ると、あれから数十分も経っていた。
 気を失っていたらしい。
 でもちゃんと覚えている。
 父との話のあと、彼女に、聞きたいことがあるんだけど、と切り出した。
 彼女が黙って手を差し出して、ツカサはそれを取った。
 そこまでが、ツカサの記憶だ。
 他には――あまり言葉にすべきではない、悲劇的な景色が、無数に脳裏をおかしている。
 たぶんずっと未来のお話。
 父はこれを見たのだ。
 これを見たから、防ぐために――

「君たちは、何なの」

 クーラーの下に座っていた彼女に、ベッドから声をかける。
 彼女は振り向かずに答える。
 変わらぬちいさな声で。

「神さまって呼ばれることが多いね」

 言葉を耳にすると、記憶がひらめく。
 神さま。
 全知にたどり着ける人間がいるということ。
 どこか遠くで、彼らが導きだしたさまざまがあったこと。

「わかるよねつきくん。歴史の話。神さまって、いるだけで災いなんだよ」

 知っている。
 知識のうえでももちろん、ツカサは、たしかにこの目で見ていた。
 彼女たちがどういう存在で、なにを引き起こすか。
 わざわざあらためて教わらずとも、知っていた。

「神さまはなにもしなくても。存在が知れてしまったら、だれかが死ぬ。それに、わたしはほんものだからね。つきくんがいちばんよく知ってるよね」
「……」
「言わなかった訳じゃないよ。つきくんが気付かなかったの」

 話が大きすぎる。
 ツカサはふたたびベッドに身を沈めて、横倒しの視界で彼女の背を見た。
 小さい。ひどく痩せていて、シャツ越しに背骨の位置がわかる。
 ここにいる彼女はただの弱い女の子で、シーツに残る彼女の匂いが現実だと思う。
 けれど、それが現実であること自体、十年間の彼女の隠蔽があってこそなのか。

「……わかんねーや」

 息をついた。
 ツカサにだってふつうは信じがたい力がある。
 乱用すれば人を殺すくらい容易だろうし、知れ渡れば狙われたりするかもしれない。
 だが遠い。それがツカサの身に起きたことはないから。
 見知らぬ他者の記憶のなかには存在することだけれど。

「わかってよ。お義父さんは世界を守ってる」

 彼女の声が飛んだ。

「世界ねえ……だから父さんが正しいって言ったのか」
「あれはつきくんを止めるため。力使おうとしたでしょ」
「まあ……」
「だめだよ。つきくんは代償きついんだから」

 ちらりとみどりの目が振り向く。
 すぐにうつむいて、長い髪が彼女の顔を覆った。
 ふだんから小さいのに、なおさらかすれたような声で、なにか言っている。
 さすがに聞き取れず、ツカサはまたわずかに身を起こした。

「なに?」
「……大事にしてよ、って言ったの」
「え、なにを」
「自分を」

 彼女が立ち上がって、ツカサの隣にあらためて腰を下ろす。
 かと思えばツカサの胸のうえに頭を乗せてくる。
 軽い。
 あまりに軽い、その認識が先に来て、ひやりとする。
 彼女はこのとき16歳だ。
 身長は130前後。
 体重は30を下回るくらいだった。

「わたしはあんまりつきくんを大事にできないから」
「……なにそれ」
「大事にしてたら、気絶させたりしないよ」
「俺は別にいい」
「やめなよ。そのうち死んじゃうよ」
「死ぬもんなんだ? 松理の力」
「いまさら? 死ななかったのがまぐれなんだよ」

 彼女の表情は見えない。
 ただ普段よりかすかに温度の低い声だった。
 ツカサはゆっくりと彼女の髪を撫でる。
 何かが苦しいのだろうと思ったから。

「なに心配してんの。死なないって。俺は松理の目なんだろ」
「……」
「力、手加減してるんじゃないの。死なれたら困るから」

 彼女は答えない。

「けっこう大事にされてるつもりなんだけどな」

 答えない代わりか、彼女は静かに起き上がってツカサに顔を向けた。
 みどり。
 味気ない蛍光灯のもとでしかそれが見られないことを残念に思う。
 外で、もっときらきらとした光のもとで、彼女を見てみたかった。
 花火だって。
 本当は彼女と行きたいんだ、当然。

「つきくん」
「何」
「ごめんね」

 なにについて謝られているのか。
 ツカサはずっと後になるまで知らなかった。
 ずっと後になってから悔やんでいた。
 この日の会話のぜんぶを。

「わたしも花火、見たかった」

 その言葉で、その時、ツカサは一応の納得をしたのだ。
 行きたいだろうけど、いっしょには行けない。
 それを謝ったのだろうと。

「大丈夫、ちゃんと楽しんでくるから」

 ツカサは、そう答えた。
 彼女は笑顔になってベッドを飛び降りる。
 そうして、じゃあよろしくね、と言った。
 普段と変わらぬ、小さくて、明るい声だった。




 それから休日になって、薄笑いをする母と買い物へ行って、何事もなく、日々が過ぎた。
 父の仕事が本格化するには、手続きの問題でいくらか日数がかかる。
 そのまま、たいして変わらない日を、しばらく過ごした。
 ツカサは彼女に言われるまま、学校へ行って、友人と遊んで、帰って食事を作った。
 七月が下旬に差し掛かる頃、父が荷をまとめて家を出た。
 玄関を片手間に閉めていったスーツの後姿ばかり覚えている。
 彼女が、階段の上から父の姿を覗いて、ほほえんで手を振っていた。
 来るべき日が、目前にあった――


2019年1月20日

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