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Fictional forest
「雨、最果て、アスファルト」

 ツカサは黙りこんだ。
 ――四年前の夏。
 もっと言えば七月二十日。
 ツカサの目が色を変えたときで、
 セイの記憶の空白のはじまりだ。
 それからしばらくして、ソノにも仕事が入った。
 つまるところ、そこに真相があるのだろうとは、ソノもとうにわかっている。
 ただ、ツカサが口を割らない。
 セイも、なにも覚えていない。
 だからわからない。

「それを、早く言えよな……」

 変わらず弱々しい声でツカサがつぶやく。
 見れば、彼はかすかに笑んでいた。
 やがてそれは笑いに変わる。
 力の抜けた、ただ堪えきれないというような、息だけの笑い声が漏れた。 

「ツカサ?」
「はぁ……そうだな。よかった。それなら、もう、いいんだな」
「な、なにが?」
「鶴、だよ」

 ツカサがよろめきながら立ち上がったので、ソノは慌てて肩を支える。

「ちょっ、ツカサ、無理しないでって」
「園、肩かして。二階行くから」
「え、ええ……その身体で? いま?」
「面白いの見せてやるから」

 ソノは、しぶしぶ了承して、ツカサの腕をとった。
 ゆっくり、ゆっくりと歩いて、数分かけて階段を上る。
 ツカサはすぐに息を上げたが、休もうとはしなかった。

「俺の部屋」
「う、うん」

 木製の戸を開いて、照明を点ける。
 藍色を基調にしたこじゃれた部屋は、ほとんどソノの以前見たままだ。
 が、一ヶ所だけ。
 部屋の隅に、不釣り合いな旧い段ボール箱を見つけた。

「ちょっとさ、そこの、引き出しに折り紙入ってるから、適当に一枚だして」
「なにするの?」
「ちょっとまじない」

 ツカサはふらふらと机にすがりついて、ペンを握った。
 ソノの渡した紙の中心に、ごくちいさな文字を綴る。

【全て解除する】

 綴り終えて、ツカサはふっと息をつく。
 わずかに疲労のとれた様子で、はっきりと言った。

「さて、やるか。園、ちょっと手伝って。情報料ってことで」
「ツカサ、あの箱」
「うん。あれを処分するんだ。……自由に見ていいから」

 ふたり、箱のまわりに膝をつく。
 おおきな段ボール箱のうえには色とりどりに折り鶴が羽を伸ばしている。
 その中には、見覚えのある赤もあった。
 ソノが折ったものだ。
 ツカサはまずそれらの羽を閉じて、脇に置いた。

「開けて」
「……うん」

 促されるまま、箱の蓋を固定する紙テープを剥がす。
 箱の中身――も、すべて同じく、色とりどりの折り鶴だった。
 千羽鶴のように揃えられてはいない。
 ただみっしりと、羽を閉じた鶴が泳いでいる。
 ツカサは先ほど蓋のうえにあったものを拾い上げ、箱に放り込んだ。

「これって、なんなの」
「俺のまじない四年ぶん。こいつらの腹に書いてある」
「……ひ、開いていい?」
「いいよ。もう塵だから」

 彼の口許にはいまだに笑みがあった。
 ソノは意を決して一羽を手に取る。
 破れてしまわないよう、丁重に鶴をただ一枚の紙に戻していく。
 なぜだろう、指先が震えた。
 四年ぶん。
 ここがツカサの深層だ。
 この箱はきっと、数字よりも重い。

 開いた紙の中心。
 ちいさな文字が踊っていた。

 ソノは無言で次の一羽に手を伸ばす。
 折り目のひとつひとつに、その時々の彼の心境を思う。
 違いは折り目の粗さと色だけだ。
 ぜんぶ同じだった。
 言葉は、同じだった。

【忘れない】

 胸が痛む。
 事情は、知らないのに。
 ただ一枚の紙が重かった。
 ソノが触れていいものではない。
 直感が告げていた。
 よっぽど目を背けたかった。
 義務感だけを支えに、その文字を見ていた。

「ツカサ」

 声が震えた。

「なに」
「どうしてわたしに見せたの」
「君は無関係だから」
「……」
「俺の気が楽なんだ」

 ツカサはふたたび箱に紙を詰め込んで、蓋をテープで閉ざした。
 窓の外で雨が鳴っている。
 それを、彼は、うっとうしそうに聴いている。

「棄てに行くから。手伝って」
「うそ、いまから?」
「今から」
「待ってよ、本当に棄てるの!」

 ソノは思わず語尾を強めて立ち上がった。
 ツカサが訝しげに見上げる。

「なに怒ってんだよ……」
「怒るよ! 大切なっ……ものを、そんな、軽々しく」
「軽々しくって」
「軽くなくても! だってこれ、ツカサが、力を使ってまでわたしにばれないように隠してたやつでしょ……!?」
「……」
「それを急に見せて、急に棄てるって言われても……わけわかんないし……」

 言葉尻が迷ってしまった。
 怒り方がわからない。
 たしかにソノはまったくの部外者で、これは彼の問題でしかない。
 感情の上で怒りがわいたとして、ぶつけていい道理がない。
 ツカサが、ごめん、とつぶやくように言う。
 謝っただけだ。ツカサの態度は変わらない。

「説明しないのは謝る。君には言わない。何も言いたくない」
「……」
「だから、君になら見せてもよかったんだけど」
「……わかんないよ」
「うん。まあ、俺のことで怒ってくれたのは、ありがとう」

 ずっと微笑んだままで。
 彼が箱を持ち上げにかかる。
 ソノは、なにかを言いかけて、まとまらず口を閉じる。
 結局、ふたりで箱を持つ。
 無言で、一階まで運んで、ビニール袋をかけて持ち直す。
 疲労がかさむのだろう、ツカサの顔色は悪い。
 それでも、雨のなかを、近所のごみ棄て場まで歩いていった。
 冷えきって感覚のない手で箱を下ろすと、じぶんがいやに軽く感じられた。
 ツカサが塀を支えに立って息をつく。

「やっと終わった」

 終わった。
 箱の処分だけのことでは、ないのだろう。
 ソノは少しだけ黙っていた。
 が、すぐに寒さに耐えられなくなって、口を開く。

「冷えるよ。帰ろ」
「うん」
「肩かすから」
「ありがとう」
「あとお風呂かして」
「うん。悪いな付き合わせて」
「ほんとだよ」

 相変わらず、カッパの役に立たないほどの雨だ。
 冷えきってしまう前に、ふたりは道を引き返した。


2019年1月7日

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