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Fictional forest
「彼はそのむこうに」

 赤羽園は自室で唸っていた。
 手元に、小さな白無地のメモ用紙がある。
 整った筆致で綴られた一文を、ソノはじっとにらんでいる。
 『団長をお願いします』。

「お願いって、なに……」

 ソノはPCに向かっていた。
 仕事があったからだ。
 ツカサの父に関する再調査、その結果の第一次が早くも送られてきていた。
 それら情報と、実際のツカサの言動とを照合、検証する。
 仕事自体は順調だ。
 これまでのツカサの振る舞いを記録したデータベースを解析し直して。
 新たな情報を参考に、思い付くことを書き記せばいい。
 ソノにとっては簡単な仕事だ。
 だから悩んでいるのはその他のことだった。

 表計算画面の傍ら、充電コードに繋がれた携帯端末が静かだ。
 電話が来ないのだ。
 少し前、ちょっと立て込んでいるからと切れたきり。
 そのうえ、シヅキに意味深なメモを残されてしまった。
 なにかある、と踏んでもいいのだろうけれど。
 せめて少しは経緯を書いてほしかった。
 なにをお願いされたのかさえ、ソノには見当がつかない。

 外では雷が鳴り始めた。
 時計を見る。
 電話を切られてから、一時間が経過していた。

 さすがにかけ直そう。
 ソノはみたび携帯を耳にあてがう。
 しかし、出ない。
 留守電にもなっていない。
 電源が切れてもいない。
 ただ出ない。
 念のため、二回、三回とかけ直してみる。

「…………」

 いやな感じだ。
 ソノはPCをシャットダウンした。
 解いていた髪を結び直し、携帯をつかんで玄関へ向かう。

 外はひどい雷雨で、カッパがほとんど意味を為さない。
 白い息を吐きながら、ソノは自転車を飛ばした。
 水溜まりを跳ねる。
 すっかり暗い街道に、街灯が塗れた町を光らせている。
 が、たびたび、空のほうがちかっと明るくなって、どこかで爆音がする。
 顔に貼り付く前髪を片手運転で払って進む。
 向かう先はツカサの自宅だ。
 そこにいなければ、どこまででも走るつもりだった。

 道中、前方に、見知った背格好の少年を見つけた。
 ソノはブレーキを握る。
 ウミだった。
 薄着で、重そうに傘をさして歩いていた。

「湖くん!」

 彼は寒さで白くなった顔を少し下げて会釈をした。
 シャツの裾が湿って黒ずんでいる。
 そのコントラストが、やけに病的に見えてどきりとする。

「湖くんどうしたの? こんな雨なのに」
「赤羽さんこそ」
「私は――」
「団長のうちに行くんですか」

 答える間もなく言い当てられ、ソノは口を閉じる。

「……湖くんも?」
「いえ。俺は出てきたんです」
「え。……ねえ、団長、なにかあったの? 連絡つかなくて」
「……でしょうね」

 雨の中、ウミのがさついた声は聞き取りにくい。
 でしょうね。
 そう聞こえたことに自信が持てず、ソノは返答に詰まった。

「赤羽さん、行ってあげてください」

 それじゃあ。
 今度はわりあいはっきり告げて、ウミがどこかへ歩いてゆく。
 ソノは、その背をすこしだけ見送って、すぐに自転車を加速させた。

 目的の一軒家が見えてくる。
 庭付きの二階建て、名刹は湊。
 ソノは、まず玄関扉を引いた。
 とうぜん鍵がかかっているだろうと思っていたのだが、驚いたことにすんなり開く。
 念のためツカサに内緒で作った合鍵はあったのだが、使わずに済んだ。
 ソノはおずおずと家にあがる。
 リビングの電気が暗い廊下に漏れていた。

「……あ」

 開きかけた扉の隙間に姿が見えた。
 ソノは、鞄と塗れたカッパをまとめて玄関に置いて駆けた。

「ツカサ、ごめんね! 遅くなった!」

 リビングに入ってすぐ、ソファとテレビの向き合って置かれたはざま。
 そこにツカサが倒れていた。
 その肩に、たしかウミの昼間着ていた上着がかけられている。
 ――どんな状況だろう。
 とっさに見回す。
 キッチンの電気が点いている。
 行ってみると、開いたままの薬箱と水の入ったコップが放置されていた。
 電気を消しがてら、ツカサのもとに戻る。
 意識はあるようで、見馴れたみどりがソノを見上げた。

「……なんで、来た」
「連絡つかないから! 心配したよ。大丈夫?」
「……」

 ソノはひとまずツカサの上体を引っ張りあげてソファによりかからせた。
 それだけでも一苦労だ。
 彼は身体にまるで力が入らないらしい。

「話せる……? なにがあったの」
「……園」
「うん」
「身体、拭いた方がいいよ」

 かすれた声だが、なんとか話せるらしい。
 まずはそれに安堵した。
 が、言われてはじめて気づく。
 しまった。
 雨を全身にかぶってきたのだった。
 たしかにびしょ濡れの奴が自宅をうろついてはかなわないだろう。

「わっ、あ、うん、ちょっと待ってね!」

 玄関に駆け戻って、持参したハンドタオルで髪を拭う。
 上着を一枚脱ぎ去ると、その下までは水が染みていない。
 着込んできてよかった、とソノは息をつく。
 万一、透けて傷を見られたりしたらつらい。
 居ずまいを正してリビングに戻る。

「それでツカサ。どうしたの」
「別に」
「別にで薬は飲まないと思うけど?」
「……あの薬さ。副作用きついし、効かないし、粗悪品っていうか、ただの毒」
「それは開発部に伝えとく。あとで詳しくメールしてよ」

 ソノはソファには座らず、ツカサの隣に腰を下ろす。
 床はひんやりとしていた。
 もとより雨で冷えた身体には、なんの感触もない。

「そこで湖くんと会ったよ。湖くんが、行ってあげてくださいって」
「……。上着、返さないと」

 ツカサが視線だけを動かして自分にかけられた服を見る。

「湖くん、倒れたツカサを置いて出てったの……?」
「俺が勝手に倒れた。代償じゃ、ほっとくしかないだろ」
「えっ、と、知ってるの? 湖くんは、ツカサの力のこと」
「うん。それに、それだけじゃないよ」

 ツカサが細く息を吸う。
 喋るのにも体力が要る。
 そういう感じだ。

「誰より詳しいかもしれない」
「……何に?」
「全部だよ。俺のことも、君のことも、この町のことも」

 ソノは思わず携帯を開きかけた。
 情報の確認のためだ。
 福居湖は無能力者で、悪夢障害はあるがほとんど一般人だから、マークしていなかった。
 ミスをしたのだろうか、と、一瞬でその思考に至ったのだ。

「園。成のことどのくらい調べた?」
「え?」
「高橋成。俺よりは優先度、低いのか。でも少しは調べたんだろ」
「あ、うん。基本的なことなら」
「見せて」
「いいけど……絶対絶対内緒だからね。私守秘義務あるんだから」

 マークした人物は三人だ。
 湊月咲、伊田紫月、高橋成。
 挙げた順に優先度が低くなる。
 そもそもソノの担当はツカサだけで、他の周辺人物の調査は他の人員の責任だ。
 ただ、ソノがいちばん近くにいるから、気づいたことは報告するというだけで。
 余談だが、最も調査が難航しているのはシヅキについてだ。

 携帯を開き、ソノは高橋成に関するレポートを表示させた。

「読むね」
「うん」

 高橋成。ひめき市在住の13歳。性別は男。
 ひめき市立第一中学校二年二組に在籍。
 幼稚園にも保育園にも通わず、就学直後からも休みがちで、小学三年生から完全に不登校。
 健康診断は拒否しておらず、問題はないため、虐待が疑いにくい。
 両親は、フリーライターの母と、会社員の父。
 2009年9月13日現在、父は64日、母は四年帰宅していない。

「行方不明じゃなくて?」
「うん。父は毎日出勤してるし、母も仕事はしてるみたい」
「……聞いてる感じ、育児放棄だな」
「ツカサも似たようなものでしょ」
「まあ……」
「あとね、四年前の夏から、学校側とほとんど連絡がつかなくなったんだって。留守電残して、折り返しが数日後の夜中でまた留守電とか、担任が心配して会いに行ってもいないとか」
「……」
「遊ぶようになった、って考えるのが自然だけど、時期が時期でしょ? それに、成くんの記憶がないのもそれからだし」

 ソノが入手した情報はここまでだ。
 携帯を閉じて、仕舞い直す。


2019年1月6日

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