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Fictional forest
「君は、君の」

「団長」

 昼食を買いに出たツカサは呼び止める声に立ち止まった。

「俺も行きます」

 ウミがツカサの隣に並ぶ。
 うん、と答えてふたり歩いた。
 ひめき駅前公園周辺には商店が多いので、買い出しには困らない。
 とりあえずと直近のコンビニに向かいながら、相変わらず曇り続ける空に嘆息する。
 予報ではこのあと雨になる。
 また虹でも出れば楽しいのだが。

「きょう、お昼つくらなかったんですか」

 ウミが下を向いたまま口を開いた。

「そうそう。ちょっと寝坊してさ」
「やっぱり、疲れてます?」
「まあちょっと忙しくて。君こそ、大丈夫? きのう寝てないだろ」
「なんで」
「外いたじゃん。夜中に」

 ツカサが言うと、ウミはますます目を落とす。
 すぐ辿り着いたコンビニの軒先にふたり立ち止まる。
 派手な広告を何ともなく眺めて待つと、ウミが観念したようにぼそぼそと言う。

「しいちゃんに会いました。あのあと」

 言葉を床に落としながら、ウミはポケットから白い紙切れを引っ張り出した。
 受け取って、見ると、見慣れた端正な字。
 『もう眠っても大丈夫ですよ』。
 ツカサはじっとその短い文字列を見つめる。
 たしかな驚きをもって。

「ウミ。……その話」
「いいですけど」

 ウミはすぐにツカサの手からメモを取り返して、そそくさと自動ドアをくぐる。
 ツカサも続いて、弁当の並ぶコーナーを物色する。

「団長は、メモの意味、わかるんですか」
「あんまり」
「あんまり……ですか」

 それぞれ、適当な食品を手にレジへ向かう。

「……しいちゃん、なんで俺なんかのために団長のもとを離れたんだろう」

 小さくつぶやいて、ウミはツカサより先に会計を済ませ、出口へ向かった。
 ツカサは彼の背を尻目に、店員と少しのやり取りをして品物を受け取る。
 店内には近郊の大学の宣伝文句を歌う芸能人の声が流れている。
 やりにくいな、と苦笑して、自動ドアをくぐった。
 そこで待っていたウミが歩き出す。
 足取りはどこか弱々しく見えた。
 そっちこそ疲れているじゃないか、と思う。

「しいちゃん、団長を守ってるんだと思ってました。赤羽さんから」
「……ウミ、君どこまで知って」
「なにも知りませんけど。見てるだけですよ」

 なげやりな声だった。むしろ自嘲的な。
 本当に、彼の言うことは正しいのだろうか。
 疑いは生じたが、いくら考えても、確かに彼と『こちら側』の接点は思い付かない。
 本当に、ただ自分達を見ていただけでそこまで――
 だとしたら見上げた観察眼だが。

「赤羽さんと、なんかあったんでしょ。赤羽さんは、なんか、機嫌良さそうですけど、団長、疲れきってるじゃないですか。あまりいいことがあったようには見えないです」
「……」
「しいちゃん、そういうことが起きないようにしてたんじゃないですか。なんでこんな時にいなくなるんだろう」

 シヅキがソノの家に通っていたことを思う。
 考えたことはあった。
 わざわざ二日に一度にする意味があるのか。
 ソノの都合が悪いのかもしれないが。
 それにしたって子供が一年の半分を野外テントで過ごすのはふつうでない。
 うちに来てもいいとは言ったが、即断で首を振られた。
 隠している何かが明確にあるはずだ。
 が、せいぜい、ツカサが考えていたのはそこまでだ。
 シヅキの目的が自分にあるとは、思い付きもしなかった。
 彼にはそう見えるのか。

「なんでそう思うの」
「どれですか」
「紫月が俺を守ってるって」
「だってそうでしょ。ずっと赤羽さんをセーブしてたのしいちゃんだし……」
「園のことはいつ気づいた?」
「そんなの、最初からです」

 先を行く小さな背は答えながらも振り返らない。
 湿り気を含んだ風がその背を押して歩かせる。
 公園の入り口にはあっという間に着いて、道行く人の反対側、みどりの濃い方へ向かう。
 毎日、当たり前のようにこの道を歩く彼が、ひとり黙って、なにを考えていたのか。
 ツカサはじわじわと不安をおぼえだした。
 問いを、口にしようと息を吸う。
 同時、言葉が耳をつく。

「高橋ですよ。あいつが来たから、全部」

 寒さに震えがちの声が風に舞って消えた。

「団長、あいつの記憶、探すことにしたのはなんでですか」
「……なんでって」
「こうなるってわかってたんじゃないですか。あいつを受け入れたらよくないって」

 林の手前、桜並木の一角で、ウミの足が止まる。
 枯れ葉が舞って弧を描く。

「なんでみんなそうなんだ。ずっと、やってきたんじゃないんですか。みんなで、何年も、楽しくやってきたんじゃないんですか。居場所じゃなかったんですか。それよりもあいつの記憶が大切なんですか」
「ウミ、おまえ」
「あんたたちにヤバい事情があるのは俺だってわかります。俺が手出ししちゃいけないってのもわきまえてるつもりです。でも、団長、俺は」

 言葉が途切れる。
 不自然な沈黙の後、ウミがふと振り向いた。
 目が合わない。彼は俯きがちだから。
 それはいつものことだ。
 それがいつものことだから、問題なのだ。
 ツカサは自らの理解の遅さに苦笑する。
 そりゃあ、そうだ。
 彼にはほかに行き場がないから、こんなところでふらついていたんじゃないか。
 それに声をかけて救おうとしたのはツカサだ。
 昨今の混乱を招き入れることに決めたのも、ツカサだ。
 勝手に手を引いておいて、無責任に放り出したら、なるほど、怒るだろう。
 怒るしかないのだろう。

「ごめん」

 もとより基地はツカサが心を休めるために作った場所だ。
 休息以上の目的など無かった。
 どうせ同じ目的を持つ者どうしなら、集まったら楽しいんじゃないか。
 それだけではじまった。
 ソノやシヅキは違ったにしても、ツカサはそういうことにしていた。
 ウミもまたそのつもりだったはずだ。
 それが歪んできたから、彼は焦っている。
 このままでは行き場がなくなってしまうから――
 そんなところか。

「たぶん、基地がもとに戻るのは、難しい。できたとしても時間がかかるよ」
「……」
「それには、そのために、成のことは片付けなきゃならない」
「……それは、わかってます」
「うん」

 ウミが顔をあげた。
 珍しく視線がかち合う。
 いつも思う。
 彼の視線は透明だ。
 ふつう、人間は、視界に映したものから情報を選別して、見たいものだけを見るだろう。
 が、彼の目は違う。
 すべてを見ているのだ。
 そう、思うだけだが。

「団長はわかってないです。俺には、もう、基地はいらないんですよ」
「……いらない?」
「しいちゃんのメモ見たでしょう。今朝は……夢を見ませんでした。だからもう、いいです。学校にも行けると思います。俺が言いたいのは、」

 『悪夢障害』。
 彼の口からはっきり聞いて、ツカサはわずかに思考に沈む。
 市政の研究内容の主軸。
 ソノがツカサを調べるに至った理由でもある。
 この町のこどもに多い。
 原因や治療法は未詳――ということになっている。
 目の前の彼がそうなら。
 無関係とは言い切れない。
 考えているうち、ウミが息を吸う。

「俺は団長をたすけたいです」

 思考が止まった。

「……え?」
「なに、心底意外みたいな顔してんですか。あんたの考えじゃ、『困ってそうだから』、『当然』でしょうよ」

 いよいよ苛立ちを隠さない口調で早口に言って、ウミはみたびくるりと背を向け歩む。
 ツカサの動きは一拍遅れた。
 距離が開いてから、思い出したようにウミの背を追う。
 いぶかしげな視線がまたちらりと振り向く。

「驚きすぎです」
「あ……? あ、ごめん」
「……団長、呆れてますか。それとも、自分が困ってるって自覚がないとか。ひとから助けられた経験がないとかですか」
「……」
「……。いいですけど。あやしいんで、基地じゃいつも通りにしてくださいよ。得意でしょ」

 寒風が言葉尻のあとを追って、踏みわける枯れ葉を宙へ放った。
 ふたりぶんのコンビニ袋ががさがさと鳴る。
 それでやっと引き戻されて、ツカサは思考を再開した。
 ゆっくりと息をする。
 前を行くちいさな背と、透明な視線を思う。
 ああ、彼は。

 ――危険だ。


2019年1月2日

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