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Fictional forest
「きみとぼくの予言書のこと」

 高橋成は半袖で出掛けたことを後悔していた。
 まだ九月中旬――まあもうすぐ下旬だが、天気予報によれば10月並みの気温、らしい。
 しかも曇で、風が強い。
 それを知ったのも出掛けた後の話である。

「成くん、家このへんなの?」

 隣を歩くソノが問うた。
 天気予報を教えてくれたのもソノだ。
 朝、出掛けがけに道端で鉢合わせたのだった。
 さすがというべきか、ソノは普段より分厚い上着に身を包んでいる。
 さらに言えば、強いピンク色の自転車を押していた。
 聞けば、毎日公園の駐輪場に自転車を置いてから基地に行くらしい。

「はい、えっと、コンビニの上の」
「あー、マンション? いいねえ、便利そう」
「赤羽さんは?」
「もうちょっと先。周り家しかないから買い物めんどくさいんだよね〜」
「このへん、店少ないですよね。駅前まで行かないと」
「そうそう。成くん自転車とか使わないの?」
「持ってないんです。だからだいたい歩きで」

 何の気なしに会話を続けながら、早足で歩いた。
 お陰で、しばらくすると寒さは感じなくなる。
 駅前に近づくにつれ、住宅が鳴りを潜め、あたりに商店が増えてくる。
 早朝だからほとんどシャッター街だ。
 ひと気の少ない通りに、自転車の駆動音だけが響いていた。

「どう? この数日。なんか面白いことあった?」

 ソノがふいに問う。
 チキチキとタイヤが鳴る。
 線路沿い。
 一本、電車が轟音を立てて去っていって、それからセイは口を開いた。

「福居とは仲良くなれたと思います。あいつ、けっこう喋るんですね」
「そうなの?」ソノは素直に驚きをもって聞き返した。「珍しい」
「珍しいですか?」
「湖くんねえ。私のことはちょっと怖いみたいだから」

 駅脇の通路を通り抜ける。
 まだ続くシャッター街の終わりに、みどりの塊が見える。
 もうひとつ区画を過ぎれば、いつもの公園だ。

「それはもう大丈夫だと思いますよ」
「え?」
「赤羽さん、明るくなりましたから」

 ソノは、曇り空をものともしないセイの微笑みを、まじまじと見た。
 セイは視線を受けてかすかに首をかしげ、何も言わずに前を向いた。




 シヅキ以外の全員が基地に揃う。
 まだ穴があるにせよ、二人しかいなかった昨日と比べれば、ずいぶん賑やかだ。
 いちばん遅れてきたツカサが、挨拶を終えてシヅキの置き手紙を見る。
 ただの白い紙に書かれた文字列は簡素だ。
 『心配しないでください』。
 ツカサはひとまずシヅキについては保留すると告げた。
 セイは黙って聞き入れた。
 色々と疑問点や言いたいことはあるが、それは彼だって承知の上だろうと思ったからだ。
 少なくとも危険を見過ごしているわけでもないだろう。
 そう思える程度には、信頼がある。

 それからウミが口を割った。
 この数日間の報告のためだ。

「学校に、行きました」

 セイの記憶の手がかりを探すために、できることはやった。
 まずは学校になんらかの情報がないかどうか。
 あとは、やはりセイの自宅。
 この二ヶ所を、ふたりで調べて回った。
 手掛かりは結局ゼロに等しいが。
 昨日、セイの自宅に招かれたウミは、物の少なさにしばらく唖然としたあげく、
 ずっと、シヅキに貰った絵を見つめていた。
 ウミはぶつぶつと、しいちゃんがこれを描いた意図がわかればな、と言っていたが、
 本人がいない以上は聞くことも困難だ。
 あきらめて終わった。
 結論は、それに尽きる。

「そうか、そこまで調べてくれたか」

 ありがとう。ツカサが言って笑んだ。
 ウミはじっと聞いて、反応するでもなくうつむいていた。
 セイは動かないウミの代わりに苦笑を返す。
 不登校が学校に出向くまでして収穫なしだ。
 礼を言われても反応はしにくいのだろう。

「でも、どうする? ここまで来ちゃうと行き詰まりじゃない?」
「うん……周到だな」
「やっぱりそう思う? 消されてるよね、情報が」
「できるとしたら誰だろうな。技術がいるし、本人に相当近づけないといけないわけで……」
「うん、調べたんだけどね。それらしいのはまったく……」
「証拠を消してるってことか?」
「そうね。あるいは」
「本人」
「うん」

 ソノとツカサが神妙に顔を見合わせる。
 ブランクを感じさせない、すっかりいつも通りの息のあったやりとりだ。
 話の当事者であるセイは、わずかにいたたまれなさを感じながらも身を乗り出した。

「あの、どういうことですか」
「ああ、つまりな」

 ツカサが棚上のホワイトボードを引っ張り出してくる。
 簡易的に図を描きながら、彼は語る。

「君の記憶喪失、記憶だけじゃなくて、たぶん消えた記憶の内容にかかわるもの全部が消されてるんだよ。携帯のデータもそう。どこで何をしてたか、それに繋がる手懸かりまで徹底的に潰されてるだろ」
「はい」
「それで、じゃあ誰にそんなことができるのかって話。ひとつは、多少の技術がいるから一般人じゃないだろ、専門職についてるとかじゃないと考えにくい。あとは君の近くにいるほうがやりやすいよな。だから、家族、友人、知人で、勉強をしているか、隠れてする時間のある人に絞られる……まあ他の可能性がないとは言えないけどさ。あ、ついてきてる?」
「ええと、なんとか」
「うん、で、君の周辺人物については、引かないでほしいんだけど園がだいたい調べたみたいなんだよ。で、心当たりは無し、と。君は? お知り合いにそれっぽい人いる?」
「いえ、特には……知り合いも少ないですし」
「うん。だから、その人物もじぶんの存在が悟られないように隠れてるってことだ。もしくは」
「もしくは?」

 ツカサはそこでペンを置いてセイの顔を見た。
 机上のスタンドライトの白い光がみどりを照らしている。
 ――やはり既視感がある。
 セイはかすかな疑念をもって彼の視線を受けた。
 記憶に繋がる手がかりが本当に消されてしまったというなら。
 辿るべき糸はここにしかないのではないか。
 わずかに残った感覚くらいしか、頼りにできない状況で。
 その色は――

「君、本人だよ」

 ツカサはまっすぐな目をして言った。
 ほとんど確信めいた響きで。
 意味を理解するのに、セイは、しばらく時間をかけた。

「……え?」
「まああくまで可能性の話だけどさ。君が、じぶんにかかわるあらゆる手懸かりを消してから、なんらかの方法でじぶんの記憶を消したって線もある。四年もあったら勉強もじゅうぶんできるしね」
「……なんのために?」
「そう、そこだよな」

 ツカサはちいさく息をついて、イレイサーを手に取る。

「思い出さない方がいい、っていうことも、あるだろうね」

 描いた図を消し、ホワイトボードを棚に戻しながらツカサがつぶやく。
 セイはそこでようやく、隣に座るウミからの強い視線に気がついた。
 ちらりと振り向いて、するどい青の目と一瞬だけ視線がかち合って、過ぎた。
 そうかと思う。
 いままさに、セイがこの基地の平穏を侵しているのだ。
 責められても仕方がない。
 やっかいな話を持ち込んでしまった自覚はあった。
 
「きな臭いけどねえ、まだ調べたい?」

 問いをかけたのはソノだった。
 ただごとでは済まないけどそれでもいい? と。
 むき出しの黒ずんだ傷跡をたたえた顔で見つめられると、やけに凄みがある。
 セイは姿勢を正して向き直る。

「――はい。わかるまでは」

 隣からの視線が痛かった。
 ごめん、と念じておく。
 俺は、わからないままで、逃げてしまうのが嫌なんだ。
 きっとずっとそう。
 無知に甘んじていたくない。
 知らなくても苦しいのだから、知って苦しむほうを選びたい。


2018年12月19日

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