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Fictional forest
「Adumbration」

 もう大丈夫。
 そう言い出したのはツカサからではなくソノからだった。
 ちょうど同じ用件で口を開こうとしていたツカサは、玄関前で口を閉じる。
 夜半、帰ってきたソノは傷のない顔でへらりと笑った。

「明日からは、戻るね」

 戻る。
 家にという意味もあろうが、ここでは基地にととるのが適切だった。

「『脅し』、ちゃんと効いてたみたい。ちょっと勝手なことしたけど怒られなかった」
「うん、よかった」

 ツカサは頷いて、疲労の滲む顔を安堵に染める。
 話しながら靴を脱いだソノは赤い肩掛け鞄を足元に置いて、ふいに漁った。
 そうして小さな紙の袋をツカサの手に握らせる。
 ツカサは、黙って袋を受け取り、その場で封を開けて眺めた。
 中身は平たいプラスチックケースだ。
 透明の箱に、ざらざらと、白のカプセル錠剤が無造作に入っている。

「持っといて。ほんとうに苦しいときは使って」
「……あやしー。これ、築沢製薬の?」
「うん、まだ開発中だけど、特効薬。試作が更新されたらまた渡すね。友好の証ってことで」
「物騒な友好だな」

 息をついて、ツカサはケースをポケットに押し込みソノに背を向ける。

「夕飯できてるから」
「うん、ちょっとまって」

 ソノが小走りで洗面所へ向かったのを尻目にリビングへ戻る。
 手持ち無沙汰に携帯を開くと、数時間前の着信メールが開かれたままになっていた。
 赤羽園が築沢製薬のプロジェクトに協力するといった内容。
 おそらくほとんどリアルタイムの報告だった。
 ツカサは手際よくメールを削除して、そのままウミ宛に復帰の旨を綴り送信する。
 と、数秒後にウミから電話がかかってきた。

「はっや……」

 ぼやきながら通話ボタンを押す。
 通話口から、細かなノイズの奥で、雑踏らしき環境音が聞こえ出した。
 外にいるのか、と驚いて時計を見る。
 夜10時を過ぎて少し。

『もしもし……福居です。団長、いま大丈夫ですか?』
「うん、なに?」
『あの、しいちゃんのことなんですけど』
「ああ、いないんだろ?」
『えっ、』

 言葉が途切れた。数秒。
 街の音が流れるうち、ツカサは部屋の隅に移動して息を潜めた。
 ソノに聞かれていい話題かどうかを判断しかねたからだ。

『あの、はい。数日前から帰ってなくて。しいちゃんが秘密にしてって言ったから、ずっと連絡してなくて……ごめんなさい。でも、あの、きょう、手紙が置いてあったんです。基地の机に』
「手紙?」
『心配しないで放っておいてって。たぶん団長宛です』

 ソノがリビングダイニングに戻ってくる。
 片手を振って電話中だと示すと、彼女はこくりと頷いて先に席についた。

「そっか。わかった、そうするよ」
『いいんですか?』
「大丈夫」

 大丈夫――もとからそうするつもりだったし。
 余計なことは言わず、ただ一言を返す。
 ウミは少しの沈黙を経て、そうですか、と従順に返した。
 車の往来がノイズ越しに耳に届く。
 その音の大きさが、互いのため息を隠す。

『……団長。なんか疲れてますか?』
「え、そう?」
『気のせいならいいですけど。ただ……俺、けっこう、見てますからね。貴方達のこと』
「……」
『それだけです。もう失礼します』
「……うん、またな」

 夜歩きについては、結局、追求せずに通話を終えた。
 携帯をポケットにねじ込んで、ソノの元に戻る。
 傷を露にした彼女が、何の気なしに口を開く。

「湖くんでしょ? なんて?」

 ツカサは夕食の皿をテーブルに置きながら軽くうん、と答える。

「紫月がいないって。心配するなって言われたって」
「心配、しないの?」
「彼奴自身が大丈夫って言ったんなら、大丈夫なんじゃない」

 ぽつぽつと言って自分も席についた。
 無言で手を合わせる。

「本気で秘密を守れる奴は、だいたいのことは大丈夫だ」

 食事に手をつける前にそれだけつぶやいた。
 あとは黙って手を進める。
 しばらくしてから、ソノが聞き返す。

「経験談?」
「どうだか。でも紫月はそうだと思うよ」

 秘密を守るに必要なことは多い。
 言わないことは大前提。
 隠していることそのものを悟らせなければベスト。
 そのためには日々の振舞いのすべてに気を使う。
 あるいは生活そのものを変えなければならないことも多い。
 ――まあ経験談だが。
 それができるということは、本人にその力があるか、後ろ楯があるということで。

「だから大丈夫」
「曖昧な理由だなあ。たぶんみんな納得しないよ、それ」
「だめだったら助けるさ。命があればどうにでもできる」
「ほんと軽く言うよねえ」
「軽くても重くても、できることはやるから」

 そうだよね、とソノが苦笑を返した。

「手伝えることがあったら言って。私もできることはやる」
「そう? 有り難いな」
「それ、口だけにしないでよ」
「俺そんなに信用ないか?」
「ない」
「お互い様」

 神妙に笑い合った。
 冷凍食品が半分くらい混ざった食卓は、彩りだけはにぎやかだ。
 絵面だけの彩を囲んで、机越しに笑うくらいの距離感で、落ち着いてしまったと思う。
 これが俺たちの在り方だろうなって。
 ツカサは知れず安堵していた。
 正直言って気が気でなかったのだ。
 彼女がどこまで迫る気でいるのか。
 今だって不信は耐えないけれど、このぶんなら――命の心配はしなくてもいい、はずだ。
 はずだが。

「そういうことなら、園。ひとつ頼まれてよ」

 ツカサは静かに箸を置いて視線をあげる。
 変わらぬ黒ずんだ傷を刻んだソノと目が合う。

「何?」

 部屋に置かれた鶴のことを思った。
 箱に詰め込んだ無数の言葉のことを。
 常に思っている。

「俺が死んだら、みんなのことを頼む」

 ソノが眉を潜めた。

「死ぬの?」
「さあ。でもほら、代償は命に関わるから。なにかあればコロッと往くんだろうな、って前から思ってたんだ。今回も覚悟したよ、お陰様で生きてるけど」
「……わかった、死んだらね」

 わずかに息をついたかと思えば、ソノはあっさりと頷く。
 そのまま彼女が食事を再開したので、ツカサも倣った。
 先程より箸が少し軽いように感じる。
 きっと心の重さだ。

「死なせないから」

 ソノが付け足した。
 ツカサがありがとうとだけ返すと、それきり会話はなかった。


2018年12月14日

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