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Fictional forest
「Keepsake」

「ただいま」
「お、おかえり……」
「話はつけてきたから。少し待っててくれれば、あとはどうにかなると思う」

 かすかに疲弊のにじむ微笑を浮かべて、ツカサはそう言った。

「話って、誰と? どうにかって?」

 ツカサの行動がどういったものなのか。
 見当のつかないソノは、言いたい様々を押し込めて聞き返した。
 ツカサは、使い込まれた黒のスニーカーを脱ぎ揃えながら、うん、と答える。

「ちょっと脅してきた。築沢を」
「……えっ、と?」
「君が被虐待児なのは君が証明できる。体面を気にする社長さんだろ? 他ならない君をネタに脅せば待遇はすぐ変わると思うね」
「ちょっ、ちょっと、なにそれ! どうやって?」
「俺の親が何してるか知ってる?」

 何の気なしに洗面所へ向かいながら、ツカサが問うた。
 あまりに事も無げだ。
 ソノは驚きとあきれの入り交じった表情で閉口する。
 やっと彼のしたことに思い当たったのだった。

「……ファミリーホーム経営」
「そう。そのへんのことについては専門家なわけ。そのへんの人達と、『君を家に連れ込んだ直後の俺』が接触した。し、実際に君の話はちょっとさせてもらったよ。監視班からすぐ君の父には伝わるだろうね。どう?」
「……」
「君の選択でいいけど。家を出なくても、多少の脅しが効くようにはしたよ。家を出るんでも、行く場所はある」

 洗面所からそんな説明が聞こえてきた。

「まあ、ゆっくり決めてくれ、まだかかるし。脅すにもじわじわやらないと」

 ソノは押し黙る。
 そうトントンと事が運ぶのだろうか、という不信感があった。
 あるいは、他の事が気にかかっていたからだ。
 ツカサは決定的なことを口にしない。
 口にしないということは、それが彼にとって触れられたくはない話であるということで。
 彼が手を洗ってリビングに戻ってきたところを立ちふさがって、ソノはついに問う。

「……ツカサ」
「なに?」
「大丈夫、だった?」

 正面から彼のみどりを見つめた。
 すっかり見慣れた色が、本来は彼の色でないことを、ソノは知っている。
 そこに、何があったのか。
 未だにわからないそれを、ツカサがそれこそ死ぬ気で守っているということも。

 それをわたしは暴かなければならないのだということも。

 視線を受けたツカサが細く息をついた。

「幸いな。まわりに誰もいなかったから」
「もう痛くないの」
「だから、俺の力は対症療法なんだって。代償が来るのも、おまえが事を起こしてる間だけだ」
「……そっか」
「まあ、やるとは思ってた。だから対策しといたんだ」

 再び大きく息をついて、ツカサは三人がけのソファーに深く腰を沈めた。
 みどりの目が虚ろだった。相当の疲労を抑えていたのか。
 ソノはおそるおそる、その反対側にひとつ空白を挟んで座る。
 沈黙が訪れる。
 ソファーの対角に設置されたテレビが、黒の液晶に二人の陰気な顔を映していた。
 ソノは、うつむいて、左目を隠す。

「ツカサのおとうさんとおかあさんは、どうしてるの」

 沈黙を切り裂いた、自分の声が、自分で驚くほど単調だった。

「四年前。あなたの目の色が変わってすぐ、おとうさんは帰ってこなくなったね。おかあさんは、帰ってこないどころじゃない。消息がつかめなくなった」
「……」
「二階の開かなかった部屋、ご両親の私室でしょ? なにかあったんだよね。でもおとうさんとはまだ交流もあるんだね。驚いちゃった」

 ツカサの呼吸が浅かった。
 それがはっきりわかるほどの無音に耳が痛む。
 やがて彼の呼吸は、止まって、数十秒して、再開する。

「……俺は、知らない」

 確とした声が、ざらりとした泥を吐くように答えた。
 隣を見る。虚ろで、うつむいたままの彼がいた。
 はじめて見る姿だ。
 三年半も親友をやって来て、はじめて。
 ソノは胸のうちで達成感にうち震える。
 そうか。
 彼を揺さぶるには、ここか。

「知らないんだよ。俺を調べても意味がない」

 投げ遣りな声だった。あるいは悲痛で、むしろ無感情な。

「知らない……って、何を?」
「……っ」

 ふと、彼の体が傾いて、ソファからずり落ちた。
 咳き込む声がする。
 ツカサは、不格好にひじ掛けにすがり付いて息を吐く。

「ちょっ、ツカサ? 大丈夫っ?」

 ソノは両手でツカサの肩を支える。
 そうしなければ倒れそうな気配があった。

「痛いの? ……代償?」

 呆然とつぶやく。
 だとしたら、いったい何の『言霊』が発動しているのだろう。このタイミングで?
 力には代償がともなう。
 それは件のプロジェクトに関わる人間としては常識で、
 しかし、それが『痛み』であるケースは、比較的珍しい。
 湊月咲の持つ能力はなにもかもが異質だ。
 神のように万能で。
 暴力的な代償をともなう。

「……園、頼む、たのむから。もう、やめて」
「え……」
「この先は、調べちゃダメだ」

 大きく息をして、ツカサが頭を押さえた。
 表情は隠れて見えない。
 ただ、そのすぐ下に水滴が落ちた。

「ツカサ……泣いてる?」
「…………」

 痛みからか、食い縛られた歯の隙間からひゅうと息の漏れる音だけが聞こえた。
 まさか、と思う。
 『調べちゃダメだ』。
 誰かが真相に手を伸ばすこと、それ自体、彼が封じているのだとしたら。

「なん……で? 何を守ってるの? おかしいよ、ツカサ、こんな、苦しんでまで」
「……」
「……わたし、わたしは、やめないよ? 絶対。あなたの守ってること、知って、持って帰るまでやめない。ぜんぶ知りたい。おとうさまに胸を張りたい、逃げたりしない」

 ツカサが苦しくても。
 それでも手は引けないのだ。
 わたしにだって、理由があって。
 わたしだって苦しいから。
 情報屋は、他でもないわたしが選んだ道だ。
 投げ出すわけにはいかない。
 父なんかに邪魔させない。
 ツカサに懇願されたって揺れたりしない。
 ぜんぶがわかるまではやり遂げたい。
 やり遂げたら、きっと、認めてもらえるはずだから。
 わたしは出来の悪い娘だった。
 だった。そう、過去形で済むようにしたい。
 それが、わたしの望むすべて。

 ツカサは泣いていた。
 痛みからか、別の理由からかはわからない。
 ただ、蚊の鳴くような声で、
「俺だって楽になりたいよ」と言って。
 両の手で目を押さえた。
 ソノにはそれが、自分の目を潰そうとしているように見えて、慌てて止めにかかる。

「だめっ」両手を掴んでも抵抗された。「ツカサ!」

「……死ななきゃ。知られる前に死ななきゃいけない、俺、そうすれば」
「やめて、……団長!」
「っ」

 ツカサの手から力が抜ける。
 涙に濡れたみどりの目が露になって、また水滴が落ちる。
 輝きを増したみどりが、そのとき、あまりに綺麗に思えて、ソノは息を呑む。
 切望に胸を焼かれた。
 知りたい。
 この色が、彼にとって、何なのか――

「……団長、……言ったよね。私は基地にいたいの。みんなで。あなたがいなかったらだめだよ。みんな、あなたに救われて、彼処にいる。私もそう」
「……」
「簡単に死なないで。簡単じゃなくても死なないで。必要なの。あなたは」
「……おまえが、言う?」
「わっ、わたしは……もう死にたくないよ。お陰様で」
「助けなきゃ良かった……」

 ツカサは目元を袖で拭って、顔をあげた。
 ソノがひとまず追及をやめたからだろう、痛みは消えたようだ。
 すこしばかり安堵する。
 いつまでも泣かれては、こちらもやりにくい。
 彼の苦しみを無視することと、胸が痛まないことは同義ではないのだ。

「あなたにはできないよ」
「……」
「できないよ。目の前の人を見殺しには」
「……はは、まさか。俺はそんな人間じゃない」

 答えて、ツカサはふんわりといつもの笑顔を浮かべる。
 完璧な、普段通りの好青年を演じて、彼が口を動かす。

「今もな、見殺しには、してるんだよ」
「え……?」
「紫月がいなくなった。……なにもしないつもりだけどさ」



2018年11月12日

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