Fictional forest
「Keener」
【2009/9/14 0:14】
【通話履歴】
『仕事は終わりそうか。ずいぶん調子が良いようだが』
「……いいえ。対象――αに関しては進展が見られますが、いぜん未知数の項目が多々ございますので……」
『――』
「あの?」
『本当に、それほど未知数なのか。奴等は』
「ええ……β、γ双方もαと同様、守秘に関してエラーを用いている可能性があります。まずそちらから対処していく必要が……」
『それは、何年かかる』
「……わかりません」
「あの、何か……お急ぎですか。ご事情が?」
『ああ。そうだ』
『そろそろ、帰ってこないか』
「……え?」
『今回の話題で、そうだな、二週間以内に、成果が出せなければ。部屋を引き払ってこっちに戻れ』
「……な、にか、ご事情が?」
『ああ。時期の問題だ。もう一般には進学のころだ、これ以上ふらつくと体面はよくないだろう。対象の監視に穴が空くのは望ましくないが、ここまで何もわからないならいなくても同じだ』
「……そう、ですね……」
『二週間後に、また連絡する』
「……」
『監視外に出るなよ』
「……はい」
【2009/9/14 18:49】
【不在着信:3件】
【着信履歴を削除しますか?】
【▼はい
いいえ】
沈黙を紛らすように開いた携帯端末を、赤羽園は溜め息とともに仕舞いこんだ。
吐露が終わったのだ。
自分の立場。これまでの所業のすべて。
彼は、ただ黙って聞いていた。
「あのね。……そろそろ帰ってこいって言われちゃったんだ」
中心部に近づいてきた町は夜を明るいものにする。
四方に分断された影を引き連れて、ふたり歩く。
淡い笑みを傷のついた顔に貼り付け、ソノは一歩、ツカサの前に出た。
視線は交わらない。
街灯に群がる羽虫だけがすべてを見ている。
「仕事ができてないんだ。……ツカサのことが、なにもわからない。だから、もう、クビって言うのかな。今回のことで成果が出せなかったら、終わりなんだって……きのう、ちょっとね。怒られちゃってさあ」
ソノは顔の傷に指で触れた。
かすかにざらついた感触がある。
――安堵。
いまとなっては、傷に触れても、そればかりだ。
傷を外にさらしていても、受け入れてくれる人がいる。
それを確認できるような気がして。
「……でもさ、ツカサは、なにも言わないもん。調べたって出てくるわけないでしょ。『出てこないようにしてる』んでしょう。それだけはね、わかってる……だから、私、ああするしか、なかったんだよ」
沈黙。
白熱灯が低い音を立てている。
ソノがひたと足を止めた先で、切れかけの灯りが一瞬、途切れた。
振り返る。白熱灯に照らされたツカサの顔に目立った表情はない。
しばらく無言の応酬があった。
「……それで?」
ツカサは苦笑を交えて言って、ソノの隣に追い付いた。
「君はどうしたい?」
「……私は」
「あー、情報を出せ、はなしでね。出すほどのもんないし」
俺は一般人だから。
付け加えて、ツカサはちらちらと地面の色を変える電飾看板に目を落とす。
駅から徒歩数分の位置付け。
このあたりにはちいさな飲食店が並んでいる。
その道を行く少年がひとり、かすかに俯いたところで、この光景がありふれていることには揺るぎない。
彼の振る舞いは、普通、だった。絵に描いたように。そう思わせる力があった。
微塵の動揺もないのだ。
まさにその言動が自らの主張と剥離していることに、彼は気づいていないのだろうか。
「私は」
ソノは足を止め俯く。
左目ごと、掌で傷を覆い隠す。
そうしなければ言えないと思った。
「遠くに行きたい……」
先程までの平静が嘘のように声が震えた。
父の、目の届かないところに行きたい。
それは天国でも刑務所でもよかった。
わたしが死ぬのでも。父を殺してしまうのでも。
それでもいい。帰りたくない。
そう思って、飛んだ。
「でも、此処に居たい」
ちいさな声が雑踏の狭間に転がる。
ツカサが、背を向けたまま歩き出す。
冷えた風に吹かれた彼の癖毛が、半分だけ見えた。
ソノは立ちすくんだままでいた。
許されないかもしれない、という思いがあった。
ソノの所業は、『親友』としては、あり得ない悪行に違いないのだ。
本来、助けを求めていい立場でもない。
この居場所だって、仮初めだったのかもしれない。
わかっているつもりだ。
けれど、ソノは、此処が好きだった。
一度はすがった死を、もう思いとどまりたくなるくらい。
「まあ、わかったよ」
「――え」
「ようは君を築沢から守ればいいわけだ。とりあえず、そうだな。君に監視はついてる?」
流れるように言って、ツカサが立ちすくむソノに不思議そうに振り向いた。
光に透かしたようなみどりが、夜に沈んでいる。
「あー、あとさ、俺の生活圏、いろいろ張り付いてんだけど。ぜんぶ君んとこの人だったりする? まずはそっからか……」
「ま、待って、あの、ツカサ、いいの?」
「何が?」
「私、勝手にツカサのこと調べてたんだよっ? 許してくれるの?」
先を行くツカサに小走りで追い付いて、ソノは早口に問う。
ツカサは数回まばたきをして、ああ、と軽い声を出した。
「許すも何も。最初から知ってたしな」
「……えっ!?」
「なんとなく、俺のこと調べに来てんだろうなとは。だから……今更じゃん?」
「そ、それ調べられる心当たりがありますって宣言だよね?」
「さあ。ないよ」
「白々しい……! 私、仮にも刺客のトップバッターなんだけど。っていうか他の調査班もぜんぶ気づいて放置してるの……?」
「なんか見られてたら気づくじゃん? 探られてるなってのも、話してればわかるよ」
「……そういうことにしとくけど」
はあ、と大きく息をついて、肩から力が抜けるのを感じた。
ソノはいつのまにか視界を取り戻した左目にネオンライトを捉え歩く。
なんだ。知ってたんだ。
そりゃあそうだ。廃屋での会話は、そうじゃなきゃ成り立たなかったろう。
そうか。
安堵とも虚脱感とも取れる心地に身を任せる。
どうして知ってるの、とか、そういうことを聞くのはすべてが終わってからにしよう。
ソノは知りうる限りの現状を説いた。
現在ソノの暮らしているアパート、行きつけのコンビニ、ひめき駅前公園、ツカサの家の周辺。
それらがいま調査班の派遣されている場所だ。
他には、携帯電話、ネット回線への監視もありうるということ。
市役所はプロジェクト本部なので近づくべきではないこと。
「となると、いちばん安全なのはやっぱり基地だ。あれは砦だから」
ひめき市駅北口の埃臭い通路の端を抜けて、ツカサが小声で言った。
「場所を知らない人はたどり着けない。……知ってるだろうけど。そういうふうにしてある」
「うん。……えっ? 隠さないの?」
「え? もうばれてんだろ?」
「い、いやあ……うん……?」
「あ、正確には掴んでないって感じ? それは失礼」
駅を抜けると町は急に静まり返る。
ひっそりと数本の街灯がたたずむ線路脇。
だれもいない。近くから秋虫の声が響いている。
「『言葉による確率の操作』だ。俺の力。……内緒にしろよ?」
言い切った口調は変わらず軽くて、ソノは閉口する。
件のプロジェクトの、そもそものルーツを思う。
……現存する超能力の検証。
自宅のパソコンで、役所の事務室で、あるいは父の口から。
そんな現実離れした単語を目の当たりにしたときの、軽蔑と興奮の混じった感覚が忘れられない。
現実離れした力と、現実離れした病気。関連付けて考えられるのは必然で。
いつのまにやら調査の主軸が後者に移っていったのだという。
それだって信じがたい話だ。
が、いま、目前の彼は、もっともっと自然で。
当たり前のように、現実離れした現実を受け入れていた。
「園、しばらくうちに来る?」
「……え?」
「二番目に、安全だ。俺の隣がね。知ってるだろ? 何年も仕事にならなかった刺客のトップバッターさんなら」
微笑んで、ツカサが足を進める。
「その間になんとかしてみる。……まあ、父との折り合いは君がつけてよ。俺がやるのは、君を築沢から離してやることだけだ」
「か、簡単に言うなあ! できるの?」
「できるよ」
虫の声が、はたと止む。
電車が通る。轟音。歩む端で、風に吹かれた薄がそよぐ。
足並みを揃える。ここから先は街灯もめっきり減る住宅街だ。
ツカサの暮らす二階建ての一軒家もこの向こうにある。
彼には迷いがない。
言葉にも、足取りにも。
だから、ソノは、ずっと彼を信じている。
「あぁ、それからさ、園」
「うん」
「鶴、折れる?」
2018年11月2日
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