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Fictional forest
「フィクショナル・フォレスト」

 昼過ぎになって、一行は廃屋にたどり着いた。
 セイの案内は曖昧だったが、ソノの地理のお陰で迷うことはなかった。
 駅前から徒歩数十分。
 郊外の住宅密集地は、驚くほどの静けさに包まれている。
 家並みの合間に畑や空き地が細かく点在する一角、その建物はひっそりと佇んでいた。
 外装は、生活感こそないものの、廃屋としては小綺麗だ。
 フロアを吹き抜ける風が、ちらほらと舗装をつきぬける雑草をそよがせる。
 そう見えるなら――正常だ。
 立ち眩みに似た感覚に奥歯を噛み締める。
 ガラスのない窓の向こうは暗闇だ。
 黒。
 この町には無数に穴が空いている。

「ここかあ」

 疲弊の滲んだ声にツカサは我に返った。
 見ると、隣に立ったソノが、例によって暑そうに額の汗をぬぐっている。

「なんにもないね。この辺。郊外だし。成くん、本当にここにいたの?」
「ええ。……ここで間違いないです」
「じゃあ、とりあえず中も調べるね。みんなはどうする? 嫌なら私ひとりでもいいよ」

 にこやかに問われ、ツカサは全員の顔を見回した。
 セイはやはりどこか気が進まないらしく、困ったように半開きの玄関扉を見つめている。
 シヅキは先程から変わらず押し黙ってうつむいたままだ。
 ウミは――じっと、吹きさらしの上階をにらんでいた。

「俺は行く」

 ツカサが言って、そのまま玄関に足を向けた。
 そのすぐ後にシヅキが黙ってついてくる。

「あ、い、行きますっ」

 戸惑ったような口調で言って、ぱたぱたとセイがその後についた。

「ウミはどうする?」
「……俺は……いいです。ここで待ってますから」
「わかった。暇にしちゃってごめん。何かあったら呼んでね」

 ウミはツカサの言葉にひとつ頷いて返した。
 直後、草を踏む音がやけに大きく響いて、ソノが先陣を切る。

「よしっ。じゃあいってくるね、ウミくん」
「いってらっしゃい」

 ぼそぼそとした声を背に、軋んだ木造の扉が開かれた。
 一階は午前中の名残かまだじめじめとしていて、朝方の冷気がこもっている。
 玄関からまっすぐ伸びた廊下沿いに、いくつか部屋が分かれており、手前に赤茶けた階段が見えている。
 光は少ない。
 これが夜だったら、さながら肝試しだ。
 ソノが携帯端末で辺りを照らした。
 クモの巣以外に目に留まるものはない。

「分かれて調べよっか。私と成くんで奥の部屋行くね。二人は手前、お願いできる? なにもなかったらそれで終わりでいいから」
「了解。紫月、大丈夫?」

 この暗さで筆談は難しいが、言いたいことはないか。
 首肯を受けて、ツカサは言われた部屋の扉に手をかけた。



 一階の収穫はなし。
 強いて言えば、家具の類いは残っておらず、虫が多い。
 放置されてから一年や二年でこうはならないだろう。
 近所から苦情も出なかったのだろうか。
 ソノが言うには、悪臭等の実際の害がない限り、わざわざ行政にクレームをつける輩は少ないらしい。
 そのくらいだ。

 ぞろぞろと二階にあがると、階段が不安になるほど軋んだ。
 改めて思う。
 こんな場所の上階で目を覚ました事の異質を。

「階段、埃が少ないね」

 ぽつりと、ソノが言った。

「成くんが通ったときはどうだった? 埃」
「え、えっと、あまり気にしてなかったですけど。たぶん、そんなには。おんなじ感じ……でした。たぶん」
「だよねえ。数日前に一回往復があっただけって感じじゃないよこれ。階段だけクモの巣ないし。一階は素通りして、人が定期的に出入りしてる。だから……」

 ソノは二階の廊下に視線を巡らせた。
 状況は一階とほとんど変わりない。
 ただ、周囲の家屋に遮られなくなった光が、枠だけの窓から暗がりを打ち消している。
 光をまとった蜘蛛の糸が、白く、そこかしこに見えていた。

「二階もなにもないね。上、いっちゃおう」

 虫の羽音を煩わしそうにしながらも笑顔で言って、ソノはまた階段に足をかける。
 ツカサは一歩うしろに立ち竦んでいるセイに振り向く。
 微弱な陽光のなか、その顔が青ざめているのはよくわかる。

「成、大丈夫? 怖い?」
「……はい」
「やめとく?」
「いや、でも俺が行かないと。何か思い出すかもしれないし」
「そうか、じゃあ」

 ソノが、数段上からツカサたちを見つめていた。
 じりじりと背中に視線を感じる。
 ――やりにくいな。でも。
 短く息を吐いて止める。
 先程から続いている軽い立ち眩みを、息苦しさで押さえ付ける。
 三秒。俯きがちな緋色の目に向かって口を開く。

「――気を付けてね」

 言葉を吐いた矢先、鈍い頭痛がツカサの意識に介入する。
 知ったことか。
 努めて平然と、ツカサはソノの背を追った。
 ぎし、と木の板が悲鳴をあげる度に、呼応して痛みが強まる。
 耐えられないほどじゃない。
 自らに言い聞かせて進み、いよいよ上階に出る。

 生ぬるい風。
 下階とは比較にならない明るさに、一瞬、目が眩む。
 と、ふいにツカサの袖を小さな手が掴んだ。かなり強い力で。
 金色の双畔がこちらをにらんでいる。
 ぱち、と目が合うなり、何事もなかったかのようにシヅキは手を離し、前を向いた。
 ツカサもそれにならった。
 三階はフロア自体が小さく、壁の仕切りもない。
 ぽつんと中心に立っている柱だけが、小窓からベランダへの風の往来を遮っていた。

「埃はないけど。砂が舞い込んでるね。これじゃちょっとわかんないかも」

 ソノが足元の砂を靴底で擦りながら言った。

「成くんどの辺にいたの?」
「あ、……えっと、この辺りです」

 ツカサの背後でぼんやりとしていたセイが、呼び声を受けて室内に歩み出る。
 彼が足を止めたのは、ベランダのすぐ手前の壁際だ。
 言われてみれば、心なしか砂が少ないようにも見える。

「ここで……座り込んで、気絶してたんです」
「うわ、尋常じゃないねえ」

 のんびり返して、ソノは手持無沙汰にベランダに出た。
 熱を持った陽射しに、彼女を追おうとした目を慌てて閉じる。
 光に刺されたようにまた頭が痛んだ。

「っ……」
「……あの、湊さん」

 セイの声に、ツカサは一瞬抜きかけた気を引き締めて応じる。
 彼の顔は目に見えて蒼白だ。
 廃墟が怖いから、で済まされる様子ではない。
 シヅキに視線を振って問うも、彼は黙々とソノの後姿を眺めるばかりだった。

「俺やっぱり降りててもいいですか」
「うん。園、俺ちょっと送ってくるね」
「りょうかーい」

 間延びした返答を聞くなり、セイが何かから逃げ出すように階段を下る。
 ぎしぎしと二階までやってくると、かすかに気を緩めたような吐息が耳をついた。
 ひたと足を止めたセイの背に、ツカサは声を落として問う。

「どうかした?」
「……あの。湊さん。見ました?」

 薄明かりのなかに響いた声が震えていた。

「俺の勘違いならそれでいいんです。いいんです、けど。そうじゃ、ない、なら」

 言葉が尻すぼみになって、セイは沈黙した。
 その足が暗がりに震えている。
 彼が何故そこまで怯えるのかは、ツカサにはわからない。
 ただ、元凶の察しはつくのだ。
 ツカサはわずかな間、黙って上階に耳を澄ます。
 風の音。
 ざわ、ざわと。
 そう聞こえている。

「やっぱり」
「……やっぱり?」

 痛みをこらえて微笑を象る。
 振り向いたセイはぱちぱちと瞬きをした。

「それって、どう……」
「待って成。ここでその話はなしだ。いや、今後も絶対駄目。特に園の前では」
「え、あの」
「『俺達は何も見ていない』。ってことだ。いいな?」

 顔の前に人差し指を立て、小声で言い募ると、セイは怯えた様子のまま口をつぐむ。
 空気を読まない羽虫が二人の間をゆらゆらと通っていく。
 ――そうだ、ただ降りるだけには、ちょっと時間を食ってしまった。
 怪しまれる前に降りきらなければ。
 ツカサは返答を待たず、そそくさと階下を目指した。


2018年10月18日

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