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Fictional forest
「おひとよし」

 助けを求めることも、それに誰かが気づくことも、奇跡の偶然である。
 だって、助けてと言えずに、言っても誰にも届かずに終わる方が、きっと遥かに多いのだから。
 だから、ツカサは拒まない。
 手を伸ばすことも、それを掴むことも。
 せっかくの奇跡を無下にしたら、絶対に後悔するから――


 その日はそれでお開きになって、ツカサは買い物がてら帰路を辿っていた。
 日の傾き始めた秋晴れの空を背に、影が長く伸びている。
 癖ではめている安っぽいイヤホンマイクの向こうは静かだった。
 今日は誰とも繋がっていない。
 ソノはいま、シヅキと二人なのだ。
 まあ、そちらと楽しくやっているのだろう。
 ひとり歩くツカサの脇を、自転車の少年たちが笑い声を響かせ過ぎてゆく。
 ひめきは子供の多い町だ。
 この時間になると、笑い声や泣き声が、耳を澄ませばどこからともなく聞こえてくる。
 ツカサはそれが少し苦手で、けれども嫌いではなかった。
 誰かがどこかで泣いている。
 それらにこうして遠巻きでいられるのは、きっととても幸運なことなのだ。

 途中、ツカサの足は薬局に向いた。
 築沢薬局。
 この地方にはそこそこの規模で展開しているが、大手ではないくらいの薬局チェーンだ。
 最低限の食料品はここで揃う。
 近所ということもあって、ツカサは頻繁に利用していた。
 大きな看板のたもとをくぐり、自動ドアを抜けると、ぱっと視界が白くなる。
 店内は白くて明るくて、電子音のBGMが天井から降ってくる、どこか無機質な空間だ。
 薄暗い自然公園に馴染んだツカサは、落ち着かないと感じる。
 足早に、いつもの食料品棚の前へ籠をぶらさげて行く。

「……あれ、ツカサ?」

 冷蔵設備の、ごお、という音は、イヤホン越しにはあまり聞こえない。
 だからこそ、馴れた声はより鮮明に意識できた。
 いま、まさにツカサが立とうとした位置で、ソノが目をぱちくりさせていた。

「さっきぶりー。ツカサ、帰り? 遅いねえ」
「あー百均寄ってた。園も奇遇だな。紫月は?」
「しーちゃん? もう家にいるよ。私はチャリで買い出し来たとこ」
「へえ。珍しいな、ここで会うなんて」
「そうかも。私いつも夜中に来るから」

 息をするように言葉が出る親しさ。
 ツカサとソノがふたりになると、そんな感じだ。
 付き合いはもう三年になる。
 ぺらぺら喋りながら、ツカサはほとんど決まった食材をてきぱきとかごに放り込んでいく。

「なんで今日はこの時間?」
「しーちゃんの夕食。ちょっと食材切れててさあ」
「あー」

 ちら、とソノのかごの中身を覗き見る。
 ひとりかふたりぶんだろう、控えめな食材が積まれている。
 ツカサのそれともさしたる差はない。
 独り暮らし、なのだろう。そう言われたことはないが。
 生活リズムが似ているのだ。
 だから、買い物の進度も同じところで、二人して自然とレジへ足を向ける。

「ねえツカサ」
「ん?」
「ちょっとその辺で話してこ。アイス奢るよ」
「寒くね? いいよ、普通に付き合うから」

 そのままレジに並んで、進んで、淡々と袋詰めを済ませて、ふたりは白い店を出る。
 急に景色の明度が下がって、ツカサは駐車場の夕闇に立ちとどまる。
 変調の瞬間、
 町を染めるこがね色が、斜めに、まっすぐ、心の隙を切り込んだような気がして。
 ソノは足を止めたツカサをよそに路傍の花壇の傍まで歩いていく。
 その先で、育ち始めたばかりの背の低いコスモスが揺れている。
 早咲きの黒のつぼみが、こがねの町の最中ではやけに浮いて、世界にぽっかり空いた穴みたいに見えた。

「ツカサさあ、どうして、成くん、助けることにしたの?」

 イヤホン越しにもはっきりと、ソノの声が届いて、ツカサはやっと歩き出す。
 振り返らない彼女の表情が見える場所まで。
 彼女は変わらずの笑みをふんわりと浮かべて、くすんだ色の花々を眺めている。

「どうしてって……」

 変なことを聞くね。
 ツカサはすこし言葉を探して、手の中のビニール袋を握り直す。

「誰かが助けられるなら、その方がいいだろ」

 そう、ごく自然なことだ。
 息をしているのと同じくらいに自然な。
 少なくともツカサにとってはそうだった。
 ソノが、やっとツカサのほうを見る。
 顔をしかめていた。

「そんな理由なの? 誰かって、私たちじゃなくてもいいよね?」
「でも他に彼奴のヘルプに気づいてつきあえる人がいるかな、うさんくさい話だし」
「そう、うさんくさいじゃない。人為的な記憶喪失、なんて、信じるの?」

 問う口許から笑顔が消えていた。
 そんなにおかしなことだろうか。ツカサは内心で首をかしげる。
 そもそも、信じられないような話をいつも持ってくるのはソノのほうだ。
 いまさら信じるも信じないもない。
 そこに問題があるなら、仮定だろうと現実だろうと、解こうとする。
 それだけのことだと、ツカサは思う。
 まあ、わかりやすく言い換えるなら。

「君の言ったことはだいたい信じるよ?」

 言の間に秋風が舞った。
 がさがさ、ふたりぶんのビニール袋が音を立てた。
 風に運ばれた誰かの泣き声が、ソノの耳にだけふわりと届く。

「そうじゃなきゃ、いつもマジになって調査なんかやらないし」

 言い足した。
 ソノは一拍おいてまた笑みを取り戻す。
 ただし苦笑だったが。

「お人好し」
「……そうか?」
「そうね。ツカサはいつもそうだね。すぐ人を信じるし、すぐ助けようとする。しーちゃんも、ウミくんも」

 ソノはどこか吐き捨てるように言って、くるりと身体を反転させる。
 薬局脇のささやかな駐輪場へ向かって、ゆったりと歩き始める。
 ツカサもなんとなくそれに続いた。
 町に黒く空いた孔から、遠ざかる。
 ソノはツカサの前をまっすぐ歩いていくのに、一歩、踏み込まれたと感じて、ツカサは押し黙った。
 ――俺はそんな人間じゃない。

 薄紅色の自転車に買い物袋を積んで、ソノが振り返る。
 黒ずんだ傷跡の上を、彼女の前髪が泳いでいた。

「ツカサは、私が助けてって言ったら助けてくれるの?」

 口調はどこまでも軽かった。
 冗談めかした笑みにもまた含みはなく。
 言葉だけが黒く、ツカサを穿った。

「当然だろ」
「あは、よかったあ」
「……なんかあった?」
「ないよ? 仮定の話」
「なら、いいけど」

 ロックの外された自転車が、がちゃんと音を立てて接地する。

「じゃ、またね団長」
「うん。また」

 カチカチとタイヤが回る。
 ソノは笑顔ひとつ残して、サドルに飛び乗るとすぐに姿を消した。
 先程より濃くなった夕闇に、薬の看板が煌々と浮かんでいた。
 静寂。
 ふと気づいて、ツカサはそっとイヤホンを外す。
 夕刻のこの町に、静寂なんかない。
 かすかに、背後から無機質な店内BGMが耳をついた。

「……わかってるよ。君のことは、信じてないし」

 ちいさな声は、騒々しいこの町には埋もれてしまう。

「今回のは、打算だ」



 無駄に大きな冷蔵庫に少ない食材を放り込んで、ツカサはいそいそと自室へ上がった。
 買ったばかりの折り紙を棚にストックして、今日も箱の上の鶴を一羽、代える。


2018年10月7日

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