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Fictional forest
「しらべもの」

 夕刻に差し掛かる前に、ツカサたちの足は基地に向いた。
 調査と議論の結果はブランク。
 つまり収穫はなし。
 近場の自然林に実際に赴き、日の落ちないうちに調べられることは調べ尽くした。
 たとえば、所有者に会って話を聞くとか。
 遊び場にされているなら、その子供のことを調べるとか。
 犯罪にならない程度に。
 そのほとんどの行程はソノがこなしたから、他はほとんど外野だったが。
 まあ、だいたい常にそんなものだし、暇人は暇潰しに文句を言わない。

 残暑の抜けない午後の陽射しを仰いで、ソノがたまらず息をついた。
 ひめき市は山に食い込んだ設計上、比較的坂道の多い町だ。
 坂道を歩き通したところで、ぴったり暑さがピークともなると、ため息もつきたくなる。
 それはソノに限った話ではなく、先程からどことなく会話が減ってきている。
 ツカサはかたくなに上着を脱がないソノを内心であわれみながら、帰路を先導した。

 駅前に近づくと、畑や空き地の目立っていた町並みは急に騒がしくなる。
 人通り、車、ビル、コンビニ、商店の類いが増える。
 これが休日であればなおさらざわめきが大きくなる。
 平日の昼間だ。そう人は多くないけれど。
 ここには他人が視界にいると目を伏せる者が多いから、このあたりは足早に通りすぎるに限る。
 ツカサがわずかに足を早めると、一行もまた無言でついてくる。
 反省会は明日かな。ツカサは苦笑を浮かべてちらりと彼らを振り返った。

 そのとき、ソノの隣をちいさな足で歩いていたシヅキが顔を上げた。
 視線が一瞬ぶつかる。が、すぐにすり抜ける。
 金の目がやがて見開かれて、ちいさな足が動きを止めた。

「紫月? ちょっ」

 一行がつられて動きを止めた刹那、彼は行く手に向かって駆け出していた。
 視線を走らせる。小柄な影はすばしっこく、商店の連なる路地に消えた。
 ツカサは見た。
 角を曲がる際、振り向き様に、彼は顔の前で人差し指を立てていた。

「……追うなってことね」

 彼はこどもではあるが、一人歩きを心配しなければならないほど無知ではない。
 なにかあれば彼自身で十分に対処できる。
 そういうふうに生きてきた、というのは彼の振る舞いが語るところだ。
 と、いうか、彼には心配を拒絶する節がある。
 心配と詮索は同義だからだ。
 息をついて、呆然とする二人に振り返る。

「先に帰ってよっか」
「び、びっくりしたー。どうしたんだろ」
「さあ。でももう基地には近いし。平気だろ」
「まあ、そうね」

 個人のことには絶対不介入。
 ソノは強引な奴だが、ルールは守ってくれる。
 頷いて、ぼんやり立っていたウミにも視線をあわせて、そしてツカサはきびすを返す。
 ひめき駅前公園はすぐそこに見えていた。




 伊田紫月はシャツの袖で汗をぬぐった。
 落とした視線の先、街路樹の落ち葉が、体感温度とは剥離して寒そうにふるえている。
 風通しの良い道だった。
 冷やかな風の流れに救われた気分で、ゆっくりと視線を上げる。
 五メートル先。
 道端に備わった花壇に金蓮花が背を伸ばしている。
 その傍らに向かって、シヅキは口を開こうとして、やめる。
 歩み寄って、『彼』の服の裾を掴んだ。

「え」、と気の抜けた声と共に、深い緋色の目が振り向いた。
 薄色の髪の少年だった。
 荷物を持たず、薄手のジャケットに身を包んで両手をポケットに入れていた。

「……」
「……えっと」

 なにも言えず戸惑うだけ。
 少年はシヅキを得たいの知れないもののように見つめた。
 シヅキは一歩離れて、メモ帳を抜き出す。

『ここで何を?』
「えっ、あ、あの……どちらさま……?」

 怪訝そうに顔をしかめて、少年がかろうじて問いを紡ぐ。
 シヅキは口を閉ざして彼を睨む。
 無言の応酬。
 少年の表情が徐々に崩れた。

「……俺のこと、わかるのか」

 切実さを秘めた声がシヅキの耳を打つ。

「わかるんだよな? 教えてくれ。俺、何をしたんだ。きみは誰で、なんで睨むんだ」

 よく見れば、少年の顔にはあきらかな疲労が滲んでいる。
 あるいは、それが安堵によって決壊するのを、無理矢理押さえ込んだような。
 が、シヅキはそれを哀れむほどの度量は持ち合わせていない。
 冷然としてペンを持ち直した。

『まずはご説明いただけますか』

 少年が息をつまらせる。
 その背後で、赤と黄色の花が揺れている。
 風が収まるのを待って、やがて、絞り出すような声が返ってくる。

「記憶が……ないんだ。ここ数年ぶん。まるっきりなくて……たぶんきのうから。家族もいなくて。学校も行けるわけないし。それでずっと手がかりを探してたんだけど、見つからなくて。きみは知ってる? んだよな?」
「……」

 必死の問いに、シヅキは黙って首を振って答えた。
 シヅキは、何も語らない。
 ここに限った話ではない。秘密基地でも、お邪魔させていただくソノの家でも。
 誰にも、何も、語らないように。
 じぶんでそう決めていた。

 それから、少年が当惑の目で見下ろしてくるのを意にも介さず、来た道を引き返して歩き出した。
 一度、振り向きざまにメモ用紙を投げつける。
 少年はそれを慌てる様子もなく受け取った。
 ――慣れているからだ。
 シヅキはかすかに笑みを浮かべる。

『わたしはなにもお答えできません

それでよければついてきてください』




 シヅキは基地に帰ってくるなりメモ用紙をソノに向かって突きだした。
 内容はこう。

『調べていただきたい人がいます』

「調べ、る?」ソノは素の声で言って目をぱちくりとさせた。
 シヅキはこっくり頷いて、待っていた皆に視線を巡らせる。
 棚に掛かったホワイトボードに、ご迷惑おかけしました、と綴って振り向き、ひとつ頭を下げる。

「いや、それはいいけど。どうかした?」ツカサが明朗な声で問うた。

 シヅキは一度書いた文言を丁寧に消してから、少し考えて、そのままマーカーを置いた。
 説明は後で。そう伝えるつもりでもう一度会釈する。
 首をかしげる一同をよそに、ソノの手を引いて基地を出た。

「しーちゃん……調べたい人、って?」

 ソノが、すこし怪訝そうに問う。
 枯れ葉を踏みしめ、林を抜ける間、シヅキはなにも答えなかった。
 自然林エリアを抜けて、いちばん近くのベンチに、少年を待たせてある。
 少年は林から顔を出した二人に、うつむいていた顔をあげた。

「しーちゃん、彼は? その人?」
「……」

 首肯する。
 少年が戸惑いと共にわたわた立ち上がって、こんにちは、と言う。
 ソノはシヅキと彼を見比べてから、ひとまずと笑みを象る。

「うん、はじめまして。私は赤羽園。16歳。あなたは?」
「高橋成。13歳、です。あの」

 少年は――セイは傷を見慣れていない。
 すこし下がった視線に、ソノはかすかに苦笑して、右手を差し出す。
 軽い握手を交わして、正面から緋色の目を見た。

「成くん。あなたを調べてほしいって言われたんだけど、どういうことかな」
「あ……」

 ようやく状況に合点がいった、というようにセイが表情から戸惑いの色を消した。

「俺は……えっと。信じてもらえないかもしれないんですけど……記憶喪失、みたいで」
「記憶喪失……?」
「はい」

 キオクソウシツ。
 現実離れした響きに、ソノは自然と薄ら笑いを浮かべる。
 なるほどね、好きだよ、そういう謎に挑むのは。
 シヅキは背後からそんな彼女を目にして密かにうつむいた。
 ――これでいい。
 わたしにできるのは、これだけだ。
 ソノの弾んだ声が、冷え始めた秋の空気をつらぬいた。

「よしわかった。じゃあ、話を詳しく聞くから、ちょっと来てもらおっか!」


2018年10月3日

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