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Fictional forest
「たからさがし」

 福居ウミは鞄の肩紐を持ち直した。
 三人が前を歩いていて、とめどない談笑が聞こえている。
 主に口を動かしているのはソノだ。
 このうわさをどうやって見つけたのかとか、森と林を分ける定義のこととか、
 調査に関する話題をぺらぺらと語り聞かせている。
 ツカサとシヅキはほとんど相槌を打つだけだ。
 ウミは、それを、一歩後ろから見つめ続けている。
 いつも、ずっと。

 昼食に立ち寄った公園は小さかった。
 申し訳程度の遊歩道とベンチと木々があるだけだ。
 木の屋根のもとで向かい合わせになったベンチにそれぞれ腰掛ける。
 こういうときは、ソノとシヅキ、ツカサとウミが隣どうしになるのがお決まりだ。
 ウミはツカサと自分の間の空間に鞄を置いて座った。
 肩が軽くなって、自然と細く息をつく。

「ウミ、疲れてない? 荷物重いよな」

 隣からの笑顔に視線を上げる。
 みどりの目と一瞬かち合って、すぐに俯く。

「大丈夫です」

 言っても、荷物が重いのは確かだった。
 中身のほとんどは本だ。
 基地に置いてきてもよかったものを、なんとなく落ち着かなくて持ってきてしまった。
 別に四六時中読みたいほど本が好きとか、そういうことではない。
 ただ常に持ち歩いているから重さが癖になっているのだ。
 どうだっていいことだけど。

「それより……昼にしましょう」
「そだな。けっこう歩いたもんなあ。あー紫月これ」

 ツカサが何気なく弁当箱を差し出すと、シヅキは困ったように笑って頭を下げだ。
 行く宛のない彼の生活費は今のところほぼツカサが担っている。
 誰もそのことには口出ししないが、当のシヅキはいつもそうやって困ったように笑うのだ。
 彼の生活のために、ツカサは毎日かならず基地にやってくる。
 二日に一度、ソノが彼を連れ帰って入浴させる。
 そうやってシヅキの生活は成り立っている、らしい。
 だれかと一緒に住めばいいのでは、とも思うが。
 ウミは関わっていないから、よく知らない。

 全員が食事を揃えて、ばらばらに手を合わせる。
 ツカサとシヅキのメニューは同じ。
 いかにも冷食を詰め合わせただけの弁当だが、この中ではいちばん豪勢だ。
 ソノはコンビニのパンがふたつ。少食な彼女にしては多いほう。
 ウミはというと、固形の栄養機能食品が一箱。毎日決まってこれだ。
 特に美味しくもない食事を、ソノたちの雑談を遠目に眺めながら無言でとる。
 それがウミのルーチンワークである。

「ねえ団長、森の話がもし本当だったら、宝ってなんだと思う?」

 秋風の吹き抜ける食卓に、ふいにソノの問いが放たれる。

「宝、ねえ。金銀財宝じゃなくて?」
「ふるーい。今時そんなの目当てにトレジャーハント来ないよお」
「じゃあ、なに?」
「例えば、そこにしか生息していない新種の生物。むかしの人の遺物、遺跡、あるいはその場所の歴史そのものとかが主流だね、こういう話は」
「トレジャーハントってより学者めいてるな。そんなん、この町にあるわけないだろ」
「そう! そうなんだよね」

 目を輝かせるソノを尻目に、ウミはパサついた固形食料を噛み砕いた。

「ひめき市が開発されはじめたのは戦後でしょ。たった60年前。町として開かれたのが51年前。その前はただの野山。農村ひとつなかった。少なくとも記録はそう」
「うん」
「歴史的ななにかなんてないんだよ。新種の生物にしたって、ここ一帯の山はだいたい調べ尽くされてる。いたってふつうの日本の山の生態系しかない。珍しいものもいない」
「そんなことまできのうの夜調べてたの?」
「とうぜん! 調査だもん」

 ソノは目の下の大きな傷をひきつらせながら満面で笑んだ。
 傍目は痛々しいが、本人はまったく気にしないので、もう痛みはないのだろう。
 きっと何年も前の古傷だ。
 誰一人、一言も、言及はしないのだが。
 ウミは静かに目を落として正面に座るシヅキの足元を見た。
 こどもらしい小さな足は、ぎりぎりつまさきが地面に触れるくらいのところでぴたりと静止している。

「だから、ね、お宝探しに出掛けちゃうような人がそのくらい知らないわけないと思うの。この町にはなにもない。それでもわざわざ来たんだよ。つまり」
「新種生物でも歴史的発見でもない何かを探していたってこと」
「正解!」

 はしゃぐソノのとなり、シヅキの食事の手が止まっていた。
 ――どうしたの。
 視線で問うと、彼ははっと気づいたようにウミに焦点を合わせてちいさく首を振る。
 シヅキは考え事が多い。

「その何かって、何だと思う?」

 ソノがあらためて問い直すころ、ウミは固形食料を腹に納め終えた。
 持参した水で口のなかの水分を取り戻しがてら、ちらりととなりを見る。
 弁当は半分ほど減っていて、箸を握る手にすこし力が入っている。
 みどりの目はまっすぐソノに向いている。そして、

「わからない」

 きっぱりと、そう答えた。

「うん。私もわかんないや」と、ソノが表情を崩してパンをかじる。

「でも、じゃあ、ひめきに森があるかどうかは調べなかったのかよ」
「そこだよね。地図とか航空写真を見れば、そんなのないってすぐわかるよね。聞き付けたうわさ自体あきらかなデマだったのに、どうして足を運ぶまでしたのか。それが不自然なんだ」
「そもそも本当にその人、来たの?」
「来たよ。ブログにあった写真から位置とだいたいの時期は割り出したから。まあ、他人が撮ったものかもしれないけど、そんな偽装する意味ないよね?」
「……そこまでするか? って言いたいのはブログ主より園の方なんだけど」
「ふふーん。そこまで、じゃあないよ。朝飯前だからね」
「その人にとってもここまで来るのが朝飯前だったとか?」
「東京の人だよ? 遠いと思う」
「遠いな」

 なんでだろう、とウミは順繰りに全員の顔を見る。
 ツカサは少し、この話が嫌そうに見える。
 微細な感覚だ。
 気のせいかもしれないが、たぶん気のせいではない。ウミの勘は当たる。
 ソノの方はいたっていつものように楽しげに喋っている。
 でもいつもがいつもだ。
 ふんわり笑って、遠回しに、徐々に、核心を突いてくる話し方。
 彼女は探る者の目をしている。
 ウミは彼女が苦手だった。
 それはいい。ウミの個人的な想いでしかない。
 シヅキはまた手が止まっている。その視線は――たしかにツカサに向いている。
 ようするに、みなの様子が少しぎこちないように見えたのだ。

 この感じ。
 嫌だな。
 思いながら、ウミは水筒の蓋を閉めて立ち上がる。

「すみません。お手洗い、行ってきます」
「あ、はーい」
「いってらー」

 と、シヅキが弁当の蓋を閉めてウミに続いた。

「あ、しいちゃんも、来る?」

 首肯が返ってくる。
 ひとりで逃げ出すつもりだったが、まあ、いいか。

 近くのコンビニのトイレを借りて、後に入っていったシヅキを駐車場に立って待った。
 車通りのまばらな道路を、枯れ葉が躍りながら転げてゆく。
 ひとりは静かでいい。ウミはゆるゆると肩の力を抜いた。
 ――ひとりが好きなのに、なんでここにいるんだっけ。
 ふいにそんな思考が首をもたげる。
 人と目を合わせず話さないためのバリアとして文庫本をかざしていた。
 いつも。ずっと。
 バリア越しに外を眺める生活だ。
 それでも、欠かさず、ウミは朝になったら起きて、ひめき駅前公園に足を伸ばすのだ。
 理由は。

「……」

 ふと、自動ドアがごうごう言いながら開いて、出てきたシヅキが小走りに近寄ってくる。
 ウミはすっと息を吸った。ひとがいると気を抜けない。

「しいちゃん。……なにか、あった?」

 シヅキはぱちぱちとまばたきをして首をかしげた。
 なにかって、なに? とか言いたいのだろうか。

「団長のこと、でかな……? いや、気のせいなら、いいけど」

 シヅキはおもむろにポケットからメモ帳を抜き出して、器用に立ったままさらさらとペンを走らせる。
 数秒も待つと、ちぎられた紙がウミに手渡された。
 すこし達筆で、整った文字列。いつ見ても年齢にそぐわない。

『貴方はどう思いましたか』
「どう、って……宝の話? 別に、なにも。ややこしいな、って。それだけ」

 シヅキがメモ帳をポケットに仕舞い込んで歩き出した。
 話は終わりにされたのか。
 シヅキには先程の話になにか思うところがあったということだろうか。
 ウミにはわからない。わからないことが多い。
 けれど、たぶん、ウミにしかわからないことも、多いのだ。

「……団長、なんでこのうわさに付き合うことにしたんだろうな。しいちゃんもさ、大変だよな」

 シヅキの足が止まる。

「見てたし。……さすがにわかる」
「……」
「……いいけどさ。俺は、いいけど……」

 一陣の風に、振り返らないシヅキの黒髪が揺れる。
 赤の髪飾りを、飛ばないよう片手で押さえていた。
 その立ち姿が、ウミには拒絶を表したように見えた。

「赤羽さんは……」

 言葉を飲み込む。
 ウミがそのままで足を踏み出すと、シヅキも抵抗なく続いた。


2018年9月30日

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