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Fictional forest
「ひみつきち」

 ひめき駅前公園。
 そこは遊歩道と、芝生と、遊具と、奥地には自然林の広がる、広大な公営施設だ。
 このちいさなベッドタウンに、ふいに観光地めいた様相で顔をだすこの公園は、
 祭りのないときは近隣住民の散歩かたまり場くらいにしか使われない。
 平日の昼間などはどこよりも静かな場所。
 だから居心地がいいのだ、とツカサは思っていた。

 奥地。自然林エリア。
 けもの道に近い、しかし明確に踏み固められた土の道をすいすい行って枯葉を掻き分ける。
 見えてきたのは、四角く張られたビニールのテントだ。
 それなりの大きさがある。部屋にして言えば六畳くらいの。
 ツカサは迷いのない所作で入り口に別張りされた撥水シートをめくった。

「おはよう、遅くなった」

 言葉がテント内に響いた。
 振り返ったのは数人の、少年と少女。

「団長おそーい!」、と笑ったのが赤羽園だ。

 快活な性格には大人しすぎる薄い長袖の上着をいつも羽織っていた。
 まだあどけなさの残る顔にいっぱいの笑顔を浮かべてツカサを見る。
 その左目のすぐ下に、黒ずんだ大きな傷跡がある。
 とっくに見慣れているのは、ツカサだけではない。
 真ん中に置かれたローテーブルの端、ぱたむと本を閉じる音がした。

「おはようございます団長。……どうかしたんですか?」

 物腰の静かな少年だった。
 長めの前髪で表情が隠れていたが、口調はおだやかだ。
 俯きがちであまり笑わない。
 礼儀正しく、常にソノとは対称的な態度をとる。
 だいたい暇さえあれば本を読んでいる。
 彼はまあ、そういう奴。
 ウミ、とツカサはひとつ反射的に名前を呼んだ。

「いや、寝坊。きのうそんなに寝付けなくて」
「なにそれー。遠足前の小学生みたい。何時に寝たの?」

 すかさずソノが割り込んできた。
 こういう奴だ。誰も驚かないし、嫌がりもしない。

「たぶん一時くらい?」
「私より早いじゃん」
「園と一緒にすんな、寝る子は育つんだぞ」
「団長ほどは育たなくていいよー」

 軽口を叩きながらツカサは荷物を下ろした。
 ローテーブルの外周を回って、定位置に鞄を置く。
 と、それまで視界に入らなかった入り口側の隅に目がいく。
 まるくなった布の塊みたいなものがオーナメントよろしく鎮座しているのだ。
 思わず失笑を漏らして、ツカサは他の二人に視線を走らせる。

「紫月、まだ寝てんの?」
「寝てるねえ。起こす?」
「いや、いいよ。じゃあ紫月が起きたらはじめようか」

 ツカサが宣言するなり、いそいそとウミが文庫本を開き直した。
 ――刹那に静寂が訪れる。
 木々のざわめく音と、かすかな車の往来がシート越しにこもって聞こえてくる。
 この瞬間のことをツカサは愛していた。
 ページをめくる音がする。
 ソノが傍らでノートPCを立ち上げはじめる。
 おのおのが適度に無関心であること――
 それがこのひみつきちの均衡を守る鉄則だ。


 ひみつきちは四年も前からここにある。
 小学生時代、最後の夏。
 ツカサは、家にいるのが嫌だった。
 学校にいるのも、嫌いではないけれど、少し疲れてしまっていた。
 ひとりでいられる、けれど寂しくもない場所というのを探していた。
 そんな頃合い、たまたまこんな地方紙を目にした。
 題して、ひめき駅前公園に暮らすホームレスたちの実態。
 公園奥地にテントを張ってねぐらにし、そこから仕事に出ているという人へのインタビュー記事だ。
 こんなところでも雨風は防げるし、人の目に触れないから安心できるのだと語られていた。
 行き場のないひとの、『家』の話。
 市政はいまのところ対策を考えあぐねているそうだ。
 困ってはいるが、むやみに追い出しても浮浪者を受け入れる体制もない、らしい。
 ともあれツカサは、これだ、と思った。
 ツカサにも、行く場所なんてなかったから。
 だったらつくってしまえばいい。
 ホームセンターに駆け込んで、必要な物をひとりで買い集めた。
 何日もかけて少しずつ運び、何日もかけて組み立てて形にした。
 ただの四角い箱が林のなかに完成して、
 しかしそれだけでは寂しいと、自室にあった家具もいくつか運び込んだ。
 怪しまれないようにというのが難しかった。
 真夜中に、決死の思いで家から公園までを行き交ったのも、いまではもう懐かしい。

 あの頃に自分の寝泊まりのために持ち込んだ毛布を、いまはまた別の者が使っている。

 ごろっと鎮座していた布の塊から、ふいに人間の頭が生えてきた。
 やっとのお目覚めだ。
 三人がいっせいに顔をあげる。
 みっつの視線を受けた楕円形のまるがもそもそと縦になる。
 寝癖のついた黒髪が、ぺこりと上下する。

「おはよ、紫月」
「しいちゃん、おはよう」
「しーちゃん寝癖寝癖ー。直してあげるからおいでー」

 ソノがPCのディスプレイを折り畳んで立ち上がる。
 伊田紫月はぱちぱちとまばたきをして、ゆったりと毛布から這い出てくる。
 その身体は小さい。年齢は十に満たない。
 短い髪を一部だけ伸ばして、赤の髪留めをはめている。
 金色の浮世離れした目が、彼のトレードマークだった。
 性別不詳。
 彼はじぶんのことを誰よりも語らない。
 なぜなら口がきけないから。
 筆談をする。達筆で、おとなびた口調で、とても丁寧に話す。
 ツカサが彼について言えることはそのくらいだ。
 いままさにシヅキの手を引いていったソノのほうが、きっともう少し詳しいのだろう。

 ほどなくして身支度を済ませたシヅキが戻ってくる。
 ひみつきちは、もう半分は彼の家でもある。
 彼には家がないから。
 だからといって――ここがツカサたちの拠点であることは揺るぎないのだが。

「よし、じゃあはじめるか」

 ツカサの一声で空気が変わる。
 全員が音もなく定位置について、ツカサのほうに体を向ける。

「今日は――森を探しに行く。はい園、説明」
「はーい。これ見て。きのう見つけたブログなんだけど……」

 ソノが皆にPCの画面を向けて説明をはじめる。
 昨晩の通話で聞いたものとほとんど同じ経緯が話される。
 ある人がひめきの森に宝があると聞き付けてやってきたが、肝心の森が見つけられずに帰った、なんてちっぽけな話だ。
 くだらない、けれどもちょっと不可解なうわさ。
 そういうものを嗅ぎ付けては、調べるという名目で遊び歩く。
 それがこのひみつきちに集まるものたちの、主たる活動内容である。
 とはいえソノの好きなことにみなが付き合わされているだけでもある。
 まあ、暇だからいいのだ。

「紫月以外みんなお昼は持ってる? よし。紫月のぶんは俺が持ってきた。じゃあこっちの公園辺りでお昼にしようか。それまでに――」

 園の説明が終わると、またツカサが取り仕切ることになる。
 よくわからないまま気づいたらそうなっていた。
 だんちょう、なんて仰々しく呼ばれるのもそのせいだった。
 ツカサがこのなかでいちばん年上であることも大きいだろうが。

 指示を伝えるあいだじゅう、シヅキが底知れない目でツカサを見つめていた。
 うん。――ツカサは心のなかで頷き、視線で答える。


 これはお遊びだ。
 本当のことは、誰にも言わない。



2018年9月28日

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