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Fictional forest
「初恋」

 高橋成は追憶する。
 彼女をみつけた日の話だ。

 数年前の、夏場だった。
 いくらか涼しい真夜中の、ちいさな公園のベンチに腰かけて、彼女はずっとうなだれていた。
 となりの街灯にとまった蛾が羽を動かすたびに、彼女の薄白い肌に不安定な影が落ちた。
 なにかあったに違いない。
 断定してしまえるくらい、その姿は痛々しかった。

「どうかしたの」

 興味本位の問いに、彼女はゆらりと顔をあげて、セイの頭のてっぺんから爪先までをじっと見た。
 大きな目だ。みどり色の。
 目的もなく夜歩きするこどもだった。セイの印象はよくなかったはずだ。
 言っても、セイからすれば、彼女も自分と同じ年くらいにしか見えなかったのだが。
 ちいさな身体。彼女がずっと年上だと知ったのは、もっと後のことで。
 ともかく、彼女はそうして答えた。はっきりした声だった。

「たすけて」、と。

 セイは押し黙った。興味本位だから。そんなつもりで声をかけたわけではなかった。
 ちょっと面白い話が聞ければいいかな、なんて思っていただけだ。
 助けようなんて、ただのこどもでしかないセイには、できるわけがなかったから。
 けれど。

「きみはわたしを助けられる」

 断言めいた口調のせいか、思ったよりも明るく見えた表情のせいか、
 不思議と彼女を疑うことはしなかった。
 だって、そのほうが面白い。
 セイはただ楽しいことが好きなのだ。

「じゃあ、なにをすればいいんだ」
「――言葉を」

 言葉をいってみて。
 いまからわたしが指示するから。呪文を唱えるみたいに。

 彼女の声には引力がある。通る声ではないのに、どこにいても耳が惹かれるような。
 ふと、セイはその声を、もっと聞きたいと思った。
 いまになって思えば初恋だった。
 だから嬉々として言葉の指示というやつを待ったのだ。




 きみは魔法使いだから。
 そう言ってくれたのは彼女だが、セイには逆に、彼女がそう言ったからこの魔法が生まれたのだと思えてならない。
 セイの思う彼女は魔法使いで、たぶん、神様で――はじめて好きになった女の子だ。
 ぶかぶかのTシャツを着ていた。素足で公園の砂利を踏んで立って、街灯を背に笑っていた。長い髪が夜闇に透けてきれいだった。

 そのすべてを追憶して、セイはゆっくりと目を開く。
 夜風に揺れる花々の白が、きらきらと星のひかりをまとって足元にまとわりついている。
 磨り減ったスニーカーでその一輪を踏み潰すと、初恋の残滓が、未練が、すっと消えていくように感じられた。

 俺の恋はここで終わりだ。

「――湊松理にまつわるすべての記憶を消去する」


2018年9月28日

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