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見上げた空のパラドックス
57 ―side Riko―

「……高瀬青空の昔の知人と思しき少年と接触しました。彼女を発見したときと同じく、焼け焦げた夏物の制服のようなものを着ていました」
「ええ、そうみたいね」
「接触、したんですが……すぐに忽然と消えてしまいました。目の前で」
「そうみたいね。だいたい視たわ」
「……」
「確認するけど、美山くん今日の体調は悪くないのよね。その子との接触時以外に立ちくらみや悪心はあった?」
「ありませんでした。それがなにか?」
「なるほどねえ……どうやらあなたの血管迷走神経反射もその子の感覚鈍麻も、きっかけは同じみたい。まあ、原理は代償疲労にも近いわね、個々人にとって最も身近な不調の再現が起きたの。そう、つまりただのエラー警告メッセージだから安心して。世界って、適当だよねえ」
「はあ……?」
「ああ、彼に関してはもうこの世界にはいないわ。だから探さなくていいし、これ以上なにか調べる必要もない。青空ちゃんに影響もない。あなたの仕事はおしまい、帰っていいわよ」
「……あの」
「ごめんね。解明されていない真理を人に教えることはできないの」

 寒い。
 無理な感知をおこなうと毎度そうだけど、最近は外気の方も冷えてきたから、暖房の効かない外へ出るとなると単に嫌だなと思う。コートの襟を正して、息が白いことに気がつく。もう冬だ。
 とはいえ最近は帰路に疲労を思うことが少ない。たぶん、朸くんに会えたから。そして勝ちを確信しているから。期待に心踊る、とまではいかないけれど、静かな高揚がこのところ私を支えてくれている。
 機会が巡ってきた。活かしきる自信はある。どんな不測の事態も切り抜けてきたのだ。何もかも見通し通りにはいかない、事故が多いのはきっと当たり前で、私はただ偶然の積み重ねを観察してうまいこと利用していくだけだった。たまたま高瀬青空がこの世界に降り立ったことも、たまたま美山碧が朸くんに接触したことも、たまたま起きた火災とそれによる美山篠の不調も、今回たまたま起きた『二人目の来訪者』の接触に関しても。

(…………はじめて、みた)

 寒さからくる震えを抑え、早足で駅に向かいながら、私は考えている。此度の『情報収集』で、視てしまった、真理について。
 そもそも私はあの少女がこの世界に降り立つまで異界の存在すら知らなかった。当然、異界からの来訪者がこの世界にどう影響しどう蝕むのかなんて知る由もなかった。が。場に残留する歴史に接続し、私は今日この目で確かに、視た。知った。揺らぎの中で存在が歪んでいく瞬間を視た。世界の免疫ともいえる機能が作用するところを視た。

 拒んだのだ。
 存在が、存在を。
 それは生存をかけた戦いのように、私には思えた。

 あの来訪者の少年。名前は海間日暮というみたいだけど。
 彼は、『同じ』だった。高瀬青空と美山碧。津名戸倖貴と桧辰巳。そしてあの少年は、美山篠その人とぴったり同じかたちの、魂を持っていた。そのこと自体はもう驚くには値しない。自分だったかもしれない誰か、ドッペルゲンガーの実在を今さら疑えはしない。それはいいのだ、ただ。
 同じがふたつ、並び、互いの方を向き、目を合わせたときにそれは起こった。ふだんはほのかな光を帯びてゆらゆらとかたちを保っている、魂が、ありえない異常な波長で発光し、明滅した。『消えかけ』の照明のような挙動をとった、と例えればいいのかもしれない。その状態は双方の間でしばらく揺らぎあいながら続き、やがて、押し負けたように片方が完全に光をうしない、消滅した。
 あれはなんだったのだろう。

「よう! 探求者見習い。寒いなー」

 最寄りで駅前に降りたところで声がかかる。夜店の明かりの途切れる境界、見覚えのない、魂のない、子どもの姿をとった幽霊が笑っていた。

「ジュン」
「覚えててくれたの!? おお、光栄〜」
「呼ぼうと思っていたわ、ちょうどいい」
「えー、なになに」
「今日、人が消えるところを視たの」
「なんだ。同位体が弾かれたって話?」
「おそらく」
「それなら正常な反応だぜ。おれもよく自分に見つかっちまうと退場くらうもん」

 わけもなく何かが楽しそうに笑いながら、幼い彼は冷えきったアスファルトの上を小走りでついてくる。立ち並ぶ薄白い街灯に照らされて追い越してを繰り返し、いくつも影を踏んで夜を渡る。私は少し歩調を緩めながら続ける。

「そういう決まりがあるの?」
「たぶんなー。ま、ナカマとして特別に教えるけどさ、同じもんが世界にふたつもあっちゃいけないみたいなんだよな。だから椅子取りゲーム。奪い合って負けたら退場ってわけ」
「……まさか」
「察しいいじゃん。殺して椅子を奪い取ることも可能さ。……逆に、誰かさんが『決まり』の期間より早死にしすぎて、まだ椅子があるのに空になっちゃうと、生まれ変わりで補われるってこともあるみたいだけどな」
「……」
「はは! 心当たりあるってカオじゃん。そう、この世界ってさ、青柳俊が『決まりに逆らって無理やり死んだ』ときから――ていうか『それが可能になってしまったから』だけど、歪みが強いんだ。だから他より異物混入もしやすかったんじゃないかって、おれは踏んでる」

 朗らかな口調の割に声量は抑えられている。道行く人は誰も振り返らない。器用に気配の狭間を縫っていく。

「俊くんのこと、知ってるの?」
「そりゃもうみっちり観察させてもらったよ! 俊はやけにかみさまに気に入られてたからさ。ずるいよ。かみさま、顕現までして俊についてくなんてさ。そんなことしたら辺り構わず世界がこわれるってわかってるくせに。なんのつもり? おれにもわかんなかったよ」

 彼はしょんぼりと小さくなって夜道に白い息を吐いた。
 知らない話ばかりで身構えている。私だって俊くんの動向はかなり詳細に調べていたけど、神様がどうとか、何を指している話なのかすら掴めない。

「神様、いるの?」
「おまえくらいの力じゃ感知できないんじゃねー? ああでもこれは知ってるか? 俊ってさ、今からだと十七年前くらいか、逃亡生活中にしばらく猫と暮らしてたんだ。真っ黒な飼い猫」
「知ってるわ」
「そいつの話だよ。疫病神だ呪われた猫だーとかいわれてたけど、別に猫ちゃんに罪はないぜ。ただ『厄災』が取り憑いてた。依り代の猫だって早死にしたさ。アレが、根本的にはこの世界の歪みの原点だよ」

 よく回る口は少しも悴まないようで、震えの止まらない私の傍ら、幽霊はにこやかに話し続ける。

「っと、それはいいんだよ。どーせ世界は治らないし。それよりさ、おれは今日は、お別れの挨拶にきたんだ」
「お別れ? 三度しか会ってないけどね、私。しかも前回は15年越しだった」
「たしかに? でもおれほら、俊について回ってたから。おれ的にはしばーーーらくここで遊んでたつもりなんだよ。でさ、異物混入があったじゃん」
「青空ちゃん、と、今日のことね」
「そそ。おれも高瀬の方をみてたけど、今度は新しいのがきちゃって、しかも、すーぐ飛んでっちゃった。おれはそっちを追っかけようと思う。おまえは引き続き高瀬まわりの観察を頼むよ」
「……」
「あのなあのな、おれ今度はすげーラッキーなんだ! こんなすぐ返す借り物の身体じゃなくて、長く使えそうな器が見つかってさ! しばらくは海間日暮が飛ばされた先の世界に、こーっそり潜伏しておくつもり」
「ねえ、興味本位なんだけど、あなた、どうやって世界を飛び回っているの」
「えー? 普通だよ? そういう力だってだけ。おれの力は憑依。意識のないヤツならこーやって操れるし、乗り移ったら、記憶が見れる。それであちこち辿って調べてる、だけ」
「……」

 無邪気にピースサインなど決めて、ジュンは話すだけ話したと言わんばかりにくるりと踵を返した。借り物だという身体を適切な場所へ返しに行くのだろう、どこか急いだ歩調で夜道を戻り、じゃあね! と奔放に挨拶を済ませる。わざわざ別れを言いにきたということは二度と会うこともないのだろう。何かあれば呼べと言っていたのはなんだったのやら。
 いちおう今回は私も聞きたいことが聞けたからいいけれど、彼の話はほとんど要領を得なかった。無邪気で身勝手。聞き手が理解したかなどどうでもよく、適当に話したいだけだったのだろう。
 まあ、いいかと思う。私はおそらく彼の話したことに関与できるほどには力が強くないのだ。この目でとらえられることだけ、この世界の行く先のことだけ、考えていればいい。
 ひとまず、大事なのは。

(……碧ちゃん、と、青空ちゃん)

 高瀬青空の存在がもとより不安定であることを思えば、二人が出逢ってしまったとき、どちらが消えるかは明白だ。
 潮時が近い。


2022年9月4日

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