[携帯モード] [URL送信]

見上げた空のパラドックス
45 ―side Sora―

「鹿俣さんでしたっけ。どうして私を勧誘したんですか」
「才能があるから」
「殺しの?」
「ああ。一目でわかった」
「……それだけ、ですか?」
「……昔、」

 丸焦げのシーツの上で寝て起きた。夜になっていた。鹿俣さんは暗がりのなか燃えた小部屋に残されたテーブルに腰かけ、私の目覚めを待っていた。ドアも窓もぴくりともせず、電気もつかず、通信機も壊れていたらしい。助けはそのうち来る、と言いながら彼は全身の軽い火傷に舌打ちした。もう私を拷問する気はとりあえず失せているようでひと安心する。

「昔、天才がいたんだ。あれほど殺しに才のあった奴は、後にも先にもいなかった。もう14年も前に死んでるが、俺の大切な友達だった。お前は……そいつによく似てる。それだけだよ」
「……同じ人間って複数いるものですかね」
「え?」
「ああ、でもそっか、生まれ変わりがあるのかもしれないですね。碧さんって14歳だっけ」
「…………美山碧を知ってるのか?」
「名前だけ。仕事仲間の身内で」
「あぁ…………」
「篠さんが似てるって言ってました。私のこと」

 彼が黙って下を向いた気配がした。電気もつかない真夜中だから聞こえる息遣いだけが頼りだ。

「……やっぱりお前サウンズか」
「……」
「正気の沙汰じゃないな、お前ら。やり方が不確実すぎる。あの桧理子が、こんな判断するのか」
「しますよ。今回の特攻、理子さん直々の指示ですから。組織の維持ができないようにしてこいって」

 もう全部がどうでもいい気がしていた。わざわざ隠すのも面倒で、私は焦げたベッドに身を投げ出したままぺらぺらと力の抜けた声を出す。壁際のテーブルに腰かけた鹿俣さんは時折寒そうに息を揺らしている。

「……仲間が、大勢死んだ」
「はい。私が殺しました」
「理子の、指示、かあ………………」

 俯いた声には計り知れない重みがあった。思わず彼の方にじっと目を向けてしまうけど、ほとんど真っ暗だから表情は窺えない。

「……理子さんは、どうしてあなただけ生かそうとするんですか?」
「……は?」
「絶対に殺すなって言われました。カノマタリョクっていう赤毛の青年を」

 問えば、鹿俣さんは細く長く息を吸って吐いた。

「さあな」
「聞いていいですか? 理子さんとの関係」
「敵だよ」
「それは知ってますけど」

 なるべく体内に埋まった弾丸を刺激しないよう力を抜いて寝転んで、まっくらな天井だけをぼうと見上げて話している。いつになく声にも力が入らない。疲れきった真夜中。全部がどうでもよくて、全部に淡白な興味を持っている、そういう瞬間だ。理子さんと鹿俣さんにどんな繋がりがあろうがなかろうが、それに私がよくない形で巻き込まれていようが、全部が大したことではなくて、でもなんとなく知りたい。だって暇だから。
 鹿俣さんは重たい呼吸をひっそりと繰り返した。迷っているようだった。言うか言わないか、何を言うか。

「……お前はどうなんだ」

 結局、質問で返される。

「私と理子さんですか?」
「あぁ。おかしいだろ。こんな指示、する方も受ける方も」
「そうですか? ……そうですね。おかしいです。でも従うしか考えられなかった」
「なぜ?」
「さあ……頼まれたから? お世話になってる組織にわざわざ背く理由もないし。私が何も考えたくないから、言われたことだけやるのが楽だからかもしれないし……殺しくらいしか、今の私にできること、ないし……」

 なぜ黙って従ったのか、なんて、いくら考えてもこれだと思える理由は見当たらない。どうせ何があってもいいのなら、誰も傷つけないようきっぱりと覚悟をもって断り、断れないなら逃げるべきだった、そう正義の糾弾をされたら私は何も言えなくなる。思い浮かばなかったのだ。善の選択肢どころか仕事の引き受けを渋ることすら少しも頭になかった。だからたぶん、自ら進んで無謀な虐殺をした。ぼんやりと。
 私、殺したかったのかな。
 ひとをたくさん殺して、羨ましいと心を燃やして、絶望ばかり確かめて、どうなるっていうの。
 わからない。吐く息が静寂に冷えていく。
 
「理子さん、きっと私を何かに使いたいんだろうなって、そういう素振りは最初からあったんです。やけに目をかけてくれたっていうか……。直々に異能の手解き受けたし……」
「……」
「だから今回の話が出たときは『ついに来たな』って。これだったのか、って思いました。嫌だとか変だとか、そう思うのなんていつもだから、わざわざ逃げるほどのことじゃなくて、あとは、ただ、流されて」

 初めて人を殺した日に。下手したらもっと前から。薄暗い、生臭い、この道を歩くんだろうな、とだけ思って、悟って、確信して、諦めていた。だから踏み出せた一歩もあったし、だから踏み外した一歩もあった。
 正義でありたいわけではない。何がしたいかなんて明確ではない。篠さんの負担が少しでも軽くなるように振る舞いたい。倖貴のことばかりを鬱ぐ言い訳にしたくない。人間や命への嫉妬を含んだあこがれがある。ごちゃまぜの均衡が静寂を保った。私は。
 どうして。
 やめよう。問うのは。
 どんな答えをこじつけても、罪から逃げることはできない。それだけわかっていれば、私は大丈夫。

「……」

 沈黙が降りる。きっと糾弾の目が私に向いているだろう。ただ流されて、で仲間の命を奪われた人の気持ちなんて私には想像もつかないよ。だって奪われたことがない。奪ったことと、失ったことがあるだけ。

「私は答えましたよ。鹿俣さんは?」
「……」
「……」
「はあ……。居候してたんだ。理子の家に、お前くらい小さかったころ」
「へえ」
「俺が勝手に出ていった。理子がどう思ってるかは、わからない」

 抑えた声だ。じっとやり過ごさなければ溢れてしまう何かを感じさせる声。

「わからない……理子が今、何を考えてるのか。本当に。もし、もしもだ、このところ起こった『全部』を理子が差し向けたんなら――、もしかしたら、きっと、あいつがやりたいのは、俺に見せたいのは、十四年前の繰り返しだ」

 十四年前。最初の話にあった、私とよく似た殺しの天才、が、亡くなったという年のことか。碧さんが生まれた年でもある。
 何があったのか私はもちろんなにも知らない。問うかどうか、口を開いた、瞬間。
 轟音が響いた。


2022年8月8日

▲  ▼
[戻る]