見上げた空のパラドックス 37 ―side Aoi― 辿り着いた。 古い地図帳をめくり、インターネットを彷徨い、何もわからず結局やっぱり身ひとつであちらこちらへ乗り込み、聞き込みを行っていた。鹿俣さんの率いる組織の全支部を回った。そんなことも知らないのかよと不快そうに笑った何人かが口を割ってくれた。 ――サウンズレストの起源についてだ。 「なあリョク、このガキなんなの」 「最近その辺で拾ったサウンズの上層部の身内」 「は。人質のくせに元気すぎんだろ。ガキ苦手なんだよなー」 「悪かったって。つまみ出しとくよ」 「頼んだぜー」 鹿俣さんは長にも関わらず構成員からは名前で呼び捨てされている。だらけたようなフランクな空気感はどこの支部を訪ねても同じだった。でもオフィスは綺麗に片付いていて、常に人が動き回っている。どこも普通に表向きの仕事があり、簡単な事務処理を請けていたり清掃業者だったりする。かならず社宅があった。 「鹿俣さんは表向きなんの仕事してるんですか」 「無職」 「そうですよね」 「いちおう本部の所長ってことになってるが。なんもした覚えないな」 「本当にあなたみたいな人とお会いできてよかったです」 「そうかい」 「本心ですよ」 情報収集はこの組織の業務の大半を占めていた。働くことであちらこちらへ人を送り込み、契約取引という正規のルートで不正に情報を集め、本部では構築したデータベースの解析をして、そこで必要と判断されればエージェントを送り込む。そういう体制で、驚いたことにサウンズレストよりも長く運営がなされていた。組織は表の営業所ごとに呼び名が異なり、裏でのまとまった名は持たない。 データが見たいと駄々をこねれば無理と一蹴される。見たきゃ大人になってうちに就職するんだな、と冗談めかして鹿俣さんが言う。場合によってはちょっとアリだなと思った。どこの支部へ行ってもみんな表情がいいから。せかせかと切羽詰まった顔をしているような人はいなかった。危ないことをしていて、明日にも殺し屋が来るかもしれないはずなのに。 「サウンズなんてみんなの目の敵だよ。ガキどもがぽっと出で好き勝手しやがって」 「十年前ってこの営業所はもうあったんですよね」 「今より大きかったんだぜ。サウンズに人がとられてんだ。あっちの方が待遇いいらしいけど、絶対信じねえ」 社会内に潜在する異能者の発見、監視、スカウト、吸収。それがサウンズの役割の第一だ。危険性の高い力の持ち主ほど優先度が高いというが、そんなのどうやって調べているのだろう。 そうしてあちらこちらで質問をぶつけているうちに辿り着いた。 「えっお前異能者なのに知らないの? 最近のガキはダメだなあ、こりゃ」 「すみません、教えてください」 「サウンズっつーのは国の異能研究所の後釜だよ。ここにも何人か研究所がサウンズに渡されるとき逃げてきた奴いるんだぜ。ひどかったんだから」 研究所。 国家機密がこんなところでだらだらと喋られていていいのだろうか。それとも裏で生きる異能者の間では本当に常識なのか。 けれどよくよく考えてみれば合点がいく。行政機関やそれらに近しい施設で、私はよく利用を断られるのだ。どこにそんなデータベースがあるのか、誰が構築して管理しているのか。逆に異能者を受け入れてくれる病院があるのはなぜか。 調べれば調べるほど、向かう先が未知の巨大なものであるという認識は強まっていった。 異能研究所は世界隊が裏社会に台頭していた頃にもひっそりと運営されていた。あの時代の異能者にとっては国に見つかってしまうことが最も大きな不安だったという。ひとたび捕捉されれば検査入院を強いられ、二度と自由に外を歩くことができなくなると。脱走と自殺が頻発していたらしい。 「どうしてサウンズレストに変わったんでしょうか。収容管理じゃ手に追えないから、殺すことにしたのかな……」 「そうだな。異能者をひとつところに集めてストレスを与えて生活させるなんて、ろくなことにはならねえだろうさ」 「……あまり考えたくないですね」 あとは、そうだな。 自分でまとめたノートを読み返す。拙い字がびっしりと調べたことを散らかしている。字が汚くて私以外読めないのではと思う。 「たぶん時期的に世界隊解散が直接の原因ですよね。うまいこと隠れてくれてた異能者が、手に追えないほど表に流出したんだ……」 鹿俣さんは相槌を打たなかった。否定されなかったということはある程度妥当なのだろうから事実としてノートに加えた。 ぐるぐると聞き込みと憶測を積み重ねていくと、半分は仮説で半分は事実だろういびつな年表ができあがっていく。 時系列を整理する。 2000年ごろまで、世界隊と異能研究所が水面下で異能者を取り合いながらも表社会への大きな影響はなく、均衡を保っていた。 2001。6.21。世界隊が大規模な殺人事件を起こしニュースになる。隊を警戒する動きが活発になり、研究所は積極的に隊の力を削ぐため異能者の吸収を拡大させる。ここから異能者を取り巻く状況は厳しいものになり、不安が高まっていく。 2007。8月から年の暮れにかけて解散騒動により全国の世界隊支部に警察が押し入る。捕まるものもいれば逃げるものもいた。ここで相当数の異能者が捕まったと考えてもいいし、相当数の異能者が逃げたと考えてもいい。不安の高まりは最高潮だろうし、色んな悪いことがあったろう。ちなみに私が生まれた。 2009。鹿俣さんの率いる組織が本格始動する。昔は表側の体制のとおり、別々の業種の別々の事業所だったが、どこも内部に異能者がいて、情勢に怯え、鬱屈していた点が共通していた。鹿俣さんがそれぞれ声をかけてまとめあげ、世界隊の後始末をするというひとつの目的で動き始めた。 2011。サウンズレストエンターテイメント開業。初期メンバーはかつての異能研究所にいた者たちと桧理子、それからたぶん辰巳さんだ。社会に流出し暴れている異能者を大慌てでひとりひとり吸収し、吸収できない者は殺した。兄がサウンズに加わったのもこの年だ。私は、入院していた。 2014ごろ。世界隊解散後の動乱から街の底にひしめき特別に危険とされていた小組織がほぼ壊滅する。このくらいから少し情勢が安定してきた、と皆が実感として語っていた。兄の功績も鹿俣さんたちの功績もかなり含まれていると思う。私はのほほんと学校に通っている。 2021。現在は危険な組織が育つ前にサウンズレストが芽を摘むという形で小規模の殺しが頻繁に行われ、これでほぼほぼ安定の時代が来ているそうだ。鹿俣さんたちの仕事はもう滅多にないらしい。 「……そろそろ来そうですねえ。ここに刺客」 「だろ。お前は聡明だよ、美山」 何日も何週間もかけてまとめあげたそれを鹿俣さんに提示すると、なぜか少しうれしそうにされた。 「なんですか。にこにこして」 「よく勉強するのはいいことだよ。自分で考えるのはもっといい」 「え急に褒めんでください。子どもへの子ども扱いにも限度ってもんがありますよ。親じゃないんですから」 「そこまで言う? 悪かったよ」 「で、つまりこれでほぼ合ってるってことですか?」 「どうだかな。俺も全部を詳しく知ってるわけじゃないから」 私は各支部の人に質問というちょっかいをかけては煙たがられる生活をしばらく続けた。たまにお前暇だろとオフィスの清掃を手伝わされることもあった。気だるげな空気はなんだかんだで居心地がよく、邪険にされているのか歓迎されているのかだんだんとわからなくなった。鹿俣さんは組織の人とはだいたい他愛もない軽口を叩いて過ごしていた。たまにごっそりと人のいなくなることがあって、そういう日は少し空気がビリビリして、鹿俣さんが携帯端末を手にあちらこちらへ電話をしている。かと思えば、私に帰れと厳命して、最寄駅まで送って、そのままどこかへ行く。ついていかせてはもらえない。お前は死にたいわけじゃないんだろ、と、鹿俣さんは真面目くさった口調で言い含めるのだ。そんな日の翌朝となると夜型の彼はひときわ眠たそうで、だらだら出勤すると事業所の人たちからわらわらと差し入れが入る。私もちょっとお菓子を分けてもらった。 「慕われてますよね、鹿俣さん」 「リョクは慕われてんじゃねーよ、可愛がられてんだ。こーんなちっちゃかったんだから」 「やめろよ。今はちっちゃくねえだろ」 「ほうらムキになる。クソガキ」 本部には特に鹿俣さんと十数年を共にしてきたという人が多い。遡って計算してみれば確かに、鹿俣さんはずいぶん子どもの頃にこの組織をまとめたことになる。だからだろうか。私みたいな子どもの無謀を軽く見ないでいてくれるのは。 なんにしろありがたい環境に身を置かせてもらっている。 数週間でぼろぼろになったノートを、私は焼いて灰にしてから棄てた。大事なことは頭にだけ入っていればいい。情報を残すのは危険なことだ。 そろそろ冬になる。調べられそうなことはひとしきり調べたから、そろそろ進まなければならない。だらだらとオフィスの掃除を手伝いながら、これから何をすべきか、考えている。 2023年11月7日 ▲ ▼ [戻る] |