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見上げた空のパラドックス
34 ―side Aoi―

 世界隊についてを調べ直している。
 学校の社会科の教科書にはかならず載っている。6.21や解散騒動のはじまりである青柳俊の命日は覚えさせられてテストにも出る。でも学校で習うのはそこまでで、事件の詳細や『遺書』の内容なんかは語られない。ましてや、世界隊がかつてこの国の異能者の行く末として最後の砦であったことなどは、徹底して隠されている事実だ。
 本屋へ立ち寄れば未だに世界隊についての考察や議論を繰り広げている新書が一冊くらいは見つかる。私は本を読むのがあまり得意ではないのだけど、自分には目標があるのだと思えばどうにかぱらぱらめくるくらいのことはできた。近隣の本屋と図書館をはしごして情報を集め、学用品のノートに気になったことを拙くまとめて、ひたすら考えて。鹿俣さんに会ったら考えたことを確かめるため質問をする。このところはそうやって過ごしている。こんなにも本気でお勉強をしているのは人生で初めてのことかもしれない。
 鹿俣さんは、相変わらず私に何かを積極的に教えようとはしないけど、私が自分で調べて考えたことに関しては認めてくれた。一般に出てる情報なら隠しようがないからな、とぼやいていたから少し悔しくはあるけれど。私の勝手な予想でしかなかった過去の異能者の行方についても、気が重そうにうなづいて、そうだよ、ちゃんと調べてるな、と言ってくれた。

「俺はぜんぜん詳しくないが。当時の異能者のことは。世界隊でもエラーはごく一部の支部にまとめて隠されてたんでね」
「……鹿俣さん、やっぱり世界隊の人ですよね?」
「どうだかな」

 わかりきったことを聞いてみればこれはやはり濁される。ほとんど肯定と受け取っていいのだろう。二十年前は雨だったと言っていた。2001年6月21日、彼は、そこにいたのだ。年齢を考えれば、かなり幼いころに。
 わかっていて深く突っ込むのはむやみに傷つけることだ。私は話を逸らすことにした。

「……昔って、今よりも異能秘匿が厳しい気がします。どこにあたりつけても情報がなくって」
「今は緩いみたいな言い方だな」
「今は、緩くはないと思いますけど、広く共有されてるデータはありますよね。私決まった病院以外行くと断られますし。前に学校の先生が児相に私のこと言ったら対応拒否されたみたいでした」
「しれっと言うな。お前も苦労してんだな」

 世界隊について追っていくうち、私の関心は少しずつ社会内における異能者という存在の位置付けへと移っていった。現状のことなら鹿俣さんにつきまとうだけでもほんの少しわかる。異能者はやっぱり表で満足な生活を送ることが難しくて。孤独同士が出会えば結託する。日夜アングラで乱立していく異能者による小集団の数々。中でも反社会的な思想を持ったものがあれば治安維持を名目にサウンズレストによって狩られる。そこまで危険性のない組織でも、いつ変わってしまうかわからないから、多くの諜報員によって常々監視を受けている、らしい。
 鹿俣さんの率いる組織は殺しもするところだから、サウンズからすれば駆除対象だ。鹿俣さんは何気ない口調のままで言った。

「十年も泳がせてもらえて、ありがたいさ」
「……サウンズはどうしてあなた方を見逃しているんですか?」
「俺たちのやってることが半分やつらを手伝ってるからだろう。損得を勘定したら、俺たちに任せたほうが早いケースがまだあるんだろうな。……それがなくなったとき、きっともうすぐ、刺客が来るんだ。お前の兄かもしれないが」

 死の危険がある話なのに、彼の素振りには少しも陰りがなかった。赤い目は暗くまっすぐなまま。それが当然と割り切ってしまっている。甘やかされて育った私に、彼の気持ちはわからない。百人もの死の現場に幼くして居合わせ、今もトラウマを引きずりながら、世界隊を滅ぼすと豪語し何年も自覚的な悪事を続けている、そのくせ無知な子どもひとり見捨てられない、彼の気持ちは。
 けれど割り切ることは私も得意だ。
 私も今、日々、死のリスクと隣り合わせにいる。知れば知るほど実感は強まった。そして確信が深くなる。つくづく、私だけが安全な生活をしていたことは、おかしい。異能者に生きる場所はない。人権は与えられていない。武装組織によってかならず監視され、少しでも危険因子と見なされれば殺される。さもなければサウンズレストに属して『治安維持』を一緒にやるかだ。選択肢はそれだけ。自由はない。それが普通だ。今この世界はそういう風に回っている。
 だとしたら臆さない。

「サウンズのこともそろそろ調べないとですね」
「戻れないぞ」
「戻る気、ありませんから」

 サウンズについて今の私が把握しているのは、何をしているか、だけだ。十年前、私たちが東京へ越す数か月前から始まった会社運営。その起源を、意味を、知ったほうがいいはずだ。
 兄や辰巳さんに聞くという選択肢はなかった。私がこうして鹿俣さんといることが何かの拍子で知られたらよくないことが起こるだろうから。

「鹿俣さん。私を守ってくださいね」

 赤みがかった目を見上げる。彼はいつも飄々と淡々とした態度でいるけど、こういう時はほんのわずかに動じることを、私は知っている。

「無理。……って言われたらどうすんだよ」
「もちろん一人でやりますよ。鹿俣さんみたいな詳しくて優しいひと貴重なので惜しいですけど」
「そーういうとこだからな。いつか痛い目見る」
「いっつも聞いてる忠告ですね」
「いっつも言わないとお前は忘れるよ」

 思う。私の為そうとしていることはきっととてつもなく無謀で大きなことだ。異能者である私の兄に平穏なんてそもそもあるはずがない。ないのなら、障壁をすべて壊して、一から作らなければならない。何に挑むことになるのだろう。何に挑むことになっても、私が、動けるのだから、動かなければ。
 この間違った平穏の加護の中で。
 知らなければならないことが多すぎる。


2023年11月4日

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