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見上げた空のパラドックス
31 ―side Shino―

 互いに息を整える。
 サウンズレスト本社ビル地下演習場。いつも冷たい場所だが、今日ばかりは暑さを感じて上着を脱いだ。

「あんた女の子だよな」
「どういう意味ですか」
「褒めてるよ」

 模擬戦というのをやってみていた。件の初任務で少女の立ち回りがうまかったからだ。ナイフを模した紙を丸めただけの棒が汗で湿ってきている。
 殺しと戦闘は当然のことながら必要な技術が違う。俺が口酸っぱく教えた持論で言えば、殺しをするなら戦闘はどう考えても避けるべきだ。余計なリスクがあるし、動くだけ消耗してしまうし、掃除も大変になる。できるだけ敵の動きを止め、不意を突き、素早く一方的に済ませるのが理想形だ。彼女の仕事振りはそういう意味でベストではない。戦わないやり方をもっと教えるべきなのかもしれない。
 とはいえ向き不向きがある。彼女は体格のせいか一撃で済ませるというのは不得手なようで、体力はあり、かなり動ける。それならまあこのまま伸ばした方がいい。俺はそう判断した。
 めっちゃ疲れる。
 間違っても殴りたくないし。

「はー……神経使うわあー……」
「少し休憩しますか。私飲み物買ってきましょうか」
「んーん。一緒に行こ」
「はい」

 しばらくやりあってもちょっと息をついたくらいで彼女は涼しい顔だ。不老不死の性質なのか元来の体力なのか、実は主に後者なのではないかと疑ってしまう。
 彼女はとかく動きが軽く速く、精度は甘いが手数が多い。負けたと思う瞬間はとりあえずなかったにしろ、素養はひしひしと感じる。目や耳がいい。自分の死角や周りの空間のかたちをよく理解していて、気配に敏感に反応する。正面の力で押しきればともかく、騙し討ちが効くタイプではない。俺とは相性が悪い。彼女がまだ小柄な少女でよかった。
 そういうわけでこの模擬戦は俺の訓練でもある。

「なんかやっぱ、あんたの方が判断が早いよな」
「そうですか? 全部避けられてますけど」
「避けるってことは後手ってこと。どうやって動いてる?」
「……勘で……」
「そやろなー」

 これだから天才は理解不能でよくない。
 苦笑して、いつもの休憩室で自販機のボタンを押す。温かいものが多く並んでいるが、とりあえずは冷たい水を。彼女は少し迷ってフルーツジュースを買った。こういうところが子どもっぽいとなんだか少し安心する。

「篠さん、別に手加減しなくても大丈夫ですよ。やりにくいでしょう」
「手加減しなくてもやりにくいよ。あんた強いもん」
「体力で雑にごり押してるだけです」
「うん、そう見える。雑さが抜ければ良いな」

 傍らのベンチに並び、ぽつりぽつりと反省会を開く。休憩室は閑散として、自販機の低い駆動音がはっきりと聞こえている。

「俺もあんたくらい即断で身体が動けばなあ」
「十年負けなしの人がまだ上を目指すんですか?」
「俺は戦ってないだけやって。喧嘩は苦手だよ」
「私も喧嘩なんてしたことありません」
「才能かー」

 手や足を出すことにコンマ一秒の迷いもないくせに恐れ入る。やっぱりスポーツ経験なのかな。俺は最後にスポーツらしいものをしたのが十年以上前で、ほとんどやった記憶もないし。喧嘩にはよく巻き込まれるけど。

「しかしあんたは軽いのに距離をとらんからよくないな。助走がつけられるならつけた方がええよ、せっかく足速いから」
「はい」
「ってもそんな走れるほど広いとこでの仕事はないと思うけど」

 おのれの反省と教え子への小言を半分ずつ。汗が引くまではそうしていて、落ち着いたらまた地下へ降りる。恐ろしいことにこれを繰り返す度に彼女の動きは確実に精度を上げてくる。集中力がいくらあっても足りない。疲れないのかと聞いてみれば、身体を動かすのは楽しいので、と返されるからやれやれだ。
 等間隔に並ぶ薄白いフットライトを決まったルートで沿って、荷物を置きっぱなしの演習場区画へ。だらだらと、特段の予備動作はなく向かい合う。紙片を拾って息を吸う。
 初動はいつも彼女が先だ。鉛色のコンクリートを蹴る瞬間しっかりと腰を落とすからいつも小さい体躯がさらに見えにくくなる。ひとまず飛び退いて初撃をいなすところまでがセット。彼女は紙片を振り抜いた勢いのままさらに体勢を下へ、隙を作らず加速する。一秒たりとも迷わない猛攻。俺にも迷う暇がない。逃げて間に合う距離ではないから脇へ飛び込み腕を掴む。流れる方へ少し引いて離す。体勢を崩した彼女がそのまま膝でコンクリートを蹴って俺の紙片をかわし、片手を軸に大きく飛び退く。うさぎか? 退きながら俊敏に起き上がり、距離を保つよう円形に駆け、加速度を確保してくる。いいじゃん。俺は向かうよりも離れる形で駆けた。回り合う。相手がどう仕掛けるかわからないときは少しでも離れて考える余裕を作っておく。消極的なのはわかっているがこれもやり方だ。描く円は徐々に小さくなって互いの紙片が触れた。ぎゅうぎゅうとなるべく固めて作った棒だがすっかり柔らかくなっていけない。あとで作り直そう。息を吸う。触れ合った刃が滑る。嫌な予感がして後ろへ身体を倒した。落ちた姿勢をひねって逃走する、ような素振りで足払いを狙った。彼女は跳んで避け、落ちるまま紙片を振りかざす。俺は無様に転がって間一髪。少女の手首を掴む。離さぬまま立ち上がってうなじを押さえたら終了だ。取り落とされた紙片が軽い音を立てて床に跳ねた。彼女は落ちた得物を目で追って自嘲するように笑う。

「またすぐ負けちゃいました」
「よくなってるよ。すげー嫌な感じがした」
「あまりうれしくありませんね」

 汗に濡れもしていないうなじから手を離した。柱の影に置いたボトルを取り上げ、半分ほど残っていた水を喉の奥へ流し込む。少女はこの短時間程度では息を上げもせず、のんびりと美味しそうにジュースを減らしている。

「あんたくらい余裕あったら一対多でもちょっとはやれそうだよな」
「……それは、いいことですね」
「いいことか。まあ、仕事上はな」

 サウンズレスト社の駆除対象は主に組織だから、今の俺のように諜報がメインならまだし、殺しだけとなると個人相手の仕事ばかりではない。俺も彼女くらいの年の頃は立て続けに組織相手の殲滅任務が入っていて、毎日マジで死ぬかと思ったものだ。
 しかし、やはり振り返ってみてもここまでがっつり戦った経験はそう多くなかったように思う。俺の力が無力化に向いているのもあるだろうが、そもそも子どもが大人と命がけで喧嘩をしたら普通は死ぬに決まっているので。全力で争いを避ける。

(死への恐怖が無ければこうなる、か)

「……あんたも倒れはするんだ、無力化は覚えとくべきだよ。多勢とやりあうなら」
「はい」
「まあ身内で人体実験するわけにいかんから、ゆくゆく仕事で試すようかな。とりあえず、実戦でこんだけ動けたらこの前みたいな簡単な仕事は問題ないと思う。てかあんたは実戦の方が動くしな」

 慣れるまでは、やっとこうか。
 ボトルを空にして言うと、少女は素直にうなづいてボロボロの紙片を手に取った。ひとまず補強しないとな。

「持つもの、もう少し重いのにできませんか」
「当たったら痛いからやだ」
「当たんないじゃないですか」
「俺にそこまでの自信はないよ」
「何回やっても当たる気がまったくしませんよ」
「んなことないって」

 今日は疲れてよく眠れそうだ。夜も仕事だが。


2023年11月1日

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