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見上げた空のパラドックス
25 ―side Aoi―

 雨が降ったから鹿俣さんに電話をかけた。

「こんにちは美山です。起きてましたか?」
『起きてなかった』
「それじゃ、おはようございます。今日は私行かない方がいいですか?」
『そうだな』
「行きますね。本部でよかったですか?」
『……人の話聞いたことあるか?』
「鹿俣さん、雨の日ほんとにぼんやりするんやもん。余計なのがいた方が気が引き締まるでしょう。いま駅です。迎えに来てください」

 通話が切れた。たぶん向かってくれているだろうな、と思いながら駅中のカフェで紅茶をすする。
 鹿俣朸。しばらくつきまとって彼のことは少しだけ知った。異能者のひしめく裏社会で無能力にもかかわらず中規模の組織を率いているすごい人。サウンズレストとの接点は少ないが、強いて言うなら狙われる立場、らしい。
 サウンズレストの仕事は、異能者の発見と吸収、それから組織だった異能者集団を殲滅することだ。いっぽう鹿俣さんの組織はというと、異能の有無を問わず、世界隊から生き残った残党や、思想を継ごうとする団体を見つけしだい始末している。
 ――世界隊。かつては大きな全国組織で、独自の思想をもってテロ行為や殺人事件を頻繁に起こしながら、社会からこぼれた者を異能者も含めて吸収していた。関係する死者数や行方不明者数はゆうに数万とも数十万とも言われている。私の生まれた日、世界隊から逃亡したある少年が自決による告発に成功して、解散に追いやられた。

「6.21のことは知ってるか」

 三度目に会ったとき、鹿俣さんはひどく嫌そうな顔で問うた。私の詮索がしつこいから折れてつきあってくれたわけだけど、あまりに気が乗らなそうで、少し申し訳なく思った。

「教科書に乗ってますよ。20年前の大量殺人事件ですよね」
「ああ。この国の裏の話が知りたいんなら、世界隊のことはよく勉強しておくんだな。どのくらい知ってる?」

 世界隊は二十年前に大量殺人事件を起こした。十四年前の解散騒動と合わせて今でもニュースに取り上げられる有名な話だ。ターミナル駅のプラットホームが一面血の海になり、百人弱もの命が奪われたと。
 青柳俊。
 この国になんとなく生きていれば名前くらいは覚える。かつての大量殺人事件の生き残りで、世界隊を滅ぼした英雄の名前だ。

「教科書以上のことは知らないですけど……8月5日。私、誕生日なんですよ」
「へえ」
「だからなんとなく気になって。近いし、資料館には行ったことあります。あそこ、すごいですよね。きれいなビルのエントランスに慰霊碑が並んでるの、不思議な感じがして」
「……今はそうなってるのか」
「鹿俣さんは行ったことないんですか?」
「中に入ったことはな」
「へー」

 かつて世界隊の本拠点だったビルは今となっては資料館として一般公開されている。一連の事件にまつわる記事やデータ、被害者の手記なんかが展示され、二度と繰り返すまいものとして強調されている。それほどにまで世界隊が引き起こした死は大規模だったということだ。

「俺たちはさ、」
「はい」
「世界隊を滅ぼすために活動してるんだ」
「……もう解散してるのに?」
「あの頃に戻りたいって言うバカな生き残りも、関係ないくせに影響を受けたバカな奴も、まだまだ残ってるから。そういうのを、説得したり、邪魔したり、殺したりしてるんだよ」

 そうなんですね。
 どうしてそんなことを?
 あなたと世界隊にどんな関係が?
 問うてみれば答えは返らなかった。何度さりげなく聞こうとしてもだめだった。彼は世界隊の話になるとどこか瞳の奥を暗く鋭くする。過去に何かがあったのだろうとはさすがに察するも、私とて情報収集が足りないうちは引き下がれない。どこまでだってついていく。兄と好きな人を救う手だてが見つかって、それが実行できるまでは。
 ゆったりと嗜んでいた紅茶のポットが空になったころ目当ての人物が改札を通るのが見えた。私は食器を下げて鹿俣さんに片手を振る。くすんだ赤毛にちょっと寝癖がついている。

「おはようございます鹿俣さん」
「ひどい起こされ方をした」
「寝癖ついてますよ」
「誰のせいだろうな」

 ホームへ向かい歩き出す。鹿俣さんは眠そうだ。しかしなんだかんだ待ってると言うと来てくれるので、甘やかされていると感じる。

「無視したっていいのに、どうしてすぐ来てくれるんですか?」
「お前ほっとくと妙なところに突っ込むだろうが。下手に知識ついてるつもりなぶん前より危ない」
「ごもっともで。……つもりにさせてるのはそっちでしょうに」
「だから泣く泣くお子様のおもりしてんだよ……」
「はい。いつもありがとうございます」
「ちゃっかりしてるよなあお前」

 ここしばらく鹿俣さんについて回って、ずいぶん裏社会のことには詳しくなったつもりでいる。そう、つもりだ。連れ歩いてはくれるけどそれだけで、当たり前だろうけれど深い話を聞かせることや決定的な場面に触れさせることは避けているのが見てとれた。仲間との必要な連絡はこそこそと電話やメールで行っているようだった。
 不服ではある。やっぱりみんな私だけを安全なところへ留めようとするんだ。自分は闇の底にいながら、当然のように線引きして、私を光に置き去っていく。苦しみさえ伝えてはくれない。

「私はもっと、闇の底が見たいのに」
「俺がそれを許す奴なら、お前はとっくに死んでるよ」

 彼もなかなか折れてはくれない。
 どうすれば、もっと深くに。

「なあ。わかるか。俺みたいな無能力者が異能者を殺すには、まず異能を封じるんだよ」
「はい。そうでしょうね」
「つまりな、冷静さを欠かせるってことだ。精神的に取り乱せば、異能はうまく扱えなくなる」
「はい」
「……わかってくれよ。俺の仕事は、そこから始まる。見ちゃいけないよ」

 彼は真摯な目をして言った。
 決して立ち入らせてもらえない。どうすればいいかなんてわからないから、私のすべきことはともかく手がかりを探ることだ。とりあえず、なるべく多く会う。
 プラットホームに降りると外は霧雨で曇って見えた。隣を歩く鹿俣さんを見上げる。寝癖を片手で押さえうつむいている。

「……大丈夫ですか? 戻って少し休みますか?」
「あぁ……」
「生返事」
「うん」
「どうしてそんなに雨が苦手なんですか?」
「……」

 湿った風が細やかな水滴を浚って吹き付けた。服が微妙にじっとりして、肌寒さに身震いする。私だってこういう不快な雨に平気な顔はできないけれど。彼のそれはやはり異常だ。
 電車を待つ。平日の昼間だから人は多くない。

「……雨、だったんだよ」
「……え?」
「二十年前……」

 彼は小さな声で答えた。
 私はまばたきひとつ、そうですかと言って霧雨を見上げた。


2022年4月21日 2023年10月14日

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