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見上げた空のパラドックス
22 ―side Tatsumi―

 義母が何を考えているのか、わかったことは一度もなかった。
 いや、きっとずっとあのひとを愛しているのだろうが、それこそ俺にはわかりたくもない話だ。
 だってあのひとは俺たちを捨てて出ていったじゃないか。学校へ行けなかった俺に知識を与え、自身も熱心に世界を見て、口癖のように現実と正義を語ったくせに。最後は間違った選択をして、家族のもとを去った。
 父と呼んだこともあるあのひとがあんなにも残酷な選択を取れるのなら、もう誰も信じられないと、幼心に思った。今はそこまで思い詰めているつもりもないが、それにしたって、義母の不気味さは別格だ。
 桧理子。
 国中すべての異能者を管理する実権を持つ彼女を、恐れない奴もいないだろうが。

「母さん」
「辰巳! お疲れ様ー」
「……おつかれ」

 退勤時を狙って会いに行った。裏口から寂れた路地を歩く義母は、俺を目に機嫌よくひらひらと片手を振る。

「珍しいね。うちに寄る?」
「いや、駅まで」
「そう」

 問えば答えてくれるのだろうか。
 聞きたいことは山ほどあった。ここ最近のことでも、それより前のことでも。だがどうしても聞かなければならないことはひとつだ。

「碧、どうしてる?」

 心配しすぎとは自分でも思うが。
 じわじわと連絡が取れなくなってきていた。毎日メールをくれたのが、1日置きに、2日置きに。篠への空メールによる安否確認はできているというのだから、なおさらたんなるお節介なのだが。
 気になるものは、気になるだろ。

「私にそれを聞くのね? 本人に聞けばいいのに」
「あいつは大丈夫としか言わねーよ」
「嘘をつく子でもないわ。美山くん、本当によく育てたよね。もう家のこともお金の管理もできる。碧ちゃん、いいお嫁さんになるわ」

 それは、まあ、そうだけど。
 論点はそこじゃない。
 困ったら連絡しろと約束した以上、碧はちゃんと困ったときは連絡してくれるだろう。が、困るの定義が双方で一緒とは限らない。彼女がたった一人で学校にも行かずどう過ごしているのか、不明瞭なのは確かだった。

「ごはんは食べてるみたいだし、そこまで心配することないんじゃない。だいたい、『繋がってる』あなたがいちばん碧ちゃんの状態わかるでしょうに」
「……」
「普通に、寂しいって送れば? 毎日連絡くれるようになるよ」
「キモいから却下」
「そうかなあ」

 義母はくすくす笑った。
 個人的な感情もどうせ見透かされている。なれっこだ。義母は見透かしたところで不必要に踏み込むことがない。そこだけは信用できるので構わない。

「……碧ちゃん、隠し事はあるよ。確かに」

 秋の乾いた夜風がビルの隙間を通って鳴った。同じ温度の声で義母は言った。

「当然よね。私にもあなたにも美山くんにも、隠し事くらいある。心配なら、踏み込みたければ、本人に聞くことね。あなたの思う通り、あの子はきっと口を割らないけれど」
「……」
「元気で暮らせてはいる。それだけが、私からも言えること。これでいい?」

 翡翠色の目が細まる。街灯が薄白く夜道を照らす。
 これでいいわけないだろ、と思う。何故みんな平気そうに日々を送っているのだろう。
 碧が俺たちの仕事を知った。篠が俺の家に転がり込んできた。碧は俺たちを嫌がらないまでも頑なにはねつけ、一人で暮らしている。そんな頃合いに見知らぬ少女が現れた。篠の仕事に緊急のものが増えた。少女への処遇もどこか差し迫っている。何かの流れがある。不審に感じるのは俺だけではないはずだった。

「何が起きてるんだ」

 曖昧な問い方をした。義母は即答する。

「まだわからないわ」
「……」
「逆に聞かせて。辰巳、青空ちゃんのことどう思う?」

 やっぱりかと思う。
 何がイレギュラーなのかは明らかだ。

「似てる、よな」
「同じだもの」
「同じ?」
「まったく同じ。私にはそう見えるの。おかしいわよね。顔も人生も、何もかも違うのに、心だけが同じ形をしているの」

 駅に近づくにつれ裏道にも街明かりが増えていく。踏切前にはちらちらと自殺避けのブルーライトが点る。
 あの少女のことを思い出す。薄栗色の短髪にいつもひとすじの青いリボンを結わいている。何かを堪え忍ぶような、もしくは諦めたような、抑えた声で訥々と話す。明るい花色の目だけがまっすぐに澄む。
 具体的に何がとは言えないが、そのすべてが碧と重なった。何もかも違うことは頭でしかわからない。
 電車が過る。轟音が吹き荒ぶ。

「だからね、どう思う?」
「どうって」
「青空ちゃんには仕事をしてもらうわ。嫌だって思う?」
「当たり前だろ、人として」
「そうね。個人的には?」
「……つまり?」
「似ているからうっかり感情移入してしまう。そういうことは、ない?」
「ないとは断言できない」

 踏切の凹凸に足を取られないよう下を向いて歩いた。

「……篠ほどじゃないけど」
「それも、そうね」
「篠もさ、大丈夫なのかな。ずいぶん入れ込んでるようだが」
「どうかな。でも、一人くらいそういう人がいた方がいいわ。青空ちゃんには誰もいないもの。家族も友達も、軽口が叩ける人も、笑顔を見せられる人も」

 背後で踏切が閉まった。

「辰巳。きっと、美山くんは近いうちに傷つくことがあると思うけど。よろしくね」
「……まさか。高瀬に入れ込んでるからってこと?」
「さあね」

 血の気が引いた。
 高瀬のことになるとやけに乱暴だとは思っていたが、やはりこの人はわかってやっている。義母はあの少女を使った何かを企んでいる。それもたぶん、そこそこ残酷な。
 碧のことも結局わからないままだ。彼女が今も健康なのは最初からわかっている。そのうえで何を思ってどうしているかを問いに来たのに、のらりくらりとかわされてしまった。
 明かされたのは、篠がきっと痛い目を見るだろう、ということだけ。
 最悪だな。

「……篠が傷つくのだって俺は嫌だよ」
「避けられないよ。美山くん、もう青空ちゃんのこと、相当気に入っているしね。それに……私は美山くんを守りはしないわ。契約だもの」
「はぁ……」
「逆に言えば、そういう契約だから、碧ちゃんのことは私も守るわ。碧ちゃんに何かあったらすぐ連絡する。安心して?」
「……」

 駅に続く階段を並んで登る。義母には似合わない高価なパンプスが鳴る。
 早く帰ろうと思った。碧のことがわからないならわざわざ会った意味もない。俺の親友をボロ雑巾のように使い潰す義母と、長く共にいたくもない。
 何より篠に言わなければならないことがある。もうとうに無駄なのかもしれないが。
 高瀬にあまり入れ込むなよ。


2022年4月18日

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