[携帯モード] [URL送信]

見上げた空のパラドックス
視線

 無数の目が私を見る。目覚めは痛みをともない、幻覚はまざまざとしていつまでも脳裏を蝕んでいく。悪夢の底に貼りついた視線が消えることはなかった。昨日も、今日も、明日も。
 見渡すかぎり一面の蒼穹の真ん中で目を覚ましたとき、悪夢の残響が風になって冷や汗の浮く肌を浚っていく。純白の雲、雲、雲に閉ざされた青色の悠久は何も無くて誰もいなくて静かで、ひとの視線などどこにも無く、みずからの呼吸が、流れる汗の一滴までもがやけにうるさく感じるくらいだ。
 開いてしまった目を閉じて、また開いて。冬晴れの空模様の真似事を決め込む無限の球体の鏡のさなかで、息をして、また止めて。そこには時間も空間も無い。個も全も無い。白と青があるだけだった。私がいるだけだった。
 それならどうして夢なんかをみてしまうのだろう。この手の先で息の根を止めたひとの、ひとびとの、呪詛を聴くだけの夢だった。ひとは死に際となると本当に強い目をする。一瞬で奪い去られるすべてへの膨大な想いを瞳に宿して、みなが最期に私を見る。涙に濡れ、絶望に光をうしなった、黒々とした目で私を見る。美しいよ。私には二度とできない目だ。奪われたものも奪ったものも、うしなったもののことなど覚えてすらいない。感情の一欠片だって残りはしないから、私はあなたのことが羨ましい。羨ましいよ。ごめんね。どうすればよかったんだろう。苦しませたいわけがないのに。手を取って笑っていたいだけだったのに。どこから間違っているんだろう。そして次の夢のなかで目を覚ます。忘却と空虚に満たされた心象風景で、孤独を確かめては安堵して、いつかまた幾億の冬を越えて眠る。
 何ひとつ覚えてはいない。
 根拠をうしなった自覚だけを、ひとつ、手のひらに握っている。
「私は、きっと、あなたを殺したんだろう」
 髪にひとすじのリボンが揺れている。それは、私が青色を愛しいと思える、たったひとつの理由だ。癖づいたままそっと指先を触れさせ、忘れた罪の輪郭をなぞる。
 あなたのいない世界を旅して、あなたと出逢って、何度でも悪夢をみる。
 それでも、ごめんね、後悔も反省も私にはできなかった。遺せるものが、刻めるものがそれしか無いのなら、最悪な災厄だってこの空っぽの永遠に刻んでおけるのなら。罪を重ねていく。美しいあなたが、すべての記憶と感情を以てその目をむけてくれるのなら。
 どうか、ずっと、深く冥い夢の底で私を見ていて。

 目覚めを抱いて立ち上がる。世界の外側、空色の心象風景で、無限の眠りと悪夢の後で、私はかならず歩き出す。ここは青くて澄んでいて確かに美しいけれど、何も無くて寂しいから。ずっとはひとりでいられないから。ごめんね。ごめんね。あなたに出逢えばまたいつかうしなうだけの恋をするだろう。またいつか死への切望を振りかざして多くを殺すだろう。どうすればよかったんだろう。どうすればこの円環は終わるんだろう。胸が痛いまま落ちてゆく。世界を目指す。いつかどこかにいるあなたの隣で、たった一瞬でも笑いたい。ゆるさないでいてほしい。どこにもいない私の空虚を、あなたのすべてで満たしてほしい。

「早く殺してよ、誰でもいいから、私を」




▲  ▼
[戻る]