[携帯モード] [URL送信]

見上げた空のパラドックス
ジェノサイド

 私がやったんです、と少女がうなだれた。差し出された温かな手にそっと首を振って、言い逃れはしないとばかりに。生きているものは誰もいなくなった街からただひとり無傷で保護された彼女は、凍える自らの肩を抱いて、小さい身体をさらに小さく縮こまらせてたたずんでいた。
 証拠が無ければ処罰できませんか。続いた言葉がそんなものだったから、誰もが凍りついて少女を見つめた。幼い声には似つかわしくない、ひどく乾いた、淡白な口ぶりだった。

 ──ジェノサイド。
 見渡す限りの死。足の踏み場もなくコンクリートジャングルの隅々までを埋め尽くす、死体、死体、死体。おしゃれ着に身を包んだカップル、スーツ姿のビジネスマン、コスプレ姿のキャッチー、土産物の紙袋に埋もれた観光客。誰もが泡を吹き、虚ろに目を開き、肌を変色させている。辺りには焦げと糞尿のにおいが漂う。制御をうしなった車があちらこちらでひしゃげて煙をあげている。薄白い冬空だけが知らぬ振りだった。
 怪奇現象と呼んだって差し支えないだろう悪夢のような光景が、この、たったひとりの少女の手による人災だったと言うのだろうか。
 誰もが信じがたいという素振りで、けれど誰もが信じるしかなかった。
 証拠ともいえる映像がある。監視カメラにしっかりと写っていた。木枯らしの吹く街道を、夏物の薄汚れた格好で少女が歩いている。周囲からどことなく避けられながら彼女は、ごった返した人混みの真ん中で、ふと、足を止めた。その一瞬で事が起きた。
 彼女を中心に。波紋状に広がってゆく。溢れていたひとびとが転ぶように唐突に倒れてゆく。灰色の街道をいっそ美しいほど圧倒的に覆い尽くしたうねりは、茫然と立ち尽くしていたこの少女が気をうしなうまで広がり続けた。

 彼女は。
 歳の頃はせいぜい小学校高学年か、中学に上がったかくらいだろう。明るい栗色の短髪を耳だけ隠すように伸ばしている。身に着けた夏物のセーラー服は焦げや煤や埃で薄汚れている。そして、冬晴れと同じ色の目をしていた。

「何があったんだ」
 ぼくは開口一番そう問うた。きっと虐殺者なのであろう少女は今、現場付近の簡易テントの中で目を覚ましたところだ。同僚たちが寒かろうとスープや毛布を差し入れたが、彼女は黙って首を振るだけで受け取らなかった。
 テントの外では死体を片づけるため警察や自衛隊や清掃員らが動き回っている。検死も身元確認も追いつかない。保護した少女を拘束するかどうか、どこに運べばいいのか、判断する時間も人員も足りなかった。ただ、ぼくが呼ばれた。凶悪な異能犯罪への対応は、うちの専門だった。
「……証拠が無ければ処罰できませんか?」
 少女はそう繰り返した。なんの感情も感じさせないまっさらな表情だ。
「きみがやったってこと? 何かの異常な現象にたまたま巻き込まれてしまったわけではなく?」
「さっきそう言いました」
「異能が制御できなくなってしまったわけでもなく? きみが、故意を持って、きみの手で、この街を滅ぼしたの?」
「信じていただけないのなら、また殺してみせても構いません」
「やめてくれ。ただでさえ死体の処理でてんてこ舞いなんだから」
 少女は青い目をそっと伏せるとそうですねと言った。柔い栗毛が無表情の半分を隠す。
「何があったかは、話してくれる?」
 こちらも負けじと繰り返した問いに答えは無かった。彼女は息を凍えさせながらずっと何かを考えている様子だった。ぼくらはじっと待つ。答えを急かしはしない。取り締まりに来たのだとはいえ、彼女がその気になればまた誰もが一瞬で殺されうるわけで、下手に刺激しないに越したことは無いのだった。しかしいくら待てども結局それきり沈黙が続いた。同僚たちが戸惑いの視線を交わし、ぼくは見かねてひとまず今後の話をする。
「今みんなせっせと死体をどかしているよ。道が開けたら、きみを病院へ連れていく」
「……」
「処罰なり保護なり、対応が決まるまではぼくらがきみの監視につくから、困ったらなんでも言ってくれ」
 少女は対話を拒むようにうつむいて目を閉じた。抱え込まれた白い膝が小刻みに震えていた。同僚がみたび毛布を差し出したから、黙って彼女の背に羽織らせてみれば、今度は拒まれなかった。わざわざ跳ね除けるのも面倒だという素振りだった。

 てんやわんやの中、少女は異能者専門の病院へ送られた。医師も看護師もいきさつを知るとみな不信半分怯え半分の顔をする。当の虐殺者は担当医師に会釈をするほど冷静で大人しいのだから、なおさら不気味でならないわけだ。
「名前は?」
 彼女は答えなかった。私がやりました、処罰してください、それ以外のことは何ひとつ詳しく語ろうとしなかった。心理士から親しげに声をかけられても視線と会釈があるか無いかで、誰にも目立った反抗はしないにせよ誰とも対話をしたがらない。
 鍵つきの個室に入院となった彼女には可能な限りの身体検査や心理検査が施された。ところが、採血ができない。針は通るが血が抜き取れず、針を抜いても傷がどこにも無い。ぼくもこの目で見た。傷跡の残らない細腕は確かに温かく、静脈も薄く見えているのに。
「きみ、傷がつかないのかい?」
 問うてみれば小さな頷きがひとつ返ってきた。青い目は虚ろに澄んで空っぽのシリンジを眺めていた。いつまでも、何に対してもつまらなそうに同じ顔をして。
「いつから? どうしてそうなった?」
 白いばかりの採血室の片隅で、彼女はまたそっと首を横に振り、一言だけ答えた。
「もう覚えていません」

 誰が言い出したのやら、彼女はいつの間にか世間では「ジェノサイド」と呼ばれるようになっていた。毎朝どこのニュースサイトを見てもジェノサイド、ジェノサイドと文字が踊る。どこから情報が漏れたのか、犯人が幼い少女であることまで噂が流れ出し、水面下の匿名フォームでは陰謀論とオカルトが飛び交う。
 死体の海と化した街は何日経っても清掃しきれず封鎖が続いている。死者数は四万人強と推定され、倒れた者はみなが即死で誰も生き残らなかったという。病室の彼女に新聞を差し入れてみれば、ちらりと一瞥してそれで終わり。自らの起こした事件にそう興味はないらしい。

 可能な検査がひとしきり済むと虐殺者の身柄は病院から我々の機関へ移され、今度こそ厳重に拘束される運びとなった。分厚いコンクリートの地下牢に連れられた少女はなおも従順で、「食事は要りませんから」、とだけ言った。一応つけなければならない放電装置つきの首輪を見るなり本人から頭を垂れたのだからなんだか笑えた。ぼくは、少女の折れそうな首筋には不釣り合いな重々しい金属の輪をしっかりとロックして、柔い栗毛が挟まらないよう払ってやった。
 ──彼女はきっと破滅に急いている。根拠の薄い勘だけれど、早く罰されたくてたまらなくて待っているかのように、ぼくには見える。だけどそう簡単ではないよ。特別待遇のうちの牢にはソファもテレビもあるから、せいぜい快適に過ごせばいいんだ。
 異能犯罪と呼ばれるケースの過半数は、実際には犯罪というより事故に近い。すなわち異能者本人の意図しない能力の暴発だ。たいていが精神的・身体的ストレスの蓄積により追い詰められた先で発作的に起こる。そもそも力を持っていたとして使い方のわからないうちはそうそう何も起こせはしない。異能者の多くは程度の差こそあれ不慮の事故を起こして初めて力の存在に気がつく。つまり、異能者という存在の驚異を最も効果的に抑える方法は、ストレスの少ない平穏な暮らしをさせること、である。また彼女のように自分の意思で自由に力を扱えるというケースであっても、負荷のかかる生活で発作のリスクが高まるのは同じであって、最大限の配慮が必要というわけだ。
 牢の中の彼女は、与えられたふかふかのベッドに横たわって、かといって眠るでもなく、声をかけられなければぴくりとも動かず、もちろん食事も摂らない、という過ごし方を選んだようだった。薄く開かれた青い目が時折視線を動かして、交代してゆくぼくらの様子を窺うだけ。
 ぼくはちょっと悔しくなってしまって、監視のシフトが回ってくるたび、動こうとしない彼女へ一方的に軽口を叩いた。事件に関する面白い陰謀論やオカルト話が見つかれば、とんだ与太だと笑って聞かせた。
 そうこうするうちに事件からひと月、一度たりとも水も食事も口にせず眠りもしなかった彼女の、髪も爪も一ミリだって伸びていない。
「不老不死の傷つかない身体。一秒で数万人をも死に至らしめるほどの強力な異能」
「……」
「世が世なら神殿のひとつやふたつ建ったね。支配者になれるよ、きみは」
 いつもの戯れ言だ。頑なに無反応の彼女に、幾度目だろう、ぼくは檻越しに肩をすくめてみせた。牢内の照明は、夜は薄暗い黄色になるが、ほかの時間帯は自殺避けのため基本的に青色をしている。格子模様の影の向こうで青にたたずむジェノサイドはまるで水族館の展示品みたいだった。窓の無い小部屋の隅、いっそう目立つ透いた空色の目が、ただただ必要なだけのまばたきを繰り返していた。

「……、あの」
 彼女が話しかけてくれたのは拘束が始まって三週間ほど経った日のことだった。ぼくはけっこう驚いて、うん、と上ずった相槌を返した。彼女は寝たきりでも衰えやしない腕でベッドから上体を起こした。
「私のこと、ここでずっと静かにさせておくことに決まったんですか」
「決まっちゃいないよ。まだまだ審議にかかるんじゃないか」
 きみはどう見ても刑法で裁ける年齢ではないし、そもそも傷がつかず飲み食いもしないきみを人間扱いすべきかどうかだって議論が要る。
「そう、ですか」
 ジェノサイドはぱっとしないなと言いたげにうつむいた。
 やはりきみは処罰を望むのか。
「決まったと言ったら、ぼくを殺してた?」
「気が向けば」
「そうか。ねえ、これはなんでもない戯れ言だけれど、当ててみせよう。きみは、死刑になりたいんだね?」
 確信を口にすればジェノサイドは呆気なくええと返して頷いた。そして、いつ聞いても淡白なばかりだった幼い声が、少しだけ揺れて、牢を満たす青い光の中へ落ちてゆく。
「ここで誰も私の死に辿り着かなければ、時期を見て次に行きます。あなた方がなるべく早く私の処分を考えてくだされば、被害が少なくて済むと思いますけど」
「もう万単位でひとが死んでるのに。きつい冗談だね、ジェノサイド」
 そうしてようやく話してくれた。死ねない彼女は死を求めていて、自分が絶対的な巨悪であれば誰かが本気で殺し方を考えてくれるはずだと期待している。通常で考えうる一通りの死に方や殺され方ではどうしても駄目だったから、うまくやれる異能者がどこかにいないか、事件を起こすことで国や司法などの大きな力を借りて探したかったのだという。四万人強はそのための犠牲というわけだ、くそったれ。
「やっときみの話が聞けた。教えてくれてありがとう」
 思わず笑みがこぼれた。能面のような顔をして何もしない何も言わない彼女のやり方にそろそろ辟易してきていたところだ。
 ジェノサイドは格子の向こうで瞳を揺らした。
「あなたは、」
「何?」
「私が怖くないんですか」
「死ぬのが怖くて務まる仕事じゃないさ」
 そう、余談だけれど──ぼくは、ただ、幸せにしたかった。追い詰められてすべてをうしなった異能者に、温かいお茶でも淹れて手渡してやりたかった。さもなければ死んだって構わない程度の命だった。たったひとりの大切なひとが異能犯罪を起こして亡くなったから。そんな、まあよくいるタイプのヤツだよ、ぼくは。
 少女がそれもそうですねとつぶやいて会話は終わった。彼女はまたベッドに横たわって頑ななセルフネグレクトを始める。その虚ろな姿を眺めるほどに思うのだ。誰がどうして、年端もいかない子どもをこんなに冷たくするまで追い詰めたのだろう?

 彼女の口から聞いた話をぼくは一字一句漏らさぬように報告した。それから数日もしないうちに、死刑判決が実現した。裁判のさの字もあって無いようなものだった。みなが焦っていた。だって、早く死刑にしなければまた何万人でも殺す、と彼女は暗に国を脅したのだ。誰もジェノサイドに逆らうことはできない。最強の異能者であり災厄そのもの。
 ぼくはすぐに「おめでとう」と言いに彼女のもとを訪れた。
「ぼくらの仕事はこれで終わりだよ。あとはきみのお望み通り、みんながきみを殺せそうな異能者を血眼で探してくれるだろう」
 ジェノサイドは、死刑を告げられた日、初めてその顔に喜色を浮かべた。笑えば年相応にあどけなくかわいらしいから、ぼくもさすがに胸が痛むような心地がした。
 どうして、こんな小さな女の子が、死を望み、破滅に急ぎ、ひとびとを殺さなければならなかったのか。
 彼女はわざわざ立ち上がって格子の前まで歩いてきて、ぼくに向かって丁寧な会釈をした。空色の瞳は青い光を溜め込んできらきらと輝いていた。
「色々計らっていただいて、ありがとうございました。もっと早くああ言えばよかったんですね……」
「……結局、何があったかは言うつもり無いのかい?」
 ジェノサイドは微笑んで、いいですよ、と答えた。
「何も無かったんです」
 ささやくような、それでいて決然とした、吐き捨てるような口調で。
「永遠に刻んでおけることも、覚えておけることも、だけど忘れていいと思えることも、ひとつも無かった」

 その言葉の意味を考えるうちに、ジェノサイドに関する報道はじわじわと減って、数年もすれば滅んだ街の封鎖も解かれた。
 ぼくは変わらず生きている。数万人の死なんてものすごいことがあったのに何も変わらない顔で、スマホ片手にあくびしながらネットニュースを彷徨っている。たまには検索フォームにジェノサイドと打ち込んで、オカルト掲示板を流し見することもある。週末には同僚と飲みに行き、下らない与太話を笑い飛ばしている。あの事件の遺族に出逢うこともある。大切なひとをうしなった彼らの涙に、ぼくもまた静かに心を痛めている。
 本当に凄惨で無情な事件だった。けれど、犯人がいたことも、それが少女であることも、死刑になったことも、すべてがどうしてか公表はされていない。少女ジェノサイドは、あれから時間が経てば経つほど単なるデマだったと、噂にすぎなかったと認識されていった。
 あれから彼女がどうなったか、ぼくは知らない。




▲  ▼
[戻る]