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見上げた空のパラドックス
4※

 碧は、明るくて、ずけずけとして、気丈で、タフな奴だった。最初の頃の印象は特にそうだ。篠も相当ヘラヘラして用もないのに絡んでくる奴だったから、兄妹って似るもんだなあと思った気がする。微笑むばかりで恨み辛み悲しみを人に見せないところなんかそっくりだ。
 篠の仕事に上司として付き合っていく立場で、妹に会う機会というのはそこまで多くなかった。俺の命が彼女の命を繋ぎ止めていたのだとはいえ、汚い仕事の話は隠していたわけだし、俺は昔から引きこもり気味で義母と篠以外とはほとんどしゃべらなかったし。碧はたまに姿を見かける篠の妹。俺はたまに姿を見せる篠の友人。互いにずっと、ただそれだけだった、と思う。
 碧は会うたび無遠慮に話しかけてきて勝手ににこにことするので、俺は正直あいつのことが苦手だった。ちょっと苦手、と思っていたところからどうやって好きに至ったのかは自分でもはっきりとはわからない。
 思い出すのは、まっすぐなヘーゼルアイの輝き。はにかむような微笑み。痛みを殺して無理に落ち着いてしまったような、諦念のにじむ話し方。享年の彼女はよくよく思い返せば思慮深く、奥ゆかしいとさえ言えるところがあった。昔はよく見かけた、愛と自信に満ちた爛々と輝く笑顔は、いつの間にか見なくなっていた。そうと気づける頃には、もう手遅れなほど俺は彼女を好いていた。
 なんにせよそのすべてがもう還らない。
 碧が死んで、篠が消えて、義母が死んで、会社が消えて、社会が変わって、俺ひとりが残った。あらゆるものをなくした絶望感は回想をおこなう気力さえ浚っていったものだから、碧の思い出だって俺の中ではほとんど薄れてしまっていた。
 が。
 ――高瀬青空。こいつを拾ってからというもの、あまりにも思い出す。鮮明に、脳裏に、瞼の裏に、耳の奥に、そのものがよみがえったような錯覚さえしてくるから最悪だ。
 少女は今日も俺の隣にいる。服は仕方がないので俺のいらないやつを与えた。買っても別によかったが、選ぶのが面倒だった。

「桧さん、もう少しちゃんと食べたらどうですか」
「はぁ」

 俺がやっているのは不法な軟禁と虐待のはずだが、彼女は暴力を身に受ける時のほかは居たくて居着いているとでも言わんばかりに平然としている。

「食ってるだろ、まあまあ」
「もっと暖かいものを食べた方が、元気がでませんか?」

 なんでお前がいちいち俺の生活なんか気にするんだ、と、聞いてもあまり好ましい回答は期待できないから聞かないが。

「お前に心配されんのが一番健康に悪い」
「あなたが心配されるようなことするからでしょう」
「誰のせいだと思ってんだか」
「だから気がかりなんですよ」
「はー……」

 なんだかんだとこの女を撃ったり刺したり犯したりしてみて、つくづく俺は学んだ。彼女が俺よりも彼女自身を大切に思ってくれない限り、暴力が暴力のまま届くことはなく、この妙な気味の悪さは終わらない。
 どうにかして俺を軽蔑させるか、彼女に自分を尊重できるほど幸せになってもらうか。そんなクソみたいな選択肢しか残らなかった。むろん俺は迷わず前者をとる。俺がこの女に見限られたとて大したことではないのだ。ただ彼女が平然と生きていることが不快で恨めしい。

「……高瀬」
「はい」
「ん」

 唇を合わせた。前触れもきっかけもいらない。強いて言うならこいつがソファの隅にいたからやりやすいなと思って。
 色々したがいちばん反応がいいのがこれだった。撃つよりも刺すよりも殴るよりも抱いた方が手応えがあった。違いは彼女が目を逸らすこと、微笑まないこと、黙り込むこと。それだけだが俺にとっては非常に大きな差だ。後悔は初めの一晩だけ激しく胸を焼いて、数日後には忘れてまた温度に触れたいと身体が言った。俺はもう欲に抗う理由を持っていない。
 少女の身体は見慣れた。成熟のせの字はあるかといったくらいで、全体的には細身だが思ったより胸があり、薄くやわらかな産毛が細やかに温みを保つ。背に焼けただれたような傷がある以外は触れ心地がいい。恥毛はまだ生えていない。穴はきついがおそらくは濡れやすく、前触れなく捩じ込むにしても数分でたやすく得物が入った。
 少女は何も言わない。

「なあ」

 結合が済んでさあ揺さぶろうかという折に、その日はなんとなく声をかけた。彼女はぴくりと肩を震わせる。視線も声も返らない。

「嫌じゃないの?」
「………………」
「嫌なら抵抗しろ、少しは」

 気まぐれだ。試しに回答を待った。
 そうして彼女が初めて行為中に声を出す。

「……無理、ですよ……」

 俺の思考が止まった。
 掠れた、不安定で、上ずった声だった。もっと言うなら、甘ったるい官能にとろけきった声。
 困惑した。息が切れた。身体が熱くなった。

「……されてると、からだに、力、入らなくて」
「は」
「あたま、ぼんやりして、異能も使えなく、て。だから……、っ」
「え、そんなに気持ちいい?」

 思わず不遜なことを聞き返した。常に平静で己のペースを乱さない彼女が、快楽には押し負けているだなんてにわかには信じ難かった。なにより俺のやり方では痛いだけじゃないのか、ふつうは。不死身の身体であまり強い痛みはわからないのかもしれないが。
 彼女は顔を背けたまま言葉もなくふるふると首を横に振った。なんの否だ、それは。
 でも。
 抵抗しようとはしていたらしい。

「どうでもよくないのか? これなら」
「それは……、っあ」

 俺が返答に構わず動き出すと少女は慌てて口を閉じた。粘膜がギリギリと痛いほど締め付けるのは処女だからというだけでもないようだ。
 もう少し丁寧にしよう、と思った。正しいやり方なんて知らないなりにあちこち触れてみる。これまで興味を持ちもしなかった彼女の呼吸に耳を澄ませ、乱れるほうに進む。
 ともかく彼女に嫌だと思ってもらえているならもうこれしかない。火を使っても滑稽な彼女は恐怖に息を詰めながらぎりぎりで俺のことを気遣った。そんな愚かな余裕を少しも残らなくしてやりたい。
 勝手に地獄の底からまぶしく仰ぐつもりでいるな。お前はまだ現世にいる。あるいは俺だって地獄にいるはずだ。尊重の二文字で俺を遠巻きにするな。なんでもいい。この絶望が届く距離まで、来い。

「っ、嫌だ、」

 焦った声。ふと彼女が呼吸を大きくした。繋がったままの膜が熱くせわしく動いていた。合ってたみたいでよかったな、と安堵しながら動作を続ける。結局いちばん反応がいいのは最奥だった。普通にしていると俺が先に果てて終わるので、派手な抜き差しは無しで、入れきったままぐりぐりと力だけかけてやる。

「いっ……、や……、やだ、それ、とめてくださ、ぁ……っ」
「……泣いてんの?」

 確認のため少女の頭を掴んでこちらを向かせる。涙に濡れた碧眼と目が合った。
 刹那、俺をとらえた瞳孔が震える。

「ひっ――、ぁ――――っ」
「うわ」

 熱い粘膜がいつになく俺を絞り上げる。華奢で筋肉質な脚ががくがくと痙攣している。少女は俺を深く咥え込んだままたっぷり数十秒は不規則な呼吸と痙攣と脱力を繰り返し、だらだらと涙を流した。
 初めて暴力らしい暴力がまともに完成して俺はほくそ笑む。彼女が初めて嫌だ嫌だと泣いてくれたことが気持ち良くて仕方がなかった。
 感じさせるのに満足したから俺は当然すぐ自分の快楽のために動き始める。見るからに絶頂が終わってもいない少女は追い討ちの気配になおのこと焦った顔をして、絶え絶えの息で何かを言おうとして失敗していた。別にいいだろ。お前どうせ筋肉痛も残らなければ死にもしないんだから。いつも通り、いつもより温かい穴を使用させてもらう。
 彼女は行為が終わるまで泣いていた。嗚咽は殺せなくなっていた。
 知らない名前が混じっていた。

「……こう、き……」



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