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見上げた空のパラドックス
3※

「食材を買ってもらえたら、ごはん作りますけど」
「考えるだけで食欲失せるからやめろ」
「すみません」

 少女は前側がぼろぼろになった服をそのままに、不思議そうに食事にありついていた。なんなら、どうして私のぶんを? と口に出して問われた。俺は答えなかった。早く自分が尊厳ある人間だと気づけ。そうでなければ奪うものも奪えない。
 俺はこの女がどうすれば苦しんでくれるのか考えながら飯を買って食ったりテレビを見たりして数日をつぶした。義母の遺産のおかげで一生使い尽くせないほどの金はあり、買う食事が一人ぶんだろうが二人ぶんだろうが生活に困ることはない。
 少女は与えられる食事をなぜと言いながらも摂り、俺の隣でぼんやりとテレビを見て、退屈そうにあくびをして過ごしている。彼女が眠るところは見たことがない。
 本当にどうすればいいんだ。
 まず人間になってほしいんだけど。

「……高瀬」
「はい」
「お前さ、なんか、大切なもの無いの」
「今はあなたの機嫌です」
「はぁ……」
「……リボンは、なくしてしまったので」
「あぁ、あれ。青いの」
「覚えていてくれたんですね」

 心なしか少女が憂いを見せた気がした。
 ここだ、ここからどうにかして彼女の人心を取り戻すしかない、みたいなことを思った。

「あれって何だったんだよ、ずっとつけてたけど」

 テレビを消した。静寂が彼女の顔に陰りを落とす。その目はどこでもない遠くを見る。

「貰い物だったんです。昔の、大切なひとからの」
「へえ。恋人?」
「……未満でしたけど。大好きでした」
「ふーん……」

 少女がかつて肌身離さず身に付けていた青いリボン。俺にとっての碧みたいな奴からもらったわけだ。もとの世界に帰れない彼女にとっては故郷それ自体の形見でもある。そりゃあ、大切だっただろうさ。残っていれば目の前で燃やしてやれたのに残念だ。
 そこまで考えて、はっと思い付いた。立ち上がった。
 ――火だ。
 彼女は重症の火恐怖症を患っていた。放火犯のくせになんでこんな簡単なことに気がつけなかったのだろう。火を使えばいい。それで解決じゃないか。彼女は絶望してくれるはずだ!
 心が踊った。すぐに食事を終え、小走りで放火に使ったマッチを取ってきて、着火し、少女の方へ投げた。うわ、と小さな声が上がって、彼女が火のついたマッチを拾い上げる。

「部屋にうつったらどうするんですか」
「お前が何とかするだろ」
「そう、ですけど」
「火、怖くないのか」
「……」

 彼女は目を閉じていた。やはり見ることは難しいらしい。俺は自分の口角が上がるのを感じた。やっと見つけた。彼女がまだ利己的であれる唯一を。
 少女の肩を掴むと小さく震えている。俺は満ち足りた気になってもとよりボロ布と化していた少女の服に火を移した。火はゆらりゆらりと繊維を伝って黒ずんだ焦げを広げていく。

「消さないのか?」
「……、消していい、ですか?」
「そろそろ強がんのやめたら」
「…………」

 少女はゆっくりと服を燃やされながら目を開けた。自らの身体を這う火にちらりと視線を向けて、俺を見て。その顔がちゃんと恐怖に染まっていたから頭の真ん中で多幸感がほとばしる。全身が軽くなった気さえする。ああ、やっとだよ。このために、俺は。

「桧、さん、」
「あ?」
「……っ」

 火は次の瞬間に消えた。少女はがたがたと震え、脱力して座り込んだ。

「す、みません。あんまり、動揺してしまうと、非常時にうまくやれなくなるので……あの、だから、このくらいで……」
「……ふ。はははは」

 腹の底から、笑いが飛び出た。俺のために暴力を受け入れようとするこの異常に利他的な少女が、利己的に拒絶を加減したことが、なんだか可笑しくてしかたがなかった。怖くてしかたがないときでさえ俺のことを考えて、まして言い訳を垂れるだなんて、ここまでくるとただのバカだ。めちゃくちゃ笑えた。少女は恐怖の残滓に身を縮めながら、腹を抱える俺を神妙な顔で見ていた。すっかり形を保たなくなったボロ布が肩や腰に引っ掛かっていた。
 そうして俺は流れるまま彼女を押し倒した。
 別に理由はない。多幸感と全能感と見下しと呆れと、さまざまなものがない交ぜになって理性の飛んでいたところに、女の肌が見えたからそうしただけだ。なんて理屈がまかり通ってしまう俺の方がきっとバカなんだろうけど、呆れてくれるかもしれなかった奴らはもう全員死んだ。
 フォビアにあてられた少女の、いっこうに震えが収まらない肩を絨毯に押し付け、なけなしの布切れをめくった。何度滅多刺しにしても乱射しても燃やしても傷がつかなかった白い肌は健康的にやわらかく、ちゃんと人並みにあたたかい。長いこと人肌に触れていなかった身としては、悪くない、と思った。
 少女は目をみはって、逸らして、黙った。ずっとそうしていろ。こっちを見るな。

「……桧さん」
「黙れ」
「……」

 行為は簡素なもので、前戯なんて面倒なことをするはずもなく、みっちりと閉じきった器を気にせず突き上げ、そうしているうちにいつの間にか収まって、揺さぶって、終わった。彼女は顔を逸らしたままずっと目を閉じていた。
 終わってからどっと後悔した。
 彼女もだろうが、俺も初めてだった。

「……お前さ、生殖機能あんだな」
「無いですよ、初潮来てないので」
「ちゃんと濡れるじゃん」
「……食事したら唾液も出ますし」
「変な身体」
「そう思います」
「なあ」
「はい」
「背中の傷、なに?」
「……さあ……?」
「ふーん」

 シャワーを浴びて寝た。彼女にもそうしろと言いつけておいた。



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