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見上げた空のパラドックス
dream11 ―side Mio―

「あの、先生。今日も日暮くんいないんですか?」
「あら。お友達なの?」
「知り合いです。病院でたまに見かけてたから」
「今日はお休みですね」
「……ずっと来てないですよね」
「なにかご用があるの?」
「いえ、別に……」

 朝から相談室でぐだぐだと課題を解いて放課後、あたしは今日もそそくさと病院へ向かう。今日も、っていうか、今日は特別に早足だ。ホームルームを終えた他の誰かが降りてくるよりも前に靴を履き替え一目散に昇降口を出ていく。雨が降っている。雫が前方から押し寄せてスカートを濡らす。バスを待って乗り込む。ぱたぱたと窓を打つ水滴のかたわらゲームをする。いつも通りだけど、少し、かなり、だいぶ緊張している。
 こわい、と、思っている。
 藍が休みを取ってくれた。
 隼の見舞いに藍が同行するのはいつぶりだろう。それだけだって特別な機会なのに、話さなければいけないことがたくさんある。この面会が隼の要望であることもまた気にかかる。いったい何を知って何を考えて、このタイミングで? まだわからない。行けばわかるのだと思う。
 病院前でバスを降りると藍がベンチから立ち上がって手を振った。あたしはぎこちなく笑って、でも慣れたように隼の病室へ向かう。

「藍、なに買ってきたの?」
「これ。懐かしいだろ?」

 がさ、と彼が紙袋を掲げる。雨除けのビニールがかかったそれを目にするとほんの少しだけ緊張が解けた気がした。何年も前に行きつけだったお菓子屋さんの袋だ。最近は新しい店も増えてほとんど行っていなかった。

「グッジョブ」
「だろ」

 息を整えた。
 南の病室の扉を引く。白の蛍光に窓からさす陽の色が混じる。
 隼は珍しく身を起こしていた。色の薄い顔で振り向いてよう、と明るい声を出す。滅多に日に当たらない彼の顔は白いか青いかしかない。慣れ親しんだその顔を見ると不安と安堵を同時におぼえた。

「お? 二門くんじゃん。久しぶりー。ちょっと髪染めた?」
「染めてないけど色抜けてるかも」
「おー。澪も学校おつかれー」

 隼は藍の前であたしを姉とは呼ばない。

「隼も、おつかれ。起きてたんだね」
「最近はけっこう起きられるんだぞー? えらいから見舞いの品を所望しよっかな!」
「変わんねえな、お前……」
「そりゃあ入院患者なんて暇人だからさ。楽しみなんて永久不変で食いもんだよ」

 藍がベッドテーブルに菓子を並べる。隼も目を輝かせて懐かしい、と言う。覚えてくれていて何よりだと思った。
 しばらくは他愛もない話が続いた。季節のこと、互いの見た目の変化や成長のこと、ふんわりとした近況報告。隼はこのところかなり猛然とリハビリを行なっていて、もう車椅子でなら一人でも動けるくらいになっていること。藍は仕事が忙しくてなかなか帰れないこと。
 本題は菓子がなくなってから始まった。窓からさした春の陽はあっという間に色褪せて暗くなっている。

「隼、それで、これからの話なんだが」
「うん? なんだよ改まるじゃん。結婚でもするの?」
「話が早いな。そういうことだ」
「へー。てことは澪は学校辞めんの?」
「それは」
「ちょっと。ちょっと、話が早すぎだよ、二人とも」

 一体どう打ち明けたら良いのか、隼は一体どうなるだろうか、と思っていたのに、肩透かしを食らった心臓がばくばくと鳴っている。重大な話をしているくせにこの二人はさらさらとしてばかりだ。場慣れってやつだろうか。
 あたしは窓のカーテンをしっかりと閉め直した。ベッドカーテンも、もちろん扉も確認する。

「そうだよ、早すぎだ。おれ、結婚は澪が学校卒業してからにするんだろうなーと思ってたけど。今なんかやばいの?」
「まあ、いろいろとな」
「学校どうすんの?」
「別に苗字変わるわけでもないからさ、行けると思う」
「えっ、通わせんだ? やるねえ」

 深く息を吸って吐いた。
 ……もう一度、吸って吐いた。

「勝手に話進めないで!」

 弟たちが振り返る。藍は少々やりにくそうに、隼はにこにことした。

「だよなー、やっぱ澪は学校行きたくないもんな」
「それは……そうじゃない。とにかく話が早すぎるって言ってるの」
「お、わかった。二門くん、ちゃんと説明してないだろ? しっかりシビアでラブリーなプロポーズした?」
「あー」

 あー、じゃないよ。
 とにかくもちょっと待ってほしかった。致し方ない状況なのだから結婚は了承したけど、了承はしたけども、まだそれを前提にどうしようかと話を進めるほどには心が納得していない。深呼吸させてほしい。あたしには、隼に藍とのことを伝えるのだって一大事だったのだから。
 だって、こんなの、どう考えても、何事もなく帰れるような話題ではない。

「わかった、おれが話したげる。まずさ、二門くんは飼い犬で、澪は野良犬だ。家族になったら澪も飼い犬の仲間入りができて、害獣駆除される心配がなくなる。だから、結婚する。だろ?」
「な、……なんでたったいま聞いたきみが整理してんの」
「二門くんは余計な情が入るじゃん」
「おい」
「でもま、結婚は確定事項と。ここまではいいよな?」
「……うん」
「んで、まあ、おれの話だろ? ここ管理者のお膝元だもんな。澪が二門くんのとこに行くなら、これまで通りは無理だ。だから」

 隼はふと言葉を止めて深く息継ぎをした。藍が不安げにあたしを見ている。あたしは覚悟をする。何を言われても、もう驚けない。

「――選択肢はふたつだ。おれはここに残って、澪とも二門くんとも二度と会わない。もしくは、おれが退院してついていく。前者ならオワカレ、後者ならおれは兵器運用まっしぐらさ」

 隼は息を切らしながらも余裕ありげにひらひらと手を振った。何もかも先回りして言い当てられたような薄気味悪さは彼と接するうえでは日常茶飯事だ。彼は幼い口であたしの怯えを貫いて、気づかぬようにしていた選択肢を、出した。
 世界が動いている。まぶしい白の病室に家族三人でいて、胸がざわついて仕方がなかった。もうすぐ面会時間が終わる。

「隼は……こうなることがわかってて、リハビリしてたの?」
「それもある」
「……」
「そうだなー、また寝る、も一応ある。今まで通りな。寝てれば悪用はされねーもんな」
「隼はどうしたいの」
「おれはどっちにしても準備はできてるぜー? みなさまの都合のいいようにしてもらったらいいさ。ただし、だ」

 照明と同じ色の、あたしと同じ色の目が淡々とあたしを見る。彼はいつだって無責任で奔放だ。ずっと変わらないから安心してしまう。でも、こんなささやかな安心も、今日が最後なのかもしれない。

「おれは、『ねえさん』にしかついていかないよ」

 そうか。
 やっと思い至った。ここまで説明されてやっと。
 きっとこの機会は、あたしが、「もうやめよう」と言えるように、そのために整えられたのだ。そう考えると一連の全てに納得がいった。隼はこの前からずっとそのことについて言っていたのだ。あたしは今ならやめることができるのかもしれない。何を?
 あたしが二門澪であることを。
 隼の顔を見た。藍の顔を見た。

「隼はここにいて」

 特に抵抗なくすんなりと声が出る。隼がふうんというようにベッドテーブルに頬杖をつく。藍が黙って壁際からあたしを見ている。

「隼には、いちばん安全なところにいてほしい。戦わなくてもいいところに。悪い人に利用されないところに」

 選ぶまでもなかった。あたしは二門澪だ。
 この解答の意味がわかるだろうか?
 あたしは守っているつもりだった。二門澪にあるべき日常を。学校に行くこと、藍の姉であること、普通の女の子みたいに振る舞い続けること。それはあたしの意地であり使命でもあった。
 あたしが「二門澪をやめることができる」ということを知っている隼や藍は、時代の不穏さを察知した今、あたしに「もういい」と、そろそろ好きに生きろと言ってくれたのだと思う。まあ、そうだよね、だって姉弟はふつう結婚しないし。
 でも、あたしは、二門澪だ。
 ここであたしに発言権をくれるのなら、選ばせてもらえるのなら、あたしは頑なにそう答え続けるよ。
 血のつながった本当の弟を捨てることになっても。
 なにより隼を戦地に連れ出す理由なんてない。

「あーあ! うまいお土産もらえんのもおしまいだな。わかったわかった、ご結婚おめでとう二門くん」
「隼、でも……いいのか、それで」
「ちょっと席を外してくれ」
「……わかった」

 藍が部屋を出ていった。
 あたしは震えを抑えるために拳を強く握りしめて、そんな場合じゃないと思い直して、ふらふらし始めている隼の肩を支える。最近は少しずつふっくらしてきたが、やはり骨張った痩せっぱちの肩だ。
 あたしは言った。隼を戦わせないと。それは、つまり、隼をここに置き去りにするということになる。あたしは違法組織につくのだ。なるべく巻き込まないようにするには、唯一残った家族のあたしが、隼を徹底的に捨てるしかない。

「てなわけで……、ねえさん。長いことおれの世話お疲れ。おれはずっと寝てたからねえさんの苦労はわかんないけどな」
「……、……」
「もうつきっきりでいられなくてもへーきだよ」
「そのために目覚めたの?」
「それもある」
「どこまで知ってるの?」
「未来とかは知らないぜー? 予想はつくけどさ。兵器になるか暇人続行するか、いやあ難問だったな。解いてもらえて助かったよ」
「……どうして、そんなに、ぜんぶ平気みたいに……」
「おれのやりたいことは終わってるから」
「なんなの? なにをしてたの。自分のからだも、あたしのことも、みんな、全部ほっといて、きみはどこで何を」

 隼はよくぞ聴いてくれたとばかりににこりとした。そして閉まったカーテンを横目で確認して、ずっと変わらない飄々とした声で返す。

「神様と友達になったんだ」


2022年1月19日

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