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見上げた空のパラドックス
dream6 ―side Mio―

「えー、六年生のみなさん、今日から高三ということでね、大学受験の準備は始めていますでしょうか。まだ始めていない人はね、今から差をつけておきましょうね。就職を考えてるって人はね、なるべく早めに先生に相談してくださいね」

 意味もなく自分のパーカーの袖口に目を落としている。
 式典のある日くらいは教室へ、と言われたから来てはみたけど、進路指導の先生がひたすら受験勉強に関するご高説を聞かせてくるだけで、来た意味が正直さっぱりわからない。

「異能で仕事がしたいって人もね、週に一度ね、組合員さんがうちの学校にも来てますから。考えてみたい人は木曜日に進路指導室に来てください」

 扉側、いちばん後ろの席。不登校児の定位置に座ったあたしを、わざわざ振り向いてまで物珍しげに見る視線がちらほらとある。異能が世間的に知れ渡り、色素異変も周知の現象となった今、あたしの色について執拗に不気味がる人は以前よりか減ったけれど、それでも珍しいものは珍しいのだろう。ていうか、あたしふだん教室にいないから、なおさら。
 ああ、ねむいし、あたまいたいし、居心地悪い。最悪。
 とにかくこの鬱陶しい退屈をどうにかしようと、脳内に好きなゲームのステージを思い浮かべる。チャカチャカと楽しげなBGMを記憶にしたがって辿っているとイライラした気分もちょっと落ち着けることができた。

「二門さん」

 ……やっぱりだめ。最悪。ご高説タイムがやっと終わり、休憩に入ったと思ったら教師に呼び止められた。

「はい」
「このあと少しお話できます?」
「……このあと病院に行かなきゃいけなくて」
「あ、そうなの。じゃあプリントだけ渡しておきます。またお話しましょう」
「どうも」

 手渡されたクリアファイルに目を落とし、深く息をつく。その場で捨ててしまうほど素行の悪いつもりはないのでとりあえず鞄に突っ込んで、あたしは教室を出る。そそくさと。
 髪も目も隠して俯いて歩くほど思い詰めることはもうないけど、なるべく早足で廊下の端っこを行きたいくらいには、今も人と関わりたくない。これは気質だ。

(オファー……)

 管理組合、と公然と呼ばれるようになったエラー管理組織。属する人は組合員なんてやわらかな言い方をされるようになったけれど、かつての姿を知っている人なら今でも管理者と呼んでいる。変わってないよ、高圧的な連中だ。五年よりもずっと前から、何度断ってもあたしの勧誘を諦めてくれないのだ。受けるわけないでしょ。彼らが血も涙もない戦争屋なのは知っているし。そもそも、あたしはどちらかというと違法組織側の人間だってことくらい、向こうだってわかっているだろうに。
 だめだ。今日。ずっとイラついてる。教室に罪はないけど、やはり慣れないことはするもんじゃない。
 昇降口に降りる。がやつきを耳に、あと少し、あと少し、と自分に言い聞かせる。

「あれ」

 ところが気になるものが目に入って足を止めた。反対側の廊下を少し行ったところ、いつも隔離されたように閑散としている保健室と相談室の区画の方に。
 瞬き一つ。見間違えるはずもなかった。

「日暮くんだ……」

 口の中でつぶやく。同じ学校だったのか。相変わらずぐちゃぐちゃしていてあたしの目を通すと人の形をしていないから、壁数枚越しでもわかる。
 話しかけに行くかどうか、少し迷って行かないことにする。それよりもさっさと病院に行かなくては。
 駅前からバスに乗りこむ。病院にたどり着くまで、最近ハマっているゲームのデイリーミッションをこなしておく。やっと息ができるいつもの日常だ。学校ってなんであんなに気分が悪くなるのやら。
 湖畔にたどり着くとさっきまでのイラつきはどこへやら、澄んだ心地で春風にスカートをなびかせる。病院のまわりは桜がたくさん植わっていて春は華やぐ。もう散りかけているけど、落ちた花びらはまだ湖面を揺蕩って景色を賑やかしてくれる。どことなく甘い香りがしていた。
 いつもの病室へ。顔馴染みの看護師に挨拶をしてバルコニー脇のドアを開ける。

「隼、起きてるー?」
「ねえさん。やっほー」
「うーわ顔色わる……」
「お腹減った」
「よかろう。最近みつけた推し店のマドレーヌ買ってきたんだ。食べられるかな」
「え! 食べる!」

 危なっかしい動きで短髪の少年がベッドから上体を起こした。あたしと同じ色の目はめざとくあたしのスクールバッグを凝視している。あたしは極力学校の書類を見ないようにしながらジュースのボトルとペールピンクの紙袋を引っ張り出し、テーブルに個包装のマドレーヌを並べた。上品な製菓専門店のロゴが箔押しでそれぞれに入っている。もとより最高明度の目がきらきら輝く。

「ねえさん……! どうした? 今日やけに大盤振る舞いじゃん?」
「リハビリで疲れてんでしょ。頑張った褒美」
「うわあ、わあ」
「そして、あたしへのねぎらい」

 二人でいそいそと手を合わせ、丁重に紙の包装を開ける。ふんわりとバターの香りがして、それだけでちょっと幸せになる。
 昔から、おいしいもの、特に甘いものが好きだった。お小遣いを握りしめ、小さな個人経営の飲食店を見かけるたび突入するのが趣味なのだ。あたしがそうしているうちに、隼も、それから藍も甘いものに目がなくなっていた。今は藍の方がグルメ情報、詳しいのかな。所持金とフットワークの軽さが違うので。
 しっとりふわふわのバター生地を噛み締める。値は張るがやっぱりおいしい。度々買おう、と心に決めながら咀嚼する。ああ、いつまでもおいしいお菓子片手にゲームだけして生きてたい!

「いきかえる……」
「いきかえる……」
「ねえさん、学校どうだった?」
「え? あー、眠かったよ」
「幽霊には会った?」
「ああ、日暮くん。見かけたけど声はかけてないよ」
「そっかー」

 ちょっと残念そうに声を落として、隼が空の包装紙をたたむ。
 彼はいつもいつの間にかあたしよりずっと物事を知っている。

「話しかけた方がよかった?」
「いやー? またいつでも会うだろーしな」
「そう。でも驚いたよ。同じ学校だなんて」
「新一年生だぞ、あいつら。ま、教室には出てこないだろうさ」

 へー。
 五年前の話を聞いているから時系列がおかしい気もするし、入学初日から保健室登校とはすごい特例だなとも思うが、深くは突っ込むまい。

「隼は? なんか最近すごい頑張ってるよね」
「おー。もう他所に飛ぶ予定ないからさ。使えるならこの身体使ったほうがいいだろ?」
「……もう飛ばないの?」
「たぶんな」

 さらりと。大切なことを口走る。
 あたしは包装のゴミを袋に集めながら考える。隼はこれまで長年その異能を用いて意識だけであちこち飛び回っていた。疎かにされた肉体がこうして病室にこもる羽目になるほどの間、だ。それが、最近になってふと終わったと言う。何をしていたかなんてあたしは知らないけど。目的が果たされたのだろうか?

「それは……日暮くんのことで?」
「無関係じゃない」
「そう……」

 あたしは口を噤む。
 深くは、聞かない。踏み込んで壊れる平穏があるのなら今を守った方がいいと思っていた。隼も、藍も、難しい死地へ迷わず飛び込んでいってしまうから、あたしくらいは静かに、彼らの帰れる場所を守っておいた方がいいだろう。
 というのは半分が本心で半分が言い訳だった。
 異能の世界に飛び込んで無事で帰った人なんてひとりも知らないから、これ以上エラーに触れるのが怖い。

「そっか、隼、これからはここにいてくれるんだ」
「おー。もっと貢いでくれてもいいんだよ!」
「気が向いたらね」
「やったー!」

 隼は屈託のない顔で笑う。あたしもつられる。
 勝手気ままに振り回されている自覚はあるけど、隼といるのは苦じゃない。目覚めてくれない時も。目覚めたと思ったら我儘を言われる時も。医者に駄々をこねる彼をなだめる時も。蒼い顔でくずおれてしまうのを支える時も。
 彼は彼の行きたい方へ、勝手に行ってしまうのならそれがいい。気が楽なのだ。あたしの方を見ていない同じ色の目をみると。

「ねえさん」
「なに」
「学校、辞めちゃえば?」
「へ」

 彼はどこでもない正面を見て言った。

「楽しくないなら、また遊んで暮らそーよ。うまいもん食って、ゲームしてさ」
「どうしたの急に」
「嫌なら良いんだけどさあ」

 血色の悪い顔で彼が肩をすくめる。急な提案の理由は言うつもりがないようだった。
 ただなんとなく、何かが変わってしまったこと、何かが近づこうとしていることだけ察して、あたしは俯く。守り切れるのだろうか。淡い不安感が、春の香りのさなか、かすかに混じっている。
 学校。確かに楽しくもないし、行くことに意味を感じるかと言ったら感じないけど。辞めちゃえばと言われると簡単にはうなづけなかった。

「二門くん、“澪”がやめたーいって言ったら秒で辞めさせてくれると思うぜ」

 なんてことない口調で隼が続ける。あたしは顔を上げることができなかった。
 辞めたいか辞めたくないかで問われれば、辞めたいと思う。どうせ進学も就職もしないし、信頼できる教師も友達もいない。でも。二門澪は学校を辞めたいなんて言わないだろうから。言葉を呑む。

「こんどさ、二門くんにも会わしてよ。帰ってきてから一回も会ってないしさ」
「……うん。そうね。誘ってみる。また美味しいもの探しとくね」
「マジ!? さっすがねえさん!」

 喋り疲れた彼が眠るまで、少しだけ他愛ない話をした。


2021年6月17日

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