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見上げた空のパラドックス
Winter56 ―side Tadashi―

 雪道の片隅、電柱を背にして白い息を吐く少女は、かろうじて首に巻き付いた白いマフラーが不釣り合いなくらいに薄着だった。生命を感じさせないたたずまいに、不老不死はみんなそうなのだろうか、と僕は眉を潜める。

「寒くないのか?」

 そう言って話しかけた。冬空を溶かしたような青い目がこちらを向いて、前に会ったときはつけていなかったリボンが揺れて、彼女はただおはようございますと言った。ひとまず歩み寄って、続ける。

「おまえ、本名は?」
「高瀬青空、です。……先日はお世話になりました」
「俺が青空の世話に、な。この前はありがとう、俺は栫井忠。日暮の保護者をやってる」

 青い目がまたたく。

「日暮の? そうでしたか、じゃあ……私を止めに来たんですか?」

 彼女の表情は変わらなかった。無に近いが生気がないとまではいかないくらいの、ただ少し硬い表情をしている。
 俺は息をついて、どうだか、と返した。

「日暮が居なきゃ困る時期も終わったからな。自由に連れ出してもらっても構わない、俺はね。……ただ、」
「……」
「戦闘を起こされたら立場上、困る。おまえの力の規模だと、どこへ移動させても被害はたいして変わらないだろうし、結果として二人とも死んでしまったら、賠償請求も不可と来た。異能犯罪は俺らがなんとかしなきゃいけない。とばっちりもいいとこだよ」
「なら、どうしますか」
「まあそう警戒しないでくれ。話し合いで済ませたいからな」

 言うと彼女は静かに視線を下げて、雪にぽつぽつと足跡を刻んで歩き出した。なるべく住民の少ない、シャッター街の方角にむかって。
 僕は息をついて緩慢にその背を追う。

「……こちらこそ、できれば話し合いで済ませたいですよ。忠さんの力で私を無力化するのは簡単でしょうね……想像がつきますから」

 暗い目もしない。声を落としもしない。彼女はただすんなりと言って、微笑んでさえいた。痛々しいと感じるべきか、さすがと感心すべきか、はたまたカゲなら怒るのだろうが、判らないから僕は反応をせずにいた。

「でも、私が日暮と戦わなきゃいけないのは、いくらその場しのぎをしても変わりません。誰が、どこが、被害者になるかの違いしかない」
「だろうな」
「なんだか、余裕そうですね。どんな秘策があるんですか?」
「いいや何も。最悪があったらそれもそれで極力対処するだけだからな」

 凍てついた風が彼女の髪とリボンとマフラーを揺らした。青が軌跡を引く。よくよく見れば毛先で結露が凍りついているが、本人に気にした様子はない。

「ただな。青空。記憶が戻されたことの意図は考えないのか?」
「……」

 小さな足が動きを止める。
 早朝のシャッター街は朝陽の眩しいばかりで人っ子ひとりいない。足元に溜まったままの雪から冷気が立ち上るから、あまり長く立ち止まりたくもないが、彼女は動かなかった。

「俺は考えてる。日暮も。カゲもだろう。でも、わからない」
「……飽きたんでしょう」
「飽きた?」
「私たちの茶番に」
「……」
「もしくは……失望されたのか、期待されているのか、そういう感情が、やっと起きるようになったんじゃないですか」
「……それは、誰が?」
「……、さあ……」

 彼女は曖昧に答えて、

「別に、私はなんでもいいですよ。そこに少しでも死ねる可能性があるなら、ためらう理由はありません」

 言い切って振り向いた。表情のない青が僕を見上げて。
 直感があったから瞬時に力を使った。
 視界を閉ざし、くろぐろとした意識の波を聴く。空間を見下ろし、彼女の座標を近くの電柱に合わせ、また下へ、戻ってくる。ここまで約コンマ二秒。
 呻く声が聞こえた。腹を電柱に串刺され宙に四肢を投げ出した彼女が、はじめて表情を歪めた。表情を歪めただけだ。血が出ることもない。貫かれたまま、ずるりずるりと、彼女の身体が引力にしたがい落ちていく。僕がやったのだけど、見るに耐えない光景だった。

「っ……おも、ったより、容赦、ありません、ね」
「不死が相手じゃなりふり構ってられないさ。俺はすぐ死ぬ側だからな」
「殺していいですか」
「よしてくれ、未来有望なんだ、これでも」

 ずるずる、べちゃ、と電柱の足元に着地した彼女が、冷や汗を雪に落としながら僕を睨みつける。少女のうずくまった背中から柱が生えているようにも見える。
 僕はいつでも逃げられるよう構えておく。

「なあ、青空。本当にそのまま黙って死ぬことがおまえの幸福なのか?」
「しつこいな」
「そうじゃないからカゲと一緒にいるんじゃないのか」
「景広はっ……、私のために、怒ってくれた。一緒にいるのは、ただの、感謝です。関係ないでしょう、私が、死にたいのとは」
「……おまえ、」

 歩み寄る。彼女の結露に凍った髪を一束、手のひらで溶かした。水滴が顔に流れて落ちる。涙よりも透明な雪解け水だ。
 そうか、と思う。
 彼女は言動ほど冷たい人間ではない。カゲのどうにもならない同情を受けて身の振り方を変えてしまうくらいにはささいな感情も尊ぶ念があるのだ。盲目ですらなく、すべてを見て感じたうえで、本当に本気で死を選びとっている。それはもう想いとも願いとも言わない、固い意志で。

「本当に死にたいんだな」
「だから、そう、言って」
「交渉決裂だ。わかってたけどな……、住民の避難だけ進めておくから。悪いがそこからは自力で抜けてくれよ」
「……、ありがとうございます、避難については……」
「律儀にどうも。痛い目見たんだから恨んでもいいぞ。あー、それから、店はなるべく壊さないようによろしく願う。カゲが悲しむから、な?」
「……ずるい大人ですね」
「あぁ。がむしゃらな子どもだな、おまえは」

 言い捨て、彼女を路傍に置き去ったまま、また意識を高次につないで自らの座標を飛ばす。黒と白に乱反射した世界の像がかき乱れ、急速に結び直される。酔いに近い感覚で頭が揺れる。どっと疲労するが、まだまだ僕の仕事は、始まってさえいない。
 町はずれの、病院の駐車場だった。身体の怠さに深く息をついて、そこからエントランスへ駆け込む。ここでなら、多少の無茶をして倒れてもすぐに処置してもらえるから、死なない。
 スマホを取り出すとちょうど測ったタイミングで着信があって、スピーカーを耳に当てる。無論、相手は僕の神さまことアルマだ。
 名乗りも前置きも要らない。確認事項だけ、急いて口に出す。

「いいか、必要な範囲にいる当事者ふたり以外の人間全員の座標を視て、“伝えて”くれ」
『Yes, my king. 覚悟はいい?』
「あぁ」

 短く答えた。直後、知覚が揺れる。ぐるり。痛くも苦しくもないが途方もない情報量が圧倒的に暴力的に脳をおかして、ふらつく足を知覚して、しかし踏ん張りかたすら忘れてしまいそうになる。気を抜けばからだと外界の区別をなくして溶け去ってしまいそうな危うさに歯を食い縛る。自分だと思っているものに必死ですがりつく。大丈夫、これは僕の神さまの恩恵なのだから。信じるしかない。喉を通り抜ける息を見失わない。呼吸を、整え、できるだけ冷静に、伝えられた情報を、耳に、目に、口に、いいや漏らすな、ひとつも余さず僕の力へ変えてゆく。
 住民の一斉避難をおこなう。
 僕にできることをする。
 踏ん張りがきかず病院の床に半身を叩かれたのと、かつてない規模の能力発動が成功したのはほぼ同時、それから数瞬後に、意識、が、――


2020年6月3日

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