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見上げた空のパラドックス
Winter50 ―side Kagehiro―

 学校生活はたいした問題もなく始まり、変わらぬように授業を受けて明里と昼食をとってまた授業を受けて、終業の鐘と共に教室を出るルーチンを取り戻した。青空がいないことについて噂する者は、いるのかもしれないが、学年の離れた俺の耳には入らない。それよりも明里が"女王"を辞めたことのほうが周囲への影響は大きい。あれから二週間ほどするが、すでに何件か俺に事情をうかがいにくる輩との遭遇があった。俺は素知らぬ振りを決め込み、へえそうなんですか、彼女の決めたことだろうし俺達に挟める口はないですねとだけ返し続けた。喧嘩は避けたつもりだ、いちおう。二門の姿は見ていない。
 それと――、喫茶店に、欠かさず毎日、通うようになっていた。忘れる速度があがっていると言うから。あらたに思い出したことがあると言うから。
 どうしてそんなことが? 当然うかんだ疑問を口にすると、海間は「原因はわかるんだけどな。理由はどうだかさっぱり」と返して肩をすくめた。なんのこっちゃと思ったが端から見ていたオーナーに話を止められて問う口をつぐんだのだった。――機密関係? まさか。それこそ何がどうなっているのやら。
 わからない俺にはただ彼の記憶を色褪せぬように綴ることしかできない。
 ノートの入った鞄の紐を持ち直して、学校の正門前にたたずむ。

「かげ! 待たせてごめんね!」
「……おー」

 明里が小走りで駆けてきたので顔を上げた。高さの揃った二束の結い髪がきらきらと揺れている。こんな時でも明るいやつだなあ、とだけ思う。
 今日は共に青空の見舞へ行くことにしていた。俺としては海間の話をできるだけ聞きたい時だが、こちらも疎かにしていいわけではないのだった。

「授業長引いちゃって。タクシーは呼んどいたから!」
「うん、さんきゅう」
「今日も上の空だね、かげ?」
「え、聞いてるよ」
「ふてぶてしさ減ってる。話に気が入ってないんだよ」
「ふてぶてしさでメンタル測られるのすげえ嫌だわ……今後とも改めよ……」

 上の空などと言われるのもあながち間違ってはいない。あれから海間のことを考えている。ずっと。
 彼は簡単に口を割らなくなっていた。以前は、すらすらさらさらと、物語をするように旅のことを話してくれたものだが、さいきんの彼はというと、言葉に迷ってうつむく時間が長い。なにより話をする際にいつもの微笑みが消えるようになって、それが、心に引っ掛かって取れない。なんでも微笑って済ませる彼の態度には気にくわないところがあったのだけど、いざ普通になられると、それはそれで当惑というか心配をしてしまう。あの彼がうつむくほどのこと。そんな記憶がよみがえりつつあること。押しやられた他の旅路の記憶が速度をあげて消えてゆくこと。すべてが、なんだか、悲しいような。
 鞄の紐をにぎる手に力がこもる。それを明里は目をぱちくりして見ていた。

「それって恋わずらい?」
「は?」

 的はずれな問いに顔をしかめると彼女はころころ笑って、違うならいいよと言った。違わなくてもお前に関わる義理はないぞと言いたかったが、誤解を生みそうなのでやめた。
 タクシーがやって来て俺達を病院へ運ぶ。道中は互いに黙って携帯端末を眺めていた。明里のもとには今でもひっきりなしに色んな奴から連絡がくるらしい。ひとつひとつ丁重にお断りのメッセージを入れているというのだから律儀なことだ。俺はというと、自分の起こした事件についてがネットのどこかに流出してはいないか、ニュースサイトやオカルト掲示板を探し回っている。今のところ見つからないが、あれだけ派手にやったのだからどこかで誰かが発信した可能性は捨てきれない。
 病院へ到着、青空の眠る病室へ歩く。彼女は小児科病棟にいて、病室までにはパステルカラーの遊び場や児童書の詰まった本棚の前を通過した。好きそうだな、と思う。青空は服もぬいぐるみもふんわりとしたパステルカラーを好む奴だ。
 ノックをして、返事を待たずに戸を開いた。病室の内装は一般病棟と変わりがなく、ほの白くてまぶしい。

「失礼しまあす、眠り姫」

 明里が気取ったふうに言った。
 青空は仰向けで目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。枕元で、例のリンゴっぽい猫のぬいぐるみがゆるい表情をしている。

「青空は寝顔もきれいだなあ」
「……ゾッとしたぞ、今」
「えーなんで? ふつうにかわいいしきれいだと思うよ?」
「青空じゃなくてお前にな……? 狩る者の目をしてた」
「女の子は狩らないよ」
「限定すんな……全人類狩っちゃだめだろ」

 スクールバッグを部屋の片隅に置いて、眠り姫の傍らに立つ。明里が反対側で椅子に座ってにこにことしている。何週間も目覚めないと言えど、彼女の不死を知っているから危機感はないようだった。

「なんでずっと寝てるんだろうね」
「面倒になったんじゃないか。起きてるのが」
「ありそう」

 明里は穏やかに笑んで、青空の前髪をそっと払う。青空は平生から顔つきも年相応には幼いが、こうして眠っているとなおさら赤子のように無垢に見えた。起こしてしまうのが躊躇われるほどに。

「怒らないの? かげ」
「なんで?」
「ほら、心配してる人いるのにのんきに寝てんなよーとか、生きる気なくて不真面目でむかつくーとか、言いそう」
「……あー、言うかも」
「あはは、やっぱり上の空。大丈夫? 私、何かすることある?」

 明里が席を立って寄ってくる。ずいと近づいた視線が俺を射抜くからたじろいだ。

「な、無い。無いから」
「かげ、ずーっと隠してるね。青空とのこととか、喫茶店のこと。別に話さなくていいけど、かげが苦しいなら力にはなりたいかな。できることがないなら、おとなしくするけど」
「……、」

 顔が近いのでとりあえず両手で肩を押し返して離れ、うつむいた。明里は、ありがたいことに、俺が言いたくないと示したことには踏み込もうとしない。ずっとそうだった、俺が早朝の無断外出を繰り返していたころから。何しに何処へ行ったの。言えない? 危険な遊びしてる? してない? してないなら、いいけど。いつもそう言って許してくれた。その明里がついに言及をしてくるほど、俺の調子はおかしいらしい。
 海間のことが気になるだけだ。両親の顔が思い出せると言ったくせに、それから家族の話はいっさいしてくれない。そりゃあ、思い出したことよりかは消えゆくものを書き記して残すほうが先決だろうから、旅の話をするのが正解ではあるだろうが。彼はあれからずっと苦しむ様子を隠せていない。あの彼が!

「……あかはつらいこと、あるか?」
「つらいこと?」
「思い出したら、話題に出たら、つい俯いて黙っていたくなるようなこと。あるか?」

 明里は海間の"同一人物"だ。聞けば、何かがわかるかもしれない。そう思った。
 彼女は少し考えるそぶりを見せて、ぽつりと答える。

「あなたの目を汚したことかな」
「……それ、はさ。その苦しさは、ぬぐえると思うか? 何があればいいと思う? ……俺は抜きで」
「かげ抜きで? じゃあ、無理だね」
「だよなあ」

 にべもない返答に頷いて、告白された内容に辟易するいとまもなく考える。海間には、やはり青空がいないと駄目なのだろうか。託された数多の願いを忘れて、ただの海間日暮として立ち返ろうとしている彼には。
 心臓が重い。
 ちらりと青空の方へ視線をやると、ぬいぐるみとだけ目があった。緊張感のなさにげんなりする。

「……青空、」

 もう隠していられないのではないか。何一つ報われないとしても、ふたりは巡り逢うべきなのでは。海間があんな顔をするくらいなら。
 なんてことをいまさら考えて、振り払う。
 わからない。どうすればいい。


2020年4月28日

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