見上げた空のパラドックス
Winter32 ―side Kagehiro―
え。お前そんな顔するの。女子かよ。いや女子だが。
ちょっと動揺して息を詰めた。
「ありがとうヒロ」
「店員に袋もらってけよ」
「うん、行ってくるっ」
パステルピンクの球体を抱えて小走りでレジの方へ去った青空をその場で見送り、今のでだいぶ疲れた目のまわりをぐりぐり押して息をつく。
「ヒロ、ヒロ」
「んだよ」
「私もなんかほしい!」
「言うと思ったが。なんかってなんだよ! つーかセンなら俺よりうまくとれるんじゃねえの、初心者でも」
「うーんそういうことじゃなくてね、あなたのとったものがね」
「それはナシ。じゃ、さっさと上行くぞ」
「なんでさー! いいじゃんぬいぐるみひとつくらい!」
ぶうたれる明里を背に階段に足をかけたところでぬいぐるみ入りの袋を提げた青空が戻ってくる。彼女はもう元通りの無表情に戻っていて、俺も詰めていた呼吸を戻した。やっぱり少女らしいものは嫌いだ。
二階はリズムゲームとプリクラが並んでおり若い女性客で賑わっていたので、全力でスルーしてそのまま三階に上がる。理由については全員が察したようでなにも言われなかった。
フロアが変わると空気がまたずいぶん変わる。照明が控えめになり、薄暗い中に仕切りつきのゲーミングスペースがところ狭しと並んでいるが、埋まっている席はまばらで、ほとんどがタイトル画面表示で辺りを照らしているばかりだ。どこか緊張感を含んだ光景に少女たちが押し黙るなか、俺は区画の最奥へと歩をはじめる。
「……ふたりはここにいろ」
「どうするの」
「待っててくれ」
ひそひそと言って向かった、最奥の列の、最奥の席。
そこにターゲットがいた。壁際、一帯に人気のない位置にポツンと座って、なにやら戦っているようだった。まっすぐ画面に向かう横顔は黒いパーカーのフードに隠れて見えない。俺は財布を取り出しながらそのプレイ画面をひょいと覗く。端にランクマッチの文字がある。やり込んでいるようだ。
画面にYOU WINの文字が踊るまではそのまま見つめていた。
「なぁ」
区切りがついたところで声をかける。隣の台に手のひらをつき、覗き込む。細身のサングラスと黒いマスクを着用していて、顔はほとんどわからない。
「戦おう」
ターゲットは驚くでもなくただ黙って、それからつと片手を動かして座れというように示した。挨拶もしなかったが応じてくれるようだ。俺もこうなるともう言葉はいらない。迅速に、コインを投入し、対戦モードを呼び出して互いの個人コードを盗み見あい入力、リンクする。
プレイヤーとなる使用モンスターを選んだら、決められた立体フィールドを制限時間のあいだじゅう駆け回り、敵に攻撃をしたりアイテムを拾い集めて自己強化をしたりする、倒されなけれは基本は得点制のアクションゲームだ。オーナーと暮らしていた頃にたびたび一緒にやっていたゲームのひとつだった。ちなみに勝てたことは一度もないのだが、コンピューター相手のエクストラステージなら俺もクリアしたことはあるから弱いわけではない、と思う。
「あのさ……俺、しばらくやってないんだ。勝っても負けても、勘を取り戻してからもう一戦してくれよ、二戦目が本命ってことで。お互いやり口もわかるし。全力じゃないと楽しくねえから。いいよな?」
「……」
相手は、しゃべらない。だが嫌なら拒絶はするはずだ。
戦いはあっけないカウントダウンを経てはじまった。レバースティックを握る手は思ったよりも抵抗なく動く。思い出す。オーナーにぼろ負けし続けた日々。それなりに悔しくてそれなりにやりこんで、しかし圧倒的に勝てなくてつまらなくなって投げ出してしまったこと。ゲームは俺には楽しくなかった。戦いと見るにはまだ緊張感が、空気感が薄いような気がしていた。それでも今回ばかりはあの頃とは比にならない気概がある。失敗したら血を見ることになるかもしれないわけで。
戦っているのだ。
これは、最高の遊びであって、ふざけて手を抜いたような遊びではない。
逃げ回り、アイテムを拾う。相手は先回りして妨害しては肉薄しようと試みてくる。逃げ切る。そんなことが序盤は続き、フィールド内のアイテムをあらかたとりつくしてからは殴りあいになる。背後をとられると大ダメージが入るため背を見せてはいけない、もう逃げられない。互いの背後をとろうと駆け回っては結局正面からかちあって牽制し合う。
が、結局は僅差で押しきられ、俺の選んだモンスターがタイムアップ前にへなへなと崩れ落ちた。YOU LOSEの文字が画面に踊る。
「……もう一回いいか?」
勝ったとか負けたとか強いんだなとか惜しかったとか、そんな文句は一切言わなかった。ただ問うと、ターゲットは無言でふたたび対戦モードを選んだ。是の答えだった。
もう一度。
両手をぶらぶら解してから、俺も準備を行い、終える。息を詰めて、吐く。
戦う。
――やけに頭がさえわたったような、しかし胸が熱くて仕方がないような感覚があって、自然と口許が緩んだ。これだ。計り知れない快感。俺がとらわれてしまった麻薬。ああと思う。こんなものにまた触れてしまったら、俺は、やっぱり戦わない自分を認めるなんてできなくなってしまうかもしれない。それは嫌だ、という思考と、それでもいい、という感情が渦巻いてただ手元の力になる。
「……あ、」
気づいたら勝っていた。
YOU WINの文字を見てある種の酩酊から引き戻され、隣に座る対戦相手を見る。変わらずフードにサングラスにマスクのフル装備だが、はじめてこちらに顔を向けていた。
「あ……、ありがとう。めちゃくちゃ楽しかった。こんな互角の相手はじめてかもな」
「……」相手はこっくりと頷く。
「……また戦いたいな。あのさ、プレイヤーコード控えてもいいか?」
半ば個人的な本心から言って、スマホを取り出し、悟られぬようターゲットの姿をビデオ通話に映した。相手は渋ったように動きを止めたが、やがてのろのろとポケットから同じくスマホを抜き出し、目前の台にゲーム内のプロフィールを表示させた。
業務、進展である。
異能者を孤独にしてはならない。孤独がエラーの暴走を招く最大の要因であるから。仲良くなることこそがエラー管理の本質だ。打算的な友情? そんなことは関係ないだろう、なにかしら楽しめるのなら背景がなんだって本物だ。
名前は「mio」、プロフィール画像は先程も使われていたモンスターの顔だった。ランクマッチでは最上位クラスよりひとつ下にいる。そのほかの情報はとくだん設定されていない。
「ミオか。俺はヒロ、よろしく。まあ、わかってんだろ? 管理組合から来た」
口に出すと、わかりやすくターゲット、ミオは嫌そうに顔を背けた。
楽しくゲームをした矢先にお堅いことを言われたら俺だって嫌だと思うが、しかしこちらも仕事なので、言うべきことは言う。
「まず言う。お前、別に俺たちの仲間になんかならなくていいが、測定だけは受けろよ。野良でも力の危険性は知らねえと怖い」
無反応。
「次に言う。できればウチに入ったほうがいい。比較的安全になるし、生活が保証される。あとは、孤独じゃなくなる」
「……」
「ずっとここで一人でいたいなら、否定する気はないけどな。……じゃあ、待ってるから」
それだけ言って名刺を置き、俺はきびすを返す。そうして台の並んだ一列ぶんを歩き終えたところで、背後数メートルに座ったままだったミオが、はじめてとんと足音をたてたから振り向いた。素顔のわからぬターゲットは、立ち上がってこちらを見て、
「馬鹿にすんな」
と、春の清流のような声で、静かに叫んだ。
そこではじめてミオが女性であることに気づいた。
2020年1月21日
▲ ▼
[戻る]