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見上げた空のパラドックス
Winter31 ―side Kagehiro―

 五年前までの俺たちの仕事で言うと、組織同士の行う戦闘に敵意のある目的は無かった。勝って金や土地を奪おうとか人員を取り込んで従わせようとか、そういうことが無いのだ。戦闘は、異能にかかわるデータを採るため、たんにそれだけの理由で執り行われていた。
 では、なんのためにデータを採るのか。なぜ戦闘データが必要か? 考える機会はあれど無視していたわけで、答えは簡単だ――本当の意味で戦う機会がたしかに在るから。
 そう。今回の俺達の部署は、どちらかというなら「そちら」だった。明里のうっかり殺人を誤魔化すために入ったのだから、当然、そういうことが日夜ある場所になる。
 朝から呼び出されたミーティングルームで、任務概要の書類をにらみ、顔を険しくしたのは俺だけだった。明里も青空も表情を変えなかった。業務の遂行あるいは生命保持において致し方ないと判断される場合に限りターゲットの殺傷を許可する。そんな文言を書面に見たのははじめてのことだ。

「……っし。行くか」

 気合いを入れ直すために口に出した。殺したくないのなら殺さなければ済む話だ。努めて迷いのない足取りで、帽子を被り直し出口に向かう。

「大丈夫?」訊いたのは青空だった。
「大丈夫にする。俺達は殺さないためにここへ来たんだ」

 振り向き様に言って、青空のちいさな頷きを目に納めて扉を潜った。団地の廊下からも白く煙って見える外気は覚悟していても縮み上がるほど冷たい。昨夜遅くからずっと細かな雪が降っている。
 車に乗り込み、まずはスマホを携帯式充電器にセットして、常時通話状態にする。三人全員がそうするのだ。青空はスマホを持っていなかったがさきほど貸し出されたものを使う。これで組織側に俺達の状況は逐一伝わるので、仕事ぶりが細かく評価されるし、万一死んだらすぐに掃除屋が来て隠蔽される。
 向かうは駅から電車に乗って二時間ほどかかる街、そこに軒を構える大型アミューズメントセンターだという。県境をまたぐのは不意に知人と遭遇するようなことがないようにだ。隣の県でごく普通に商っているただのでかいゲーセン、そこに今回の目的がある。
 保護である。異能者の。
 この組織の目的はあくまでも世に溢れるエラーの管理と調査だ。異能者を見つけ出し確保することが、最も初歩的で重要な仕事ということになる。
 野良のエラー。どこにも属さず自己の能力を自己のために使い、見せびらかし、あるいはひた隠している危険因子。そういう奴がこうして声をかけられ組織へ回される例は非常に多くある。あるいは親に捨てられるか警察や病院経由で送ってこられるかだ。
 今回のターゲットは既に何度か組織が接触を試みた相手であるらしい。しかしまったく取り合ってくれず、ことごとく帰されたとある。相手に攻撃の意思は現状みられないが、拒絶は非常にかたくなで、下手を打てば戦闘になるかもしれないと。

「うわー電車電車。駅来るのすごいひさしぶりだねー!」
「ま、乗らないわな。学校も近いし」

 ぽつぽつ言葉を交わしたり交わさなかったりして、駅前で車を降り、そこから電車で目当ての街へ移動する。携帯越しに監視されてはいるが、基本的にはこうして普通に遊んでいる若者として振る舞うことがベターである。普通の生活空間にまぎれているうちは。
 雪景色を車窓の向こうに臨みながら三人で席に陣取る。座席下のヒーターのおかげでちょっと暑すぎるので防寒具を外し、丸めて膝に置き、抱え込んですぐ眠る体勢に入る。

「んじゃ、おやすみ」
「あれ、寝るの?」
「昨日あんま寝てねえから」
「ええ、仕事前日にー? なんでさ」
「話をきいてた」

 明里が不思議そうに目をしばたたいた。

「そしたら二人とも夜更かししたんだ。シアン、寝なくて良いの?」
「私は平気」
「そっかー」

 踏み込んではこなかった。ありがたいことだ。
 ――青空の話、というのも聞き始めて二日になるが。
 彼女は海間に比べると覚えていることが非常に少ない。ような気がする。少ないというより鮮明ではないと言った方が正しいだろうか。誰がいつ何を言ったとか、どんな景色があったとか、海間はそうしたことまで克明に語るのだけど、青空の場合はそうもいかない。たしかこんな世界があって、名前も顔もどう出逢ったかも忘れたけれど大切な人がいて――そういう話になる。海間に関する記述は過去そのものの風だが、青空については彼女がいま何をどう感じているのかといった記述に近いものになっている。
 それからなんとなく考えるようになった。想起の様子としては青空のほうがふつうなのでは、と。海間はどうしてあんなにまざまざと『憶えている』のだろう? 記憶の容量なら二人ともさしたる差はないのだろうに。
 そんなことを考え込むつもりで寝入っていたらしい。乗換駅の手前で肩を揺すられ、凝り固まった身体でコートを着直す。外には分厚い白を乗っけた屋根が連なり、速度にあわせて流れてゆく。

「外きれい」
「だねえー」
「行くぞ」

 乗り換えホーム、電車はそう待たずにやってきて、内外の温度差にくしゃみをしながらまた揺られる。
 そんなこんなでたどり着いて、売店で適当に買った昼食をかじりながら駅前に立つ。そこは俺たちの町よりだいぶ都会で、ガヤガヤと街頭BGMを垂れ流す店舗がバスターミナルに軒を連ねている。そのうちの一件が、目指していたアミューズメントセンターだった。
 スマホを抜き出し、ビデオ通話に切り替えて店の面構えをカメラに映すと、また音声オンリーに設定を戻した。ちゃんと着きましたよという報告である。

「私こういうとこぜんぜん行かないけど、何するの?」
「何ってゲームだろ。ぬいぐるみ取ったり、太鼓たたいたり、パズルもあるし、運転とか……色々」
「詳しいー! ヒロってゲームするんだっけ?」
「一通りやってたかな……ここ一年はやってねえよ」

 言いながらごく普通にぞろぞろ入店し、高低入り乱れた電子音が織り成す独特の騒々しさに身を投じる。
 一階はフロア全体がクレーンゲームのコーナーとなっていて、ファンシーグッズから音響機器まで雑多な商品がずらりと並んでいる。情報によれば、ターゲットはここの三階、格闘ゲームのコーナーに籠っていることが多いと言うのだが。
 まっすぐに向かうことはしない。あくまでも俺たちは遊びに来た体なので、適当に見回ってめぼしいものがないから上へ行くという自然な流れを演出しなければならない。そういうわけで、フロア全体をゆっくり歩き、特に興味もないクレーンゲームの商品に目をやりつつ、連れたって歩いた。

「あれ? シアン」

 明里が声を出したので前を歩いていた俺も立ち止まり振り返る。
 と、青空がガラスケースに貼り付いていた。目線の先にはなにやらリンゴと猫を合わせたようなパステルピンクのぬいぐるみが積み上がっている。

「それほしいの?」
「なにそいつ」
「わかんないけど、とる」
「とるんかい」

 やる気のない突っ込みを入れながら青空が迷いなく懐からコインを取り出すのを眺めていた。そのなんだかよくわからない葉っぱと三角耳の生えた顔付きの球体がよほどお気に召したらしい。がちゃこんと音を立てて金を呑み込んだ機械がピロピロ鳴き始め、青空は機敏に俺の方を見る。

「ヒロ、とって」
「なんで俺!?」
「いちばん目いいし」
「いや距離感とかは視力とは別で」
「早く」
「……」

 急かされたので、これも訓練と思うことにして仕方なくレバーを握った。アームとぬいぐるみの位置関係に気を払い、どこをどう揺らせば何回で取れるかを脳内でシュミレーションする。無心でレバーを調整しボタンを押すと、アームはリンゴ猫をちょっと転がすだけして弱々しく引っ込んだ。

「あと三回でとれる。金はお前が出せよ」
「うん」

 青空がコインを投入し俺がレバーを動かす。とれるまでは押し黙って計算を続けた。結局、最初のもくろみ通りに全四回のプレイでぬいぐるみはがこんと鳴いて穴に落とされる。

「すごーい。そんな特技もあったんだ!」明里が目を輝かせて叫んだ。
「別に俺よりうまいやつはいるよ。つーかゲーム趣味でもねえし」
「でも、こうやって人を喜ばせられるんだからっ」

 明里がにこにこと言った矢先、青空がしゃがみこんで機械から商品を引っ張り出した。一抱えある葉っぱの生えた猫は締まりのない顔で彼女の胸に収まる。青空は抱いたぬいぐるみにしばらく目を落とすと、はにかんだように頬を染めて顔を綻ばせた。


2020年1月20日


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