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見上げた空のパラドックス
Summer10 ―side Tadashi―

 砂利を踏んで走り出す。ざわめく人々にはできるだけ気づかれぬように、砂を巻きたてぬように気をはって足を進める。そうしてふたたび現場を見て、爆発物の出所を探る。
 焼け崩れた喫茶店の壁面にはよくよく見れば砂に混じって細かなガラスの破片がちらばっている。爆弾と言うよりも火炎瓶に近いものだったのかもしれない。問題はそれがどこから誰によって投げられたのかだが、集まった野次馬にまぎれたと思うと下手に見当もつけられない。

「原因が知りたい。逃げるわけにもいかねえな……」
「居場所に見当つけられちゃったんですか」
「それが不明だから調べたい。関係の無いテロなら、さっさととんずらしたいが」
「じゃあ、喫茶店に何か明らかな原因があれば関係無いって断定できますね。行きましょう」

 日暮が言って、半壊した喫茶店へすたすたと入ってゆく。確かにそれしかないだろう、しらみつぶしに原因を漁っていくしか。僕も店へ押し入って普段は立ち入らない奥の倉庫へ進む。日暮が先に物色をはじめている。

「慣れてるんだな」
「盗みならだいぶ。人のいない町ばっかりだったし」
「そうかい。お前は敵に回したくないな」

 棚を漁るが予備の調理器具や調味料の瓶ばかりで特に目立つものは置かれていない。

「そういえば、どう見えてんだ俺達。これってポルターガイストじゃないか?」
「そう見せるのも煽りにはいいからよくやるんですけど、いまはなにも変わってないように見せてますよ」
「今ので幽霊が怖くなくなったわ」
「いままで怖かったんですね」
「比喩だよ。まあマジにポルターガイスト見たらさすがにビビりはするよ。理解できないもんは怖いだろう」

 無駄口を叩きながらもお互いに淀みなく物色を続け、あらかたを終えてもやはり大したものは見つからず切り上げる。もとより狭い店内には本当に喫茶店を営む上で必要最低限のものしかないようだ。
 徒労に息をついてすばやくその場を離れた。自警団の男たちがもう到着していて、爆発のあった店の壁面に群がっていたからそっと遠ざかる。野次馬は散り始めていた。

「無理そうだな。俺が犯人ならもう遠くに行くか知人の家に隠れてる頃だ……帰るか」
「俺はどうします?」
「バス逃したろ。次は夜だ」
「あちゃあ。じゃあちょっと戻りましょうか」
「森までか? 往復したらもう夜だぞ」
「だって聞くのがいちばん早いです。調べごとなら『データベース』に」

 ――『データベース』。
 輪郭のない声だからこそ言葉の印象が強くなる。文面よりもなによりも先に、理解の波紋に打たれた。その波紋はもっとずっと時間をかけて僕に表情や動作をあたえる。具体的には、ふと路地の片隅に足を止めた。日暮もつられるように止まって僕の顔を見る。微笑んでいる。僕は、すこし考えて、とりあえず暑さに耐えかね近くの日陰に移動した。
 データベース。そんな決定的な言葉を、そうも軽く当然のように、しかも当人でなくて彼が吐くということは。

「隠さなくていいのか。口止めはされてねえのか」

 目を見て問う。彼は表情を崩さずに、

「ええ、破っちゃいました。必要だし、彼女もどうせ言うと思って」

 解ることはいくつかある。
 まず、アルマは、たぶんもうとっくに『神様』として覚醒めていて、それを僕には隠していた――あるいは彼は『データベース』と言った。呼び方は不定で様々だ。事実だけ言えば、いまの彼女は総てを知っている。爆発騒ぎの理由も、僕のことも彼女自身のことも、日暮のこともその探し人のこともだ。彼女のなかに長年くすぶっていた全知に至る病が、ついに発症したのだから――。

(なら、終わりかもしれない。この仕事も)

 それから、ここ数日の戦闘訓練期、彼とアルマとの間に何かしらのやりとりがあり、その過程でアルマの全知を彼が知るに至ったということ。僕には隠していたそれを彼には明かしてしまった、もしくは悟られてしまったとなると、何かと言ってもただならぬ対話があったと見ていい。
 ただならぬ対話。たとえば。

「じゃあ、おまえ――探し人、見つけたのか?」

 日暮は言っていた。彼女が目覚めれば、使わせてくれと。探し人がいるからと。ならばその取引は既に為されたのではないか。
 彼は淡く微笑んだままふいに歩き出して、数歩前から横顔だけ見せて答える。

「目星はついたってくらいです。お陰さまで。まだ見つけたわけじゃないんですけど。かならず逢いに行きます」

 熱のこもった焔色の目に、表情を変えてもいないのに一目で身を打つような強すぎる感情の発露に、僕は一瞬だけ怯んで、すぐ振り払ってその背を追った。歩くペースが心なしか速いのは単純に時間がぎりぎりだからか、気が逸っているからか。
 彼がそんな感情的な振る舞いをとるのは珍しいことだ。少なくとも僕の前では。いいや。振る舞いをとると言うよりも、感情的な人間に為っていると言う方がしっくりくる。どちらが素なのかと言ったところでどちらも素なのだろう。薄情な彼の根源、他への情動など消し飛ばすほどの、唯一の激情の在処。
 ここまでのものが持ち出されたら、なるほど天下の神様も隠し事など通用しなかったのだろう。

「なんだよ。そんなら店なんか守ってる暇あるのか」
「むしろ好都合なんです。あの町にいるんだって。言われて。ならとうぶん冬で野宿もしづらいですし、拠点があるのは有り難くって」
「野宿前提なのかよ。……ま、そうか。おまえの目的が灯台もと暗しだったお陰で俺の店が守られるなら、互いにいちばん良い。これでお前が旅に出ちまったら豆が痛むところだったよ」
「はは。コーヒーのことしか考えてないですね、栫井さんは」

 彼はそう笑って言って足を進める。

「そんなことないさ。今日明日の食事をどうするかってのもけっこう考えてる」
「ああ、いいですね。生きることを考える癖、俺はもう抜けきっちゃったから懐かしいや」
「飯のことも考えずに女の穴ばっかり追ってるって?」
「まさしくそうです」
「女なのか」
「ええ……たしかちょっと背が低くて。歌がうまくて。同い年なんですけど……」

 穏やかなような苦しげなような微笑をたたえて語る彼は普遍の恋する少年で、どこか懐かしくも思えてくる。僕は恋より趣味や仕事を取って十分に満足しているような人間だが、そんな奴からも感傷を引きずり出すような、彼の強すぎる感情の発露にはそういう力があったのだ。

「――栫井さんはどうなんです?」
「どうって?」
「アルマ。わかってるんでしょう」

 彼がふと表情を納め、ひどく冷静なトーンで問うた。
 僕は反射的に思い返していた。
 数ヵ月前、冬の始まり、日暮がもうほとんど一人で立派に店を回せるようになって久しいころ、とつぜん渡航を命じるメールが来たのだ。その指示というのが「少女を保護しろ」で、僕は日暮に店を任せて国を発った。たぶん日暮がいなければ豆を案じて断っていただろう仕事だ。熱い地域で、陽射しを恨みながらにスラムを闊歩して、警戒の足取りで遠巻きに凝視してくる子供たちを尻目に、設定された場所ですでに確保されていた少女を引き取り、名付けた。

「なにか聞いたのか。彼女に」

 質問で返すと、彼は細く息をついた。

「聞かなくたって。感知系が人に入れ込んだらどうなるか――見てきたんで。俺は。こんなのお節介ですけど、ほっといて誰か死んだら嫌だから」
「なるほどな。忠告って訳だ」
「どうするつもりなんです」
「どうもしないさ。アルマがどう思っていても。俺は突き放すうちの一人だ」
「……」

 互いが黙った。もう口を開かなかった。
 これでも少しは迷っているつもりだ。近ごろ考えることが多い。アルマの僕への態度の異常さと、それを看過していいのかどうか。そうしてすぐに結論が出る。彼女の意志の方向性が僕の意思の尊重にあるのなら、なんら問題はないどころか都合がいいから放っておこうと。その結論にひとかけらだけ納得できない僕は沈黙を貫いて歩く。
 やがては山林、なけなしの獣道に入る。そのあたりで徐々に疲労を感じ始めて、息が上がったから日暮を引き止め歩調を緩めた。無理をしたのだ、帰りついたら、きっと怒られるのだろうな、とぼうと考えて茂みを分ける。止まりはしない。
 そうして畑道が見えてくる。昼下がりの光を受けて茂った食物が蒼くかがやく。その光景にふと安堵して息をついたところで、遠く前方、半壊した小屋の中から彼女が顔を出した。

「無理しちゃったね、ロイヤ」

 開口一番がそれで、彼女はやれやれといった顔で笑っていた。生じたばかりの安堵が急速に広がって土に膝をつく。あれ。跳んだのも短距離だったから、そこまで疲弊した気はしていなかったが。やはり病み上がりだからか。ぐらついた身体を日暮に支えられ、地べたに座り込んだ形になる。視界上方、土の上に見慣れた細い少女の足が、近づいて目前で止まった。その手が流れるまま僕の鞄に伸び、携帯をつかんだのが見えた。なんのために?

「待っ――」
「大丈夫、もういいよ、あとはわたしがやるから」

 笑顔の残照。
 意識が落ちた。


2020年1月3日

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