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見上げた空のパラドックス
Winter26 ―side Akari―

 昼食の挨拶をしようという際のわずかな時間を借りて三人でみなの前に立った。しばらくおでかけします、学校がはじまる頃には三人とも帰りますと、やわらかな口調でおばさんが説明をして、私達はおのおの小さく会釈をする。食堂はしんとしていて、何かを察した気配でこちらを見ている子もいれば無関心に皿を眺めている子も、不安げにひとみを揺らす子もいたから、私はほほえんだ。主に幼少の義妹弟たちが座るテーブルにむかって。

「いない間よろしくね。ちゃんとおばさんたちの言うこと聞くんだよ? お土産はないけど戻ったらいっぱい遊ぼうね」

 心なしか安堵を浮かべた子が何人かいたと思う。
 それからみなで手を合わせ、食事に手をつける。さっきは驚くほどよく話した青空ももういつも通り静かに手を動かしていたから、私もいつも通りに適当な雑談をして約40分のほとんど決められたランチタイムを終えた。いよいよ旅立つときが来て何人かの義妹弟に囲まれ、ひとりひとりの頭を撫でて、じゃあいってきます、とだけ言って青空とおばさんと共に玄関を出る。
 おばさんに見送られ、ホーム前で一台のワゴン車に乗り込む。先に乗っていたかげの隣に詰めて、さらに青空が乗って三人で最後列を埋める。その前列にはさっき食堂にいた人達が、もう一列前の助手席にはお父さんが座って待っていた。扉を閉めるや否や、車は雪道を慎重に進み出す。
 私の両隣の二人とも黙って外の景色を見ていた。私はなんとなくうつむいてじっとしていた。
 少しだけ考えたのは、これから一週間弱の間だけ、もう絶対に名乗らないと思っていたコードネームが戻ってくるのだなあということ。この車に乗った時点で私はセン、彼はヒロなのだ。

「そういや」

 口を開いたのは、ヒロだった――そう呼んでおく。

「青空の能力って何だ?」

 問いに、青空が振り向いて、私の目の前、つまり三人の真ん中に手のひらを出した。刹那、白い煙らしきものが彼女の手の上に渦巻く。吸う空気にかすかな冷たさを感じる。

「物質操作」

 簡潔に青空が答えて、すぐに煙がほどけ、温度がもとに戻る。

「今の白いのは?」
「二酸化炭素」
「へえ。……万能じゃん。俺たちのやれること全部お前の力でも再現できるってわけだろ」
「コトは無理。モノならだいたい……でも、原子ひとつから組み直すから……おおざっぱな力の方が楽で、強いよ」

 とつとつと言いながら彼女が手を引っ込めた。ヒロは変わらず戦闘にかかわる話になると興味津々で身を乗り出している。いいけどシートベルトちゃんと締めなよと思う。

「明里、」

 不意に呼ばれて、なに、と言って目を合わせる。冬空の色の目は無垢なままで、言葉もまた不純物のない透明で淡々と紡がれる。

「力、見せて」
「え、私の?」
「私、明里の力、ちゃんと知らない。知らないと、抑えられない」

 至極まっとうなことを言われてうつむいた。私の力に人生を奪われた人がすぐ隣にいる。危険すぎる忌むべき力を、軽く「見せて」と言われても心の準備にちょっと時間が必要だ。私は答えに倦んで視線を迷わせる。

「私に抑えられるなら物質干渉系だよね。小規模展開は難しい?」
「ううん。ただ毒性が強くて、ものに触れるとよくないから」
「じゃあ、ここで」

 彼女が両手を皿のように合わせて、そこにひとつ丸く泡のようなものが形成される。いや、ようなものじゃなくて泡だ、水の泡。素直にすごいなと思ってほうと感心の息をつく。これなら大丈夫かもしれない。
 頭の片隅でちらと意識するだけでそれは起こる。彼女の形成した泡の内側にひとひら黒いものが生じて、ぶくぶく膨らみ、泡の内側を滑るようにまわりだす。この毒はいったい何なのか、調べてもらったところ純粋な物質ではなく複数の激毒やらヘドロやらの濃縮ミックス状態らしい。これが私の意識の奥底から湧き出でては誰かを殺しているというのだから気持ちの悪い話だ。

「そのまま」

 青空が目を閉じてしばらく黙った。私もヒロも黒くなった泡と彼女をじっと見つめて、車が二回角を曲がるまで静寂が続いた。
 そうして彼女が目を開くと、まばたきする間に泡がもとの透明に戻った。維持していた力の霧散した感覚があって、私は脱力するとともに目を見張る。泡は次の瞬間に空気編成のさなかへ姿をくらまし、なにも跡は残らなかった。

「これなら多少大規模でもだいじょうぶ」
「えっ……す、すごい……」
「タイムラグはあるから。人に作用して一秒したら……器官によってはやっぱり死ぬけど。末端の肌なら重症にはならない」

 事も無げにさらさらと説明して、青空は前を向き直った。私はまだ信じられない思いで泡の消えたあとを見つめる。なにも言えなくなって車の揺ればかり意識する。ああと思う。私はもう無為に殺さなくて済むのか――それは思ったほどの嬉しさでも安堵でもなく、ただすとんと腑に落ちた。彼女が来てくれてよかった。

「青空……ありがとう。一緒に来てくれて」
「景広に言って」
「なんで?」

 言われて、ヒロに視線を向ける。急に話を振られた彼がやりにくそうにそっぽを向いたから、なんだろうと思う。そういえば青空は彼に用があるからついていくのだと言っていた。

「なんかあったの? あなたたち」
「青空にはあった」
「『には』?」
「重さが違う。俺とじゃ」

 曖昧な返答だった。そして、静かで決然とした。だからそれでじゅうぶんだった。深追いをやめて、そっかと笑って会話を終わらせる。彼の言いたくないことなら、言わなくても大丈夫なことなら聞かなくていい。
 ちょうど車が目当ての区画にたどり着いてゆるやかに減速していた。窓外の景色をなつかしいと思う。一見はただの集合住宅密集地だが、このあたりの住民はすべて異能者で、団地の部屋のうちいくつかは訓練所であったり教室であったり司令室であったりする、巨大な施設なのだ。
 傍らではヒロもすっかり窓に貼り付いていて、心中を察した私はくすくすと笑った。彼が驚いたようにこちらを見るから、ごめんと軽く謝って。

「ヒロ。おかえり」

 レンズ越しの暗いひとみが当惑に揺れた。同時に口許は安堵したように緩んでいてちぐはぐだった。彼はあのころとは正反対のダウナーな口調で、けれどあのころと続くだろう言葉を紡ぐ。

「……お前もだろ。おかえり、セン」


2019年11月17日

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