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見上げた空のパラドックス
Winter25 ―side Kagehiro―

 明里は青空の手を握ったまま、みたび立ち上がって強い視線で俺に振り向いた。目があったのは一瞬で、視線はすぐ彼女の父に向いた。

「……お父さん。私、かげを連れて行く」

 彼女は憑き物が落ちたすっきりとした口調でのたまう。背筋が伸びていて、声音に迷いがない。とんでもないことをその華奢な体躯で堂々とやってのける。ああ、これだ、懐かしいと思った。これはあの頃の俺が追ったセンの残照。強さという名の美しさ。
 だから、俺は少女が嫌いだった、五年前のあの日から。だって美しいから。美しいものは強いから。強いものは怖いから。怯えて、呆然として、震えて、魅せられてしまうから。確かな痛みや絶望の入り雑じったその感覚を思い出すから。まあ、他の理由もけっこうあるけど。

「無理ではないよね。無理な理由がない。仕事はないかもしれないけど。何もしないからいちゃダメってこともない。学校だってどうにでもなるでしょ。だから連れていく」
「それなら、」

 荒唐無稽で圧倒的な宣言を、間髪入れず引き継いだのは青空だった。椅子が床を擦る音がして、立ち上がった彼女が明里に向き直る。

「私も行く。景広には用がある」
「君達。何を言ってる……?」

 大人たちが魔法が切れたようにようやく困惑しはじめる。俺は呆然とそれを見るばかりで思考を放棄している。目前に並んだ少女たちの視線が俺をとらえて、なにかを訴えかけてくる。訴えかけられても絵面の威圧感しか伝わってこないのだが。
 青空が微笑んだ。いつもの慈愛に満ちた笑みではなく、どこか悪戯な、何かに勝ったような誇らしげな笑みで――そっちが素だろ、お前。

「明里のお父さん。先程のお話ですが、考えが変わりました。受けさせていただきます。さしあたって条件は、景広も私達と一緒に戦わせることです」
「マジでっ!?」
「な――」
「青空! ありがとうっ!」

 明里が思わずといった所作で青空の肩を抱いた。これには俺もついに立ち上がって、彼女らの築いた舞台に便乗する。戦えると聞くと状況がどうあれ反射的に血が沸いてしまうのはもうどうしようもないのだ。どうしようもなく、笑顔になった。

「できんの?」
「できなかったら一緒に逃げよう」
「怖っ」
「明里はそういうひとだから」
「なんで青空が答えんだよ」

 昼前の食堂、机の一角を囲んで三人、高揚感に立ち上がって爛々と視線を交わした。明里父が大きく咳払いをしたからこのくらいにして、おのおの座り直す。だがもう萎縮はしない。明里が暗い目をしなくなって、青空が味方についた。負ける要素がなくなった。
 俺達を囲んでいた大人たちが困惑の目配せをして、施設長がスマホを耳に部屋を出ていく。明里父が険しい表情で息をつく。

「景広くんは雇えないと言ったはずです」
「信頼できないから? ではどうして他所者の私を信頼するんですか。どうして問題行動をとった明里を信頼するんですか」
「それは」
「私は私のためにしか動きません。明里もあなたの従順な娘ではありません。景広を戦わせずにいたらまた同じことは起きます、戦闘狂だもの。最善を考えてください、私達の意見がここで合致したのは、あなた方にとって決して悪い話ではないはずです」

 青空がこんなにはっきりと伝わるように話したのは本気で初めてだったから、横顔をまじまじと見てしまう。失礼な話だが、そうもすらすら聞き手のための言葉を出せるほど物事を考える奴だとは思っていなかった。彼女にその気があれば友人の多いタイプなのかもしれない。
 いや、というか戦闘狂って言い方はないだろ。それしかない人みたいじゃないか。たしかにそうだったが、俺はそこから抜け出そうと迷走した末にお前らの日記やら遺書やらを書いてんだぞ。
 内心で不満を垂れていると、外で電話をしていた施設長が足早に食堂へ戻ってきて告げる。

「浅井さん、OKです! 送迎車が昼食後に来ます。明里ちゃん、景広くん、青空ちゃん、三人とも時間は短いですがご飯までに支度をお願いね」

 さすが、施設長は即座に俺達の要求を最善と判断して上にかけあっていたらしい。そして、承諾されたと。
 明里父が眉を潜めながらもわかりましたと言って席を立った。俺達は顔を見合わせて、ばらばらに立ち上がって、いっせいに笑った。
 そして自室へ駆け戻る。少し散らかった一人部屋に物は多いが、いざ必需品だけを選ぼうと思えば大した量がない。数日分の着替え、充電器、ノートと日記帳と筆記具を順番にスクールバッグへ押し込んでゆく。準備にかかった時間は数分、しかしようやく興奮が冷めてきたのか疲れを感じて椅子に腰を沈めた。そこで手持無沙汰にポケットから携帯を引っ張り出して、メッセージの着信に気づく。

「海間っ……!」

 送信主の名前を目に、驚きに跳ね上がってチャットルームを開いた。

『連絡遅れてごめん。近々営業再開します』
「近々っていつだよ行けねーわ。タイミング悪いなお前」

 思わず肉声で突っ込んでから、しばらく行けない、と打ち込んで送信する。返信はすぐに来た。そっか、と三文字だけ。あっけなくやり取りの終わったチャットルームを、厳密にはそれを表示した端末を机上に置いて、俺は神妙に見つめる。
 言うべきか――青空のこと。だって彼女はもう海間を忘れていて、海間に彼女を殺す気がないのなら、ふざけたデスゲームはうやむやになって始まらないということではないか。いいや、だとしても俺に言えるのか。彼女はここにいる、でもお前を覚えてないなんて。

「……」

 そのまま画面を閉じてポケットに仕舞い直した。どうせ青空は今日から組織入りするわけだから一般のカフェ店員である海間に会うすべはない。仕事が終わってからまた考えよう、と先延ばしにした。
 戦わせてもらえるのはたぶん賠償が済むまでの一定期間だ。それも一週間とかそのくらいの短期間が関の山だろう。明里も青空も俺ももう学校に在籍してしまっていてホームの一員でもあるから、ずっと向こうで働くわけにもなかなかいかない。ホームは組織の傘下だからいいとしても学校は誤魔化せない。冬休みのうちに終わると考えて良い。
 その短期間で俺がすべきは――いよいよ戦闘狂を卒業することではないだろうか?
 うつむき、考えた。冷めた頭にさまざまな思考がよぎる。
 強くなりたい一心にがむしゃらだった自分が一瞬で打ち砕かれ、なにも手元には残らない空っぽでオーナーと暮らし療養した。回復してきたところでさあ他に楽しめるものを探せと一般人の生き方に放り出され、馴染めずふらふらとした矢先に海間と出逢ってようやく面白いものを――己の意志を見つけたと思った。彼の話に耳を傾けノートに汚い記録をとって、帰ってから日記帳にまとめ直す、そんな日々がしばらくあって、それからこの世界で青空を見つけたときはこれが運命かと諦念まじりに納得した。そうして海間に隠し事をしたり無関心に振る舞い続ける青空に腹を立てたり明里の男と揉めたりしているうちに海間がどこかへ行き、オーナーを付け狙う誰かの存在に気づいて戦って、明里の正体を知り、今度は共に仕事をすることになった。青空もついてくる。なぜってたぶん昨夜の俺が彼女の遺書を書くと言ったから。

「滅茶苦茶だな……」

 なにもかも許せないことばかりだ。明里のことも青空のことも海間のことも。なかでもいちばんは自分の停滞だった。五年前から止まったままの時間をどうにか進めたい、そう願いながら過ごしてきた。やっぱり戦いながら生きてきたから、生に対して緩やかでいることに耐えられないのだ。なにかを強く思うということ、それ自体を強く望んできた。じゃあ結局いまの俺にできることは、いまの俺に強く思える事柄は決まっていて。
 永遠に止まったままで揺蕩う二人のこと――
 昼食前を知らせる時計の音が廊下から漏れ聞こえて、俺は腰を上げた。


2019年11月12日

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