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見上げた空のパラドックス
Winter24 ―side Kagehiro―

 まだ三賀日だというのにこの沈痛な空気はなんだ。ちびっこは気を使ったように笑うし、ふだん絡みのない高学年以降の奴等からもなんかちらちら見られている。そして朝から例の義姉――もうその呼び方も変か――明里の姿が見えない。というかまさにそれが原因だろう。夜中のうちにそっと自室へ帰っていった青空は空席のとなりで黙々と朝食をとって、今はロビーの片隅で眠たげにひとりお茶を啜っている。あいつがいちばん平和だな。
 考えてみれば当然だ。あれだけの規模で人を殺しておいて、上層部が黙っているわけがない。呼ばれたのだろう――と思った矢先に俺のスマホが鳴って、見れば施設長からのお呼びだしだったから納得しかなかった。俺も、というか俺が勝手に戦ったのだから自然お咎めはあるわけだ。
 渡り廊下へ抜けようとロビーを出ると、景広、と呼ぶ声があって振り返る。青空だった。

「私も行く」
「……なんで?」
「呼ばれた」
「なん……行きゃあわかるか」

 青空、口数が多くはないがすっかり普通にしゃべるようになったな。マジかよ。
 戦慄しながらも冷気のはりつめた渡り廊下へ出て、震えあがって小走りに棟を移動する。昼前、今は閑散とした食堂に顔を出すと、大人に囲まれて明里が自席に縮こまっていた。

「あ、景広くん、青空ちゃん。どうぞ座って」

 大人たちの中心にいた施設長が振り向いて形式的な笑みを浮かべた。嫌な空気に精一杯顔をしかめて、のろのろと足を進める。ところが青空がすたすたと歩いて明里の隣に座ったので、負けじと足を早めてその対面に腰掛けた。大人たちはまわりに立っている。

「まず、景広くん」

 知らない男性が青空と俺の間、誕生日席に椅子を引いて口を開いた。気圧されてうつむき、なんですか、と声を出す。

「色々言いたいんですけど、君、ちょっと前にも無許可で戦いましたね? 商店街の方で。まさか他にも戦ってない?」
「……他はないです」
「そうですか。まあそれでもね。ツリーチャイムは『一般の』施設ですからね。困るんだよねえ、もし君のせいで他の児童さんも敵に目をつけられたらどうするつもり?」

 言えることがなにもなくて口をつぐんだ。彼の言う通り、ここにいる以上俺は戦ってはいけない立場で、戦えば想定される被害は生半可なものではない。戦えるということに興奮してリスクなんて考えられなかった。これは俺の不祥事への正当なお咎めだ。
 それにしても胸くそ悪い言い方をされたので、わかりやすく深く息をつくくらいの反抗はした。

「神社から僕らに賠償請求も来ました。景広くん。今すぐにでもそのぶん働いてもらうのがいいんですが、ここのみなさんが君を守るって言うもんだからね、いいですか? この施設のお金をお支払するわけです」

 金の話はわからない。ただ胃が痛んで、施設長のはりつめた表情をちらりと見る。

「……俺に働かせてくれないんですか」
「もちろん少年院でなら働いてもいいですが。うちだと君はもう雇えません。目のことというよりも、信頼できないので。当然ね。自分の行いに責任を持ってくださいね。いいですか、君の代わりは明里がやるんですよ。施設の損失を彼女が埋め合わせます」
「……は?」
「きっかけは君ですが、まあいちばん問題なのは明里だからね。彼女は少なくともほとぼりが覚めるまでは働きに出ます。ついでに君のぶんまでね。……これでも僕は怒っていますよ。景広くん」

 当惑して男性の顔を見る。話を飲み込もうとする思考が空回って呼吸をさまたげる。どういうこと。
 斜向かいから明里のコバルトヴァイオレットが伏せがちに俺を見ていた。かすかに揺れている。なに、その目。なんとなく腹が立って視線を背ける。

「くれぐれも反省してくださいね。それとできれば君が成長してから慰謝料をいただきますから」
「ちょっと。そこまでしなくていいよ、私だって」
「明里。君だけの問題じゃないからね」

 がたんと立ち上がった明里が男性を睨んだ。
 待て――どういう。

「わかんないな。勝手に戦ったかげは悪いよ、でもそれは別に私への迷惑じゃない。私は自分のミスでどうせしばらく働かないといけなくなった。そのついででかげのぶんも自然になんとかなるんだから構うことない。なんでそうなるの」
「結果的に君が彼の罪を被ることになる」
「……そう見えるんだ。そう。でも、だとしてもかげが償うことなんて無い。かげを傷つけて戦線から下ろしたのは私だ。それに比べたら些細なことだよ」
「あの話はもう終わりだよ」
「終わってない」

 明里の怒る姿はやはり慣れない。いいや、あれは怯えかもしれない。白い横顔に冷や汗がつたっている。
 俺はその姿を前に、問う勇気を絞り出すために両手を握りしめた。

「……待って。あか。何。どういうこと」

 低く震えがちの声が出て、弾かれたように明里がこちらを向く。まとっていた怯えがわずかに和らいで、まだ少し困ったような顔で。

「えっと、どのへん?」
「ぜんぶ」
「じゃあまず、今の状況。私たちが神社でやっちゃったぶん、かげはホームが肩代わりしたから放免、私は殺したから誤魔化し効かなくて、自分で賠償するついでにホームの出費の埋め合わせ」
「……うん。うん? なんであかが俺の罪被るわけ?」
「被ってないって。どうせ私は行くんだから大して変わんないよ。かげが捕まるか捕まらないかだけの差。任務ひとつでいくら貰えると思ってるの。寄付だよ、寄付。ホームへの。……あ、あとこのひと、私のお父さん」
「え」

 びっくりして彼女と男性の顔を交互に見る。え、これ明里の父? じゃあ明里は生まれつきこちら側にいたのか。感想はそんなものだったが言語化されない驚きだけが残留して何度もそわそわと親子の顔を見比べた。
 状況を整理し直す。組織から叱られていると思っていたのだが、どうやらちょっと違うようだ。俺は、俺の不祥事で被害をくった明里の父の怒りを身に受けていたと。

「え、じゃあなんで青空をつれてきたんだ」

 言いたいことが山ほど思い浮かんで、口に出たのはそれだった。
 対面に座る青空は湖面の静寂をまとって黙っている。これはなにも聞く気がないときの彼女だ。やっぱり見ていると苛立つが、今回ばかりは聞く気がなくて当たり前だ。彼女には微塵も関係の無い話を目の前で長々と繰り広げられているのだから。

「……青空にはお願いが、あって」

 明里がうつむいて、座り直した。
 しばらく無言の時間が流れ、明里父がため息混じりに口を開く。

「青空さん……失礼しました。本題です」
「……」
「明里と一緒に戦ってくれませんか」

 突っ込みどころがありすぎて思わず顔を上げた。なんの義理もないはずの青空にいったいなにを頼んでいるんだ。それでもさっぱり関心がなさそうにぼうとしている当人が視界に入る。こいつはこうなるともうダメだ。なにかきれいなものを見るでもしないと帰ってこない。

「君の力なら明里が暴走しても無効化できる。こちらにできることなら代価はなんでもいい。話だけでも聞いてくれませんか」
「……」

 あれ、青空の力ってなんだっけ。そういえばよく知らないと気がつくが、とても問える雰囲気ではない。
 たっぷり数十秒は不自然な沈黙が流れ、その場にいる青空以外がいたたまれなくなって視線を迷わせはじめる。青空は変わらずどこでもない虚空に澄んだ目を向けている。
 落ち着かない。理解はやっと追い付いた気がするが心が追い付かない。せわしなく、周囲の人の動向ををただ観察する。

「ごめんなさい、そうだよね。青空には私からちゃんと言う」

 不意に、言いながら明里がまた席を立った、と思えばしゃがみこみ、青空の膝から冷えた片手を取り上げて、祈るように頭を垂れて語り始める。

「ねえ青空、聞いて、私、かげを傷つけたんだ。かげの人生ぜんぶを」
「なっ……おい」
「黙って」

 急に始まった自分の話に焦って声をあげたが、ぴしゃりと遮られるものだから、浮きかけた腰をつい沈めた。なんでだよ。
 明里は青空に跪いたままで語りを続ける。

「かげの未来がなくなっちゃったことがいちばん悲しかったの。戦えば必ず誰かの意志が絶たれていくって、気づいたんだ……だから私、戦うのを辞めた。でもまた殺っちゃって、戦わなくちゃいけなくなって、拒んだら両親にもホームのみんなにも迷惑がかかるから逃げられなくて……だけど私はこれ以上、せめて余計な死人は出したくない」
「……」
「もちろん私ひとりで制御するように努力はするけど、間に合わないってわかるの。だから、あなたに力を貸してほしい。お願いします……」

 青空の視線が、明里に向いた。

「お断りします」
「え」
「強い気持ちほど、応えないほうがいい」

 はっきりとした拒絶に、俺だけが、そうだよなあ、という感想を持った。

「それに……明里? どうして嫌なことを受け入れるの。行かなきゃいい」
「え、でも」
「それとも、行ってあなたの立場を守りたいの?」
「……」
「あなたは犯罪者になってもいい。犯罪者になっても逃げ続ければいい。ここが狙われるなら、あなたがここで身を呈して守ればいい。お金ならお父さんにでも、他の誰かでも、脅すか殺してでも出させればいい」

 青空は道端に小さな不可解を見つけた幼児のように首をかしげて問いを重ねた。明里はその無垢な青に目を見張って、唇を震わせたが、なにも言葉にはならない。

「だれかのために自分を消しても躊躇うことない。それが『あなた』じゃないの?」

 またそうやって慈しむように微笑む彼女のとんだ非常識な発言に、誰もなにも言うことができなかった。呆れたわけではない。どちらかというならそうだ――魅せられていた。思い出したのは学校の屋上で見た夕闇、茜に溶ける彼女の歌。
 忘却の向こうがわ、悠久に裏付けられた彼女の研ぎ澄まされすぎた言葉が、一瞬を生きる俺達にそのとき突き刺さったのだ。


2019年11月11日

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