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見上げた空のパラドックス
Winter20 ―side Akari―

「みんな留守番お願いね。じゃあ私、行ってくるね」
「……気、つけてね」
「うん。ありがとう」

 義弟義妹たちをホームに送り届けて、私はすぐにきびすを返した。不安げなみなの視線を背に、一度だけ振り返って笑顔を見せた。そして、できるかぎりの駆け足で神社のほうへ駆け戻る。途中で暑さを感じて片手間にマフラーを外した。少ない石段を飛ばして登り、会釈もなしに鳥居をくぐる。
 さきほど、本殿に並んだ頃合いになって、まずいなと思ったのだ。早く終わらせて帰ろう、この子たちを不安にさせてはいけない。そう考えた矢先にかげが残ると言い出したから驚いた。本当はすごく動揺した。どうしてかげがこんな物々しい場所に。止める選択肢はあった。止めなければならないはずだった。そうしなかったのは、そう、どうしても確かめたいことがあったからだ。軽率なことをしたのかもしれない。でも、でも。
 立ち止まり、俯いた。神前、己に問う。本当にいいのか。

(いまさら。迷う時間はないな)

 少し隅に寄って、手早くコンタクトレンズを外した。少し明瞭になった視野に満足して、レンズをケースに押し込む。
 本殿を周り林に入ると、すぐびりびりした空気を感じ取った。木々の雪化粧が剥げていて、地面がやけにがたがたしている。とても静かだ――そこに彼らを見つけた。私の気配には気づいたはずなのにぴくりとも動かず。六人。その足元に、見慣れた蛍光イエローがあった。
 口より先に手が出た。というか、出すぎた。私は走る。つまさきの軌道に沿って、波紋のように放射状に雪が黒ずんでゆく。気にしている暇もない。二秒、辿り着く、触れる。
 六人全員が同時に吹き飛んで雪面にくずおれた。軽い牽制のつもりだったのに。その勢いに自分でびっくりしたのだけど、そんなことよりかげだ。私はひとまず彼を抱き起こす。

「遅くなってごめん、かげ」
「は――お前」
「怪我は? 痛みは? うわ、冷たい。すぐあっためないと。意識、もつかな? 人呼んでもいい?」
「……待、……え」

 彼は全身を大きく震わせていた。頬に手を触れるとぞっとするほど冷たい。青空を助けたときのことを思い出す。命の有無を疑うような温度のなさだった。あれほどではないにせよ、彼もかなり冷えていることには違いない。とりあえず外していた自分のマフラーを彼の蛍光イエローの上からさらに巻いた。彼は朦朧と息を吐いて、震える目で私を見ている。

「あ、ま、周り。周りを見ろ」
「え? あっ」

 言われた通りに周りを見た。かげの周辺を残してぐずぐずに黒くなった地面に、熔けかけた木の根がしがみついて、その上に八人の人間がごろごろと転がっていた。――しまった。みんな死んだかもしれない。ようやく血の気が引いてきて、相応の寒さを感じた。小さな神社林は死屍累々の様相で、きっと神様も目も当てられない。

「……ど、どうしよう」
「いや……な、え……お前。お前は、」

 私の手をはね除け、彼は震える四肢でふらふらと立ち上がる。ほとんど怯えの目が私を見下ろす。はっきりとした拒絶に竦む。これは見たことのある顔だ。失望の。
 ああ、もう解ったのか。
 私も立ち上がって、彼の目を正面から見据える。レンズ越しの。たぶん彼から見た私はもう浅井明里ではないのだろう。それを悲しむ覚悟ならさっき済ませた。
 沈黙。黒い雪からは死のにおいがする。音さえ殺したのか。耳が痛む。この穢れはすべて私の力だ。汚れきった空間で、無音とともに永遠のような時間が過ぎた。

「“また”かよ」

 対峙して彼の放った最初の言葉がそれで。私はうなだれた。返す言葉はない。その通りでしかないのだから。
 そうなのだ。
 私が。元凶だ。何って――すべての。

「おまえさ……わかってないよな。自分のしたこと」
「……ごめん」
「騙してた? 俺が気付かなかった?」
「ごめん。……両方。かな」

 彼の瞳がこの黒い空間のなかでひときわ黒く、重たかった。もう目付きが違う。知れず自らの肩を抱く。悪意でも敵意でも殺意でもない。明確な怨嗟を丸腰の身体に受ける。
 彼の失明の元凶は私だ。
 恨まれるのは、あたりまえのことだった。

「意味わかんねえ。なんで俺に構うの。どの面下げて」
「ごめん」
「ふざけんな……気負ったんならせめて消えてくれ」
「ごめんね、でも」
「いい! 聞きたくない。もう思い出させないでくれ! 逃げたっていいだろ、忘れて生きたっていいだろ!? なんで赦してくれないんだよ……!」
「かげ待って、体調が――もう帰らないと」

 彼は一瞬の興奮のあとゼンマイが切れたように傾いた。支えようと手を伸ばすと勢いよく弾かれる。そのまま彼は座り込んで、わずかに残った白に手のひらをついて溶かしてゆく。滴が落ちる。彼の泣き顔を見るのはたった数日ぶりだ。
 その原因はだいたい私だ。わかっているのだ。
 いよいよ崩れかけた冷たい身体を抱き止める。もう力が入らないようですごく重い。か細く速い呼吸が耳を打つ。涙がコートの布地に染みていく。

「え、かげっ。かげ……?」

 気絶していた。力の代償疲労に精神的なショックと来て、そうそう意識がもつはずがない。
 彼をホームに運んで暖めるのと、死体を処理する必要がある。
 自分の着ていたコートを地面に敷き、彼を寝かせる。まずは汚してしまった雪をもとどおりに浄化して、八人ぶんの死体もそれぞれ修復する。それで息を吹き返すかどうかは損傷の度合いによるのだけど、今回は無理なようだ。胸の奥のほうがずきずきと痛んだ。たいした理由もなく殺してしまった。痛い。寒いし、気分が悪い。けれどいまは絶望に浸る時ではない。
 スマホを取り出し、おばさんに電話をかける。のんびりと鳴るコール音が苛立たしい。必死だった。泣きたいのはかげだろうけど、私も少し泣いていた。
 またかよと言われるほどの過ちをおかしてきた。それでも、あたりまえだ、傷つけたいわけではなかった。だからこその、過ちなのだけど。

「おばさんっ、助けてください! ごめんなさい! 今すぐ人を呼んでかげを運んでください、体温の低下が止まらなくてっ……あと上に連絡をお願いします。死者八名、全員敵です。一般人は巻き込んでません。場所は神社の裏です! わたしはかげを看てます……ごめんなさい! すぐお願いします!」

 電話口に向かって叫んだ謝罪は、ほとんどかげに向けたものだ。
 冷えきった彼の、涙だけがまだ熱かった。


2019年9月18日

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