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見上げた空のパラドックス
Winter19 ―side Kagehiro―

 本殿の裏に回ると、住宅街に押しやられて狭そうにしているまるはだかの雑木林と、そこに散らばった人影が俺を出迎えた。彼らはほとんど普通のジャケットやコート姿で、一般の住民と見かけの差はないが、その全員が俺のほうを見ていた。

「お前ら、誰?」

 戯れに足元の雪を蹴飛ばしながら問う。木々によって複雑に屈折した自分の声はおどろくほどよく響いた。表に人がいたら聞こえていたかもしれない。
 しばらく睨み合いが続いた。互いに出方をうかがっているのだ。出方もなにも俺は手ぶらだし無策だが。そもそも彼らはどうしてこんなところに隠れていたのだろう。
 知らず胸が高鳴っていた。もしも。もしもこの歓迎が俺個人へのものなら。

「水野景広か?」
「ああ、そうだ」
「調べがついた。君は五年前に降りたはずだ」
「へえ、この短期間でそこまで。上等じゃん」

 まだ思い込むには早い。だがこれで向こうが俺を認識したことは確認できた。外気にさらした両手が悴まないよう握りこむ。期待をやめることはできない。

「穏便に済ませたい。話し合いに応じてくれ」
「ものに寄るな」
「喫茶店トラッシーのことだ」
「それなら、悪いが言うことはないぞ」
「どうしても一点張りをするのか」
「当然だろ? 言う義理がない」

 あまり立ち止まっていると冷えてしまうから、林の中程へゆっくりと歩みを進めた。すかさず向こうも動く。囲まれる形になって足を止める。
 物々しいと言うのだろう。この緊迫感を待っていたのだ。満ち足りた気持ちで相手の人数を数える。きっかり八人。

「義理があれば言うと?」
「なんだ、恩を売ってくれるのか? 人質をとるのか? 前者ならものによっては考えるし、後者なら俺は尻尾を巻いて逃げるぞ」
「自分の立場がわかっていないんだな」
「馬鹿言え、立場なんてねえよ。俺は降りたんだからさ。お前らこそ一般人に寄って集って楽しいか?」
「君には敵対の意思がある。一般人とは見なさない」
「そうかい」

 笑った。
 目前で話をしていた男が眉を潜める。

「……本題だ。喫茶店のサブオーナー、あれは誰だ」
「は? 無謀なこと調べてんな。見つかるわけがない。何も隠されてねえからな」
「どういう意味だ」
「わかんねえの? 最初から存在しないって意味さ」

 八人の間に目配せがあった。かすかに気配が動く。包囲の圧迫感が強まる。俺は平然とそこに立っている。
 一瞬だけ思考を巡らせた。彼らがトラッシーに固執する意味を考えた。栫井忠にたいする興味が根幹をなしているとして、海間にまで飛び火が及ぶというのはなかなかの着眼点だ。オーナーは海間にだけはたぶん何かを伝えたのだろうから。だが海間はここにはいない。俺はそれら一連のことについてなにひとつ知らない。彼らの行為のほとんどは無駄なのだ。
 今ごろオーナーはどうしているのだろう。彼が帰ったら、勝手に状況を乱した俺は叱られるのだろうか。それがいいな、と思った。

「話はおしまいだ。あとのことが聞きたきゃ、相応の方法をとれよ」
「仕方ない」

 目前の話し相手は一歩引いて、残り七人は逆に一歩詰め寄ってきた。空気が変わる。あるはずもない熱がひりひりとこの喉を焼く。
 傍の樹に手のひらをついた。木肌を一掴み剥がし取って構える。内側に丸まっていた虫の仮死体がぽろぽろと雪の上に落ちて死体になった。無視する。走り出す。八人もあわせて動き出す。笑ってしまう。相手は多いほうがいい。気分がよくなるから。
 雪が舞い上がって視界を塞ぐ。初歩的な目眩ましに腰を落として初撃をやり過ごし、土に触れる。木々がぐらつく。枝葉から振り落とされた雪が金属にも似た甲高い音を立てて落ちる。その勢いでだいぶ視界が晴れてくる。鋭利な氷柱はすぐ水になって土を濡らす。半ば沼地と化した地面を俺だけが快適に走る。手にした木肌で一人、二人、ぬかるみに足をとられた敵を昏倒させたところで再びの目眩ましに動きを緩める。だが止まらない。俺の直前までいた場所で泥が弾けた。
 半笑いのまま三人目。地形は俺が作るのだから背後をとるのは決して難しくない。だが向こうも素人ではない。手首を押さえられて得物にしていた木肌を取り落とす。ぐるり、反転。べちゃっという感触が背中にあって、鳩尾に件の木肌の先端が入る。

「うあっ……」

 視界がちかちかして思わずゆるませていた地面をもとに戻した。鈍かった周囲の動きも元通りになってしまった事実が振動になって背中に伝わる。水は雪に戻って俺を冷やした。後頭部から急速に熱が逃げて身震いする。やばいと思ってもう片方の手を握り固め、呼吸を整えながらも相手の邪魔な腕に叩きつける。ふつうのやり方ではないから相手もものすごく痛いはずだが、同じペースで双方しばらく攻撃を続けた。俺はもう痛くないんだけど。この半ば一方的な暴力によく耐えるな。
 そんな敵の時間稼ぎは優秀だった。ここぞとばかりに残り五人が俺たちの周りに集い、四肢を踏みつけてくる。身動きがとれなくなって、場の熱が引く。
 静寂。

「君、まだ平気そうだな。どんな力だ?」
「そこまでは調べてねえのか。つか、今のでわかんだろうが」
「考えてみよう」

 六人がかりで押さえつけられ、みたび温い話し合いがはじまる。気が抜けたからか、雪に触れた全身が震え始める。今回は早いな――代償だ。少し力を使いすぎた。

「物質操作なら、目眩ましはすぐに解けただろう。土地に干渉するのはありそうだが、鍵を握りつぶした説明にはならない」

 煽り返されているのだと理解する。こんな時に本題ですらない推理ゲームをながったらしく繰り広げるなど、余裕がありますという宣言にほかならないのだ。俺がよくやるやつだ。
 苛つくべきなのだろうが、なんだかどうでもいい気がして、ただ震える吐息を繰り返す。ああ。寒い。

「『軟化』『硬化』というのはどうだ」
「……残念。もうちょっと、ふんわりだ」

 がたがた震えながらも余裕を繕い、笑ってみせる。いや、本当に余裕なのだ。俺にはもう負ける要素が存在しない。ただ、でも、この寒さだけは受け付けられない。息を吐く、白く、白い。

「『強化』『弱化』が俺の力だ。覚えて帰れ」

 俺は言い放ち、全身に集中する。拘束された四肢、その先につながる六人分のからだ。イメージがつかめればもう成功だ。合図はいらない、まばたきひとつよりも早く、俺の勝ちが決まる。
 地べたに拘束されたまま、見上げた六人がいっせいに表情を変えるのを見た。命の危機を察して焦る、そんな表情に。最高だ。そう思う。

「――さて。お前ら。気を付けろ。今から3センチでも動いたらどっか壊死して落ちるぞ。嘘じゃあない。弱化させてもらった。災難だったな」

 逆転劇なんて綺麗なものではない。最初から俺が優位だったのだ。
 体の下で溶け出した雪がコートに染みる。俺が寒さと疲労に耐えきれるまでがタイムリミットだ。

「それじゃあ話し合いだ。答えてもらおう」


2019年9月17日

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