[携帯モード] [URL送信]

見上げた空のパラドックス
Winter18 ―side Kagehiro―

 あれから息をつく間もなく年を越して、初詣に行こう、と義姉から誘われたのは元旦の昼下がりだった。三賀日の間、ツリーチャイムではなんとなく実感のわかないハッピーニューイヤーをみなで唱えあってなんとなく豪勢な食事をとる。施設としての動きはそれだけなので、初詣に行きたい場合はこうして自主的に集まって行くことになるわけだ。そうして義姉と青空とちびっこ何人かとともに出掛けることになった。
 代わり映えしない白い町中だが、近所には小ぢんまりとした神社がある。ツリーチャイムのこどもたちは、初詣となると皆そこへ向かうらしい。神社の存在はとうぜん知っているが、日常でそうそう行くこともないし、俺が行くのは今回がはじめてだった。

「はーっ。きょうも寒いねえ。青空はコートなしで平気なの?」

 ちびっこより早くはしゃぎだしたのは義姉だった。彼女に踏み潰された、路樹の枝振りから落ちたらしい小さな雪の塊が、くしゃっと紙みたいな悲鳴をあげる。
 話を振られた青空の方は、言及された通りセーターにマフラーという薄着姿で黙っていた。余談だがマフラーはどうやらクリスマスに貰ったようだ。その前はいまよりもっと軽装だった。

「全然平気ってかんじ。すごいなあ」
「あかあたしも、あたしもコートきてないよー?」
「うんうんすごいよ。こどもは風の子って言うよねえ」
「むり。さむいよ……」
「私もさむーい! 手つなごうか、ちかくん」
「え、いいなー!」
「順番ね!」

 わらわらと年少に囲まれて笑っている義姉の数歩後ろを、俺と青空が並んでついていく。そんな時間が十分ほど続き、一団は雪道に映える赤の鳥居の前にたどりついた。義姉が会釈をして鳥居を潜ったので、青空も含めたみながそれに倣う。鳥居の下は通らないのが正しいと聞きかじったことがあるが、まあ、このくらいがやりやすいのだろうと思う。
 境内には思ったよりも賑わいがなく、まばらに数人が鐘を鳴らしている程度だった。俺たちも短い列に並ぶと、義姉がこの日のために用意したという五円玉を全員に配りはじめる。暇かよ。というか、ご利益的な意味で、神前で他人から貰った金を使っていいのだろうか。どうでもいいか、と結論付けて、順に五円玉を賽銭箱に放り込み鐘を鳴らした。もくもくと、前の人と同じ動作をするだけだ。無駄な時間が過ぎた。

「かげ、かげ、神様になにお願いした?」

 自分の番が過ぎ、手持ちぶさたにしていると、義妹のひとりに絡まれた。小学三年生、やんちゃな時期だ。

「え、別になにも……」
「ええー! もったいなあい!」
「てか、初詣ってなんかお願いするもんなのか?」
「そうだよ! たぶん! もっかい行ってくればー?」
「お願いとか無いし、いいや」
「えー!」

 ぼうと本殿を眺めていると、青空が賽銭をするのが見えた。たぶん他の人の動きをなぞっただけだろうが、合掌する後ろ姿にちびたちも自然と静かになった。彼女の合掌は心なしか長くて、すこし引っ掛かった。
 神様に願いを言う、なんて、俺には馴染みがない文化だし、願いなんて誰に伝えるまでもなく自力で叶えるものだと思う。だが、彼女にもしも願いがあって、それをいま内心で唱えていたのだとしたら。思う。たぶんそれは彼女自身の力では叶わないものなのだろう。たとえば――死。
 そんなものを祈ったところで、叶えられる者は、神様ではない。ここにはいないのに。
 うつむいた。

「かげ」

 もう二回りも小さい義弟が、いつのまにやら正面から俺を見上げていた。寒そうに白い息を吐く彼に、俺はちょっとまばたきをして、何、と返す。

「これ、あげる」
「ん……?」

 柔い手から渡されたのは、光沢のある布地の張り合わされたストラップ形の御守りだった。

「あっちでね。売ってたから」
「高くなかったのか?」
「おれ、お金、いらないよ」
「じゃあ……受け取っとく」

 御守りには簡素に神社の名前だけが金糸で刺繍されていて、なんの効用かはよくわからない。なんにせよ、俺は自分以外に頼るのがあまり好きではないから、御守りなんてものも好まないのだが。これは義弟からの好意の形だ、と割り切って、ひとまずなにも付いていなかったスマホにぶら下げておく。

「ありがとう」義弟が言った。
「なんでだよ。俺の台詞だろ」
「うれしいの、おれだから」

 義弟がはにかんだように笑んだところで――俺はふと境内を見回した。みなは御守り売り場の方ではしゃいでいて、青空は本殿の傍でじっとなにかを見つめている。他に人の姿はない。風もない。濃い冬空の青が、足元の白を眩くする。
 あれ。
 なんか、変だ。

「ちか。みんなのとこ行ってろ。あと、俺は寄る場所があるから先に帰ってって、伝えてくれるか」
「わかった」

 義弟が売り場のほうへ駆けていく。むこうで義姉が笑って彼を出迎えたのを見届け、ひとまず安堵する。
 俺は、ひとりで突っ立っている青空の方へ足を進めた。と、俺が呼び掛けるまでもなく、冬空と同じ深い色がこちらを向く。目が合う。俺は臆して一秒だけ足を止め、また進める。

「嫌な感じがする」

 言うと、青空は変わらぬ様子でさらさらと口を開いた。

「裏手の林に、八人」
「……はち。多いな。つか、わかるのか」
「怖いなら任せていいよ」
「馬鹿か。お前が帰れ」
「いいの?」
「迷惑だ」
「……」

 彼女はたっぷり五秒はそのまま俺を見つめ、それからゆるりと義姉たちのほうへ歩き出した。青空と合流した義姉は、じゃあまたあとで、と朗らかに声をあげて、行きに倣ってみなで鳥居をくぐっていった。ちびたちのはしゃぐ声が聞こえなくなるまで、そこで動かず見送った。
 癖になったまま真っ白な溜め息を吐いて、教えられた林のほうへ歩き出す。

 俺の願いなんて誰に言うまでもないのだ。
 いま、ここで叶うはずだから。


2019年9月17日

▲  ▼
[戻る]