[携帯モード] [URL送信]

見上げた空のパラドックス
Winter14 ―side Akari―

 十畳ほどのロビーはいつにもまして賑わっていた。朝食を終えて一斉に移動したこどもたちがそこいら中でばたばたと作業をしていて、道具置き場と化したソファ周りで数人の職員がせっせとこどもたちに指示をあたえる。あちらこちらではしゃぐ歓声が上がり、必要なら私が注意をうながす。――いそがしい。
 何事かというと、結論から言ってしまえば今夜に予定されたクリスマスパーティの飾りつけである。
 窓辺に置かれた巨大なもみの木のオブジェに飾りをぶら下げながら、私は寒さに肩を震わせた。窓辺はストーブからもいちばん遠くよく冷える。こどもたちは気にも留めないで騒いでいるけど。

「青空ー、飾りとってー」

 懸念事項であるところの青空は、喜ばしいことにちゃんと働いている。相変わらずしゃべらないけれど、かんたんな指示は聞くし、物を運んでくれたり、年少に混じって飾りを作ってくれたりもする。ここの一員として振る舞うことに、少しずつだけれど慣れてきたみたいだ。
 繰り返し、彼女の手から受け取った飾りをオブジェの空いた場所に提げていく。こどもたちも数人が手伝ってくれるから作業進度は早いものだ。そうしてあらかた終わって、いちばん最後、てっぺんの星かざりを握る。たったいま青空から受け取ったそれを、私はすこし考えて彼女に戻した。

「星、あなたがつけてよ」
「……」

 彼女は手元の星をじっと見て、おもむろに脚立に上がり、もみの木のてっぺんにそれを挿し込んだ。そうすると一気にただの木のオブジェがクリスマスツリーに見えてくる。私は笑顔になって降りる彼女を支えた。
 それから職員とも協力して電飾を巻きつける。

「はい、ツリーできたー!」

 フロアの皆に呼び掛け、電飾を点灯させると、わっと歓声が上がった。壁担当の子たちがツリーのほうへ駆け寄ってきて、ためつすがめつ、裏手に回ってみたり触ってみたりする。気を利かせた職員がロビーの照明を落とすと、いよいよツリーはきらきらとしてこどもたちを魅了する。

「きれー!」「ひかった!」「みえない、どいて」「きらきらー」「あかるーい」「みせてってばー」

 青空は、私のとなりで、黙ってツリーを見上げていた。
 視線を巡らせる。部屋の片隅、羨ましいことにストーブの近く、ツリーからはいちばん遠いところで、かげが暗いなか一人もくもくと壁の飾りつけをしていた。

「かげ! おいでよ!」

 呼び掛けるととうぜん振り返る。変わらず嫌そうな顔で。息をついて、こちらに向かってくる。気づいたこどもが数人、わらわらと彼を取り囲んで手を引いた。かげは年少の義妹弟からはやたらと懐かれている。
 ツリーの前面に押し出された彼に、私は笑顔を向ける。

「上の星ね、青空がつけてくれたんだよ」
「そう……」
「きれいでしょ」
「そうだな」

 投げやりに答える彼がおかしくて笑った。こどもたちもどことなく楽しそうで、表情が硬いのはかげと青空だけだった。
 ぱち、と照明が戻ると、魔法が解けたようにみなが散って作業を再開する。とはいえもう仕上げの段階だ。壁も星形の銀紙を吊るしたり色紙の鎖を張り巡らせたりとにぎやかになっている。私たちツリー担当は、ひとまず電飾の電源を落として皆の加勢に向かうことにする。青空はその場でぼうとしていたけれど、もう彼女のぶんの仕事は終わりだから無理に引っ張りはしない。
 私は迷わずかげのとなりに立って飾りを手渡した。彼は受け取ったそれを器用に糸で吊るしていく。視線をあわせてはくれない。

「もう。きょうくらい楽しんでもいいんだよ?」
「……気分じゃねえし」
「何かあった?」
「何かって何」
「それがわかんないから聞いてるのに」

 彼はいつだって機嫌が悪いが、機嫌が悪いというのは当人が優位な場面に言う形容であって、きょうの彼のそれはどちらかと言えば困惑や萎縮の類のように見えたのだ。つまり、彼は小さくなっている。態度が。そんな気がするのだ。
 彼は答えることなく作業を終えた。その沈黙がまさに肯定だったから、私も口をつぐんで考えていた。ツリーのたもとで星を見ている彼女を、かげはあきらかに避けている。もともとだけれど、ここ数日は特にだ。数日前、彼は外出先から青空を連れて帰ってきた。何かがあったとすればその時だったにちがいない。けれども私にはまだそこまでしかわからない。いまの私は彼のことも彼女のことも詳しくは知らないのだから。
 正午になって、私たちはまた渡り廊下を一斉に移動し食堂に集まる。週替わりの当番が配膳をして、暖かいランチを前に、私は青空の隣席で両手をあわせた。

「パーティ、楽しみだね」

 青空に向かって言った。彼女は反応しなかった。彼女の様子は、生活への慣れ以外ではとくだん変わっていない。ただ黙ってうつろな目で、星や、花や、雪や、こどもたちを――美しいものを見ている。生活をともにしてみた限りでは、それだけが揺るぎない彼女の自発的な行動であり意思だ。
 すこしだけまぶしかった。彼女は自由な存在だ。どんな人びとの思惑からも。世界からも。
 だから、雁字搦めのかげと反りが合わないのは、当然かな、と思うのだ。


2019年8月21日

▲  ▼
[戻る]