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見上げた空のパラドックス
Diary04「Sepia」

 石造りの町外れ、ひっそりと停められた車の開いた戸の脇に、蹲っている男がいたから少年は戯れに声をかけた。どうかしましたか、こんな寒い日に、車には入らないのですか。それはほとんど反射的で興味本位で無作為な問いだったが、そのただ数秒が男にとっては最大の延命措置だったことは否めない。
 長い冬の最中、少年も旅の最中だった。目覚めた島国がどうも戦乱で壊滅していたようなので海を渡って、まだ人々が比較的安全に暮らしている場所を求めてずいぶん内陸へ歩いた先のことだった。
 男は疲れきった顔で少年を見返すと、同情かい、とため息をついた。

「そう若いのに同情されちまったら、おしまいだな」
「ちょっと気になっただけですよ」
「同じことだ」

 話す間も彼は雪面にしゃがみこんだまま立ち上がろうとはしなかった。見たところ浮浪者のようで、衰弱して力が入らないのか、あるいは気力がないのか、両方か。
 なんにせよ少年に助ける義理はないので立ち去ろうとも考えたが、その前にひとつだけ聞いてみることにして口を開く。

「ところで、俺、人棄て場を探しているんですが、ご存じですか」

 ――男の顔が上がった。驚いた目をしていた。
 それから二人は車に乗り込み、件の場所を目指すこととなった。ドライブの対価に金と食糧を渡して、雪道を徐行する車体の助手席で、少年は質問攻めにあう。何故、そんな処へ、何の用がある。ほとんど鬼気迫るような口調で、けれども力ない掠れた声音で問い詰められる。
 不思議な力を持つ者が急速に数を増やし、それらの排除に狼煙を上げた社会にあって、いつしか人とは棄ててもいいものになった。危険物なら手放しても自然だとする考え、臆病な論理が戦乱や荒廃を推し進めた。もとより貧民窟であった場所に、力を
持ってしまった子供たちが次々と棄てられる、そういうことが当然に起きる世界だった――人棄て場は瀕死の異能者の掃き溜めだ。

「人を探していて。それでなんか、たぶん、そういう処にいそうだと思うから」
「相手は異能者ってわけだ」
「ええ……すみません、否定派の方でしたか」
「悪いが、まあ、そうだ」男は深く息をついて、確かな悔恨のこもった声で続ける。「やつらに家と職を奪われたもんでね」

 たんに、よくある話だな、と少年は思った。どんな世界にだって何らかの決定的な歪みがあって、事象に現れようが人間に現れようがそれらは必ず何かを壊すから恐れられ恨まれる、中期ならそうだ。もっと時が経って後期になると世界の歪みを恨むにも人が減りすぎる。どちらがいいということもなく、何かを恨めるのも恨めないのもたぶん幸運なことなのだろう。少年だけが反則的にそれを知っている。

「安心しろ、だからどうってことはない。たまたまだよ。たまたま、俺に牙を向いたのが異能者で、おまえの探し人も異能者だった。それだけだろ、そう思いたいのさ」
「……ありがとうございます」
「身構えたかい。降ろされると思った?」
「少し」それにしても、と疑問に思って少年は問う。「なぜ案内してくださるんですか」

 恨みがあるなら、歪みには攻撃するか忌避するかはあってもわざわざ近づくような真似はしたくないのではないか。人棄て場は歪みにおかされた人間の巣窟であって、とてもではないが彼にとって気軽に行ける場ではないはずだった。
 男の返答は遅く、黙っているうちに車は何度か角を曲がった。ハンドルを握る手に力がこもったのを、少年は見るともなしに見ていた。
 そして語りが始まる。

「運び屋をしてたんだ。俺。人を棄てに行く専門の。それから、情が湧いちまって、育て屋をしてた。あの町で棄てられた奴らの保護をさ。わかるだろ、否定も肯定も
決められなかったんだ。両方が本心なんだ。力があったって人間は人間だ、間違ってねえだろ。でもな、こっちだって人間なら、怖いもんは怖い。そうだろ」
「……なるほど。ええ、どちらも。間違いないです」
「はは、言わせちまったな。いいんだぞ。子供はもっと傲慢でも」
「本当にそう思うだけですよ」
「そうかい。苦労してんだな」

 車は走る、景色は町ごとに二転三転する。既に荒廃しかかった場所もちらほらと見受けられるが、ゴーストタウンを見慣れすぎた少年にはそれでも豊かなように見えた。

「久々だな、あの町に行くのは。なにぶん怖くて避けてたんでな。まあ、だから、未練はあるわけさ。まだ」

 聞けば、目的地はそう遠くなく、車なら一日かからずに着くとのことだった。どんな処か問うと、見た方が早いとだけ返される。わざわざ言わせるのも忍びなかった。少年は反省して口を閉ざす。
 そうして黙っているうち彼等は呆気なくその町に辿り着いて車を停めた。目立たない物陰に車体を押し込み、鍵をかけ、厳重に盗み避けの罠を張って二人歩き出す。互いにほとんど手ぶらで、武装だけは怠らず。
 寒さはそのまま、降雪はない。赤く汚染された土の上を寒風にさらされた埃が舞う。ところ狭しと建つ無法地帯のビル群から、裸足の子供たちの爛々とした視線が少年を射抜いて獰猛に何かを狙っている。どこからともなく死臭にも近い腐臭が漂ってくるが、目前の人びとの熱気にはぎりぎり押し負ける。つまりはそういう場所だった。

「気を抜くなよ」
「ええ……あの、どこまで行くんです」
「わからん、俺もちょっと探し物があってな」

 町の深部に近づくほどいやな臭いと熱気とが増していく。寒風だけは平等に吹いて埃を巻き上げる。あちこちから咳が聞こえる。あちこちから視線を感じる。と思えば子供の無邪気な笑い声が響いてくることもある。
 黙って歩いた。言われた通りに気を張っていた。だから――ひとりの子供が男めがけて刃物を手に駆けてきたとき、少年は咄嗟に立ちはだかることができた。
 衝撃。踏みとどまる。

「……ごめん」

 自らの腹に突き刺された得物を咄嗟に引き抜き、構える。子供は怯えきった息遣いで少年を見上げ、そしてすぐに目付きを鋭くして丸腰でみたび向かっていく。

「おいおい」男が事も無げにひょいと子供を抱え上げた。「用があるのは俺だろ。他の奴に迷惑かけちゃいけないよ」
「だ、だって……!」子供は持ち上げられたまま暴れるがびくともしない。
「だってじゃねえよ。義理を考えろ、義理を」

 少年はひとまずの安全に息をついて得物を降ろす。周囲からの視線が好奇からすっかり恐怖のそれに変わっている。

「まあ、今のは驚いたな。傷つかないのか、おまえ」男が少年へ視線を振った。
「……ええ」
「だからって、わざわざ庇わなくてもよかったんだぞ」
「いえ、なんか、つい」
「そうかい」
 男は笑って言った。子供はまだ暴れている。
「巻き込んで悪かったな。こいつは俺の育ててた一人なんだ……生き残った奴もいるもんだな。よかった。それを確かめに来たんだよ」

 空中で暴れ続けさすがに疲れたようで、男の腕にぶら下げられたまま肩で息をしている子供が、その言葉を耳にふと泣き出した。何を訴えるでもなく嗚咽を漏らして。男がその子供を地面に降ろすと、泣き声がいっそう大きくなって砂埃に響いた。
 少年は刃に割かれた服の穴に寒風が舞い込むのを感じながらそれを聴いていた。なるほど、巻き込まれただけの他人である彼には、その涙の意味などそうそうわからないのだった。けれども察することがひとつだけある。
 男が冷やかに子供を見下ろしていた。気怠げな呼吸で砂埃を吸った。ざらついた喉をそのままに、

「辛いかい。しょうがねえよ、俺もおまえらも棄てられたのさ。恨みたきゃ恨んでいい。好きにしろ」

 それだけ言って踵を返した。泣きじゃくる子供を置いて、埃を割いて、男は来た道を迷いのない足取りで歩んでゆく。
 言うなれば、温度だ。その温度に、確かに覚えがあった。

「もう用は済んだ。俺は行く。探し人、見つかるといいな」
「ええ、ありがとうございました。それと」
「なんだい」
「勘違いだったらすみません。……死なないでくださいよ」

 小さくなり出していた背がはたと止まり、虚ろな目が少年へ振り向いた。隣にいた子供がはっと泣き止んで、黙って男の方を見つめた。彼は視線にあてられたように目を逸らして、そうだな、と濁すように答える。

「無責任に言うもんじゃないぞそういうことは。生きるには仕事がいる」
「……そうですね」
「そのために、俺はおまえらを殺すかも知れない。そういうことだ、おまえが言っているのは」

 互いに目を見て話した。そうしなければならなかったから。

「それでもですよ」
「同情かい」
「信念です」少年は臆せず答えて、さらに付け足す。「最後まで人を生かすことが、俺の信念です」

 赤茶けた埃の霧の向こうで男の笑ったような気配がした。そのまま、答えはなく、再び彼が歩き出して、ただ距離が開いていった。少年ももうその背を追わなかった。隣で蹲った子供が、ふたたび泣き出したから黙って隣にいた。
 子供の泣き止んだ頃合いに得物を返し、少年はフラットな口調で問う。

「なあ。女の子を探してるんだけど。俺と同じくらいの。この辺りで、見ない?」
「……わ、わかんない。女子はあんまり、見ないかも」
「そっか、さんきゅ。じゃあ俺も行くから。もう刺さないでくれよ」

 埃と脂でねばついた頭をぽんと撫でて、彼もそこを立ち去ることにした。もう少しだけ町を見て、何も無ければまた旅を続ければいい。服に空いてしまった穴を片手で覆いながら、死臭を含んだ寒風に吹かれる。

「まってよ……ねえ、おじさん、死なない?」

 無垢な声音がまだ揺れて問うたから、彼は一度だけ振り向いて微笑みを返す。

「死なないよ。あれは」
「そっ、そう……?」
「強い人だ」

 砂埃の向こう、もう人影のないそこに目を細めた。

「きみも強くなれよ」
「……」
「さよなら」

 軽く手を振って、少年は見知らぬ路地に向かって歩き出す。やはり絶えずどこからか咳や怒号の聞こえてくる、率直に言って酷い町だが、確かに息巻く生命力はどこか心地よくもあった。皆が、もがいている、それがわかる。まだ人々の生きていた時代、まだ人々の生きたがった時代の空気なのだ。

 信念のために歩いた。
 まだ探し物は見つからない。


2019年10月22日

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