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見上げた空のパラドックス
Summer2 ―side Tadashi―

「俺は今日いちにち仕事をサボる。夜まで帰らないから。お前は留守番を頼むよ、アルマ。危ない奴が来たら、すぐ森に身を隠せ。見つかっちまったら戦ってもいいが、捕まるなよ」
「あはは、ほんとうに真面目で不真面目だね、ロイヤ。いってらっしゃい!」

 好天に恵まれたから、僕は彼女を置いて町に出た。少しだけ言い訳をすると、彼女にはここしばらく銃の扱いを教えていたし、だいぶ機転も効くようになったのだ。そろそろ長い留守番をさせてみたかった。
 畑道を抜け森を抜け、もう二マイルほど歩くと荒れた土道の端に建物が並ぶようになる。それからもう半マイルもすると町は賑わいを増して、炎天下に露店がところ狭しと看板を出す。その市場から一本裏に入った片隅。そこに僕の目的地がある。
 店名を掘ったベニヤ板を玄関の脇に立て掛けたちいさな喫茶店だ。僕はここにたびたび電気をもらいに来る。携帯の電源は基本的に落としているが、たまに日本にいるやつらと連絡が取れないと、僕は困らないが向こうが困ったりするのだ。それに、しばらく豆に触っていないと腕が落ちる。本音は後者が九割だった。

「こんちは、マスター!」

 開きっぱなしの木戸をくぐり、軽く声をかけると、ひとつだけのテーブルの向こうで店主が笑顔を見せた。

「やあ、少年! また充電かい?」
「お代に店は手伝いますよ。お願いします」
「お安いご用さ! むしろありがたいくらいだ」

 僕はもうすぐ三十路になるが、それでも少年と呼ばれているのは僕が日本人だからだろう。世界的に見て顔が幼いのだ。それはもう仕方がないし、いちいち訂正しないほうが面白いのでそのままにしている。ちなみに店主は僕より少し年下の男性だが、僕の感覚ではすっかりおじさんという感じだ。国の差である。
 煤けた店内はガラスのない枠だけの窓から夏風が通り抜けて涼しかった。べったり貼り付いた前髪をかきあげて汗をぬぐいながら、店の奥に入れてもらう。配線に付着した砂を払って、ありがたく電気の恩恵にあやかる。

「研究の調子はどうだい、ロイヤ」
「あぁ。順調ですよ。最近は森の動物の分布地図なんかを作ってまして」
「いいねえ、知的なことは一生のロマンだもんな」
「そりゃもう!」

 僕は、表向き、ここ一帯の生物の研究に来た学生ということになっている。表向きとは言うが、本当にいつも動植物を調べ回っているのだから、まるきり嘘というわけでもない。分布地図も実際に作っている。アルマの安全な生活のためではあるが。
 手を洗い、店主の指示通り今朝入荷したばかりの豆をザルに注いで炭火にかける。一連の動きがこの上ない安心を呼ぶ。やっぱり僕の心は此処にあるのだと思う。ぱち、と表皮のはじける音に鼓膜が歓喜する。これをやらせてもらってさらに電気をもらえるなんて最高の待遇だ。あとはこの町にもゲームセンターが建てば一生暮らしても良い。

「それにしても君は筋が良いね」
「本当に? そりゃうれしいですね! 趣味なんですよ、コーヒー」
「日本でもよくやったのか」
「ほとんど毎日」
「うまいわけだね!」

 そうして焙煎やらグラインドやら皿洗いやら掃除やら接客やらを手伝っていると飛ぶように時間が過ぎる。それなりに客の来る店だから、この手伝いは町に住む人を把握する目的にも使える。誰が危険で誰が無害か。そんなことをコーヒー一杯のやりとりから類推するのは難しいことだが、なにもとっかかりがないよりは良い。顔と名前くらいは覚えておく。僕の身元は、なるべく明かさないように。
 店が閉まると充電も終わり、僕は店主に挨拶をして市場を去った。森の方へ一マイル。周囲から人影が完全に消え去ったところで、携帯の電源を入れる。すぐさま表示されたのは不在着信の通知。

「……ん。カゲじゃねーか」

 折り返してコールする。繋がるにはだいぶ時間がかかるが、繋がらないことはないのだからすごい時代になったなと思う。一分も鳴らすと、規則的な電子音がふっと途切れてひとの声に変わる。

『んだよオーナーこんな時間に』
「ああ悪い悪い。いまお前の不在着信を見たもんで。なにか連絡あったか?」
『あぁ、……』

 通話口の向こうでカゲがふと口をつぐんだ。僕もつられて進む足を止めて、強烈な陽射しを注ぐ西の空を見る。薄い赤。

『俺以外から連絡は入ってないの?』
「いや? 無かったぞ。なんかあったのか?」
『……無かったならそれでいいんだと思う……』

 曖昧なことを言って、また言葉が途切れ、ホワイトノイズだけが流れた。どうやら何か言いたくないことがあるようだった。隠し事くらいは全然かまわないが、面倒なことが無いようにひとまずこれだけは問うておくことにする。

「仕事関係か?」
『それがわかんなくて。施設長経由で連絡つかないかって聞かれたんだけど、わざわざ俺に聞くのもなんか変だろ』
「詳しく」
『いや言った通り。施設長に呼ばれて、栫井くんと連絡つかないかって。つかないって答えて、それだけ』
「オッケー覚えとくよ。用件そんだけ?」

 ――たしかに彼の言うことが本当なら妙ではあった。仕事の話なら僕のスマホに直接飛ばせばいい。ツリーチャイムが関与することなどそうそう無いうえ、ましてやカゲ個人に話が回るとなるともっとあり得ない。かといってそのほかの用件でカゲに栫井忠と連絡がつくかなど問う訳もなかった。
 不審だ。
 考える必要があるな、とは思いながらも、ここにいる僕にできることは少なかった。ただ電話口からの返答を待ち、足を進めるだけで。

『なあ……オーナー。海間は、ずっとひとりなのかな』
「ん……?」

 なんの話だ。
 薄暮の空から足元に視線を移し、電子音に耳を寄せる。

『あいつはどうしたいんだろう』
「喧嘩でもしたか」
『しねーよ。ふっかけたってできるもんか、あんな奴と』
「だろうな。何だ、急にどうした、カゲ」
『いや、なんか……』

 なんかな。そう濁すことばを合図にゆるりと歩き出す。ともあれ彼女が帰りを待っているのだ。どんどん歩いていかなければ。カゲの話は、ついでに聞いてやる。

『海間は自分が死ぬことをどう思ってんだろうって』
「ほう」
『あいつ、そういうことをあんまり何気なく言うから。もやっとする』
「なるほど。いや、だがな、それで俺に電話するかあ? 本人に聞いてみたってなんも害はないだろ。穏やかだぞ、日暮は」
『そう、そうなんだけどさ。穏やかだから、ちゃんと話せてる感じがしねえんだ』
「一理あるな」

 海間日暮というのは、僕が個人的に拾って本国にあるじぶんの喫茶店にスタッフとして匿っている少年だ。彼はなかなかやっかいな振る舞いをするから、カゲほど良くも悪くも正直な奴ならもやっとすることもあるのだろう。
 ずっとひとりなのかな。その問いの意味を考えた。カゲが言っているのは、日暮がだれにも本音を漏らしてくれない、ということについてだろうが、つい僕の頭によぎるのは。

(……アルマ)

「ずっとひとり、じゃあないだろうな」
『……そう、か?』
「逆に。日暮は誰よりも多くの人と交わっていけるんじゃないか。そのひとりがお前なんじゃないのか。あいつが死ぬっていうのは、そういう人との交わりのすべてを絶つことだろ?」
『……』
「俺の私見だけどな。奴がどう思うかなんか、奴に聞けよ」

 もういいか、うん、とだけやり取りをして、通話を終えた。カゲには悪いが、仕事が一段落するまでは僕もあまり話を聞いてやれない。せめて向こうで春が来るまでは耐えてもらいたいが、けっこう不安定な奴だから心配でもある。さて、どうなるだろう、
 ぼうと考えながら、僕はアルマの待つ小屋へ続く道なき道を歩いた。ずっとひとりの彼女のもとへ。


2019年7月1日

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