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見上げた空のパラドックス
Winter6 ―side Akari―

 きらきらしたこどもたちの笑い声。賑やかな食堂に、静かにしてください、と号令がかかる。私は義弟義妹たちにいったん黙るよう促して回り、それから自分の席に戻る。
 新入りの挨拶ということだったけれど、しゃべったのはおばさんだけで、紹介されたあの女の子はただ一回ちいさく頭を下げた。短い髪にきれいな花色の目。見た通り、名前を高瀬青空、といった。中学一年生。私の三つ下。これからいっしょに暮らすことになる。食事の席も隣だ。

「や、久しぶり。前も言ったけど、私は明里。みんなはあかって呼ぶよ、よろしく、青空!」

 彼女は私の目をじっと見て、うなづいた。それだけでもずいぶん話せるようになったんだな、という感じがあった。なんだかうれしかった。
 出された食事を、彼女はもくもくと食べた。私のほかに彼女に話しかける子は誰もいなくて、でもそんなことは少しも気にならないようだった。あまり美味しくはなさそうに完食して、手を合わせる。みんなで食器を下げるんだよと教えると、黙って従った。
 後になっておばさんから説明を受けた。彼女がしゃべらないのは、やはり心的な問題があるのだろうということだけれど、その他の方法でも意思疎通はじゅうぶんにできるから心配しないでほしいと。それより問題なのは。

「そっか、わかりました。気を付けます」
「よろしくね」
「任せてください」

 そして自室へ。彼女は先に入っていて、二段ベッドの上段に背を丸めて座り後頭部を天井につけてぼんやりしていた。吐く息が白い。クリームベージュのセーター一枚という格好では寒いだろうに。私は暖房のスイッチを入れて、下段に同じく座る。
 ベッド脇に置いたちいさな鏡を前に髪をほどき、とかしながら、入浴の説明や、決まった就寝時間のことなんかを説明する。返答はないが、たぶん聞いてくれてはいるはずだ。

「――だいたいこんな感じかな。ほかにもなんかあったら、遠慮なく聞いてね」

 ちらと上を見ると、澄んだ青と視線がぶつかった。彼女は私をひたすらにじっと見つめていて、さすがにちょっと気圧されてしまう。

「なんか、質問とかある?」

 視線は、ふっと逸れて、私は知れず安堵する。彼女はぼうと座ったまま。

「……いろ、」

 ぽつり、と声が聞こえた。びっくりして、ふたたび彼女の目を見る。感情は読み取れない、特段なんの表情もなく。単調で、機械的で、けれど甘くてきれいな声音が、もう少しだけ続いた。

「隠しているんですね」
「っ……」

 なんて、……言った?
 言葉が、ただの『音』としか聞こえない、そういう感覚があって、焦って思考を回す。彼女からはやっぱりまるで生気を感じない。意思の乗らないまま発された言葉なんて伝わらない。音を、思い返して解析する。そうやって行程を経なければわからない。
 色、隠しているんですね。彼女はそう言った。私に、はじめて伝えた言葉だった。
 できの悪いホラー映画を見たような気持ちになる。怖くは、ないけど、でもなんとなく歪とか怪とか妙とかそういうものを感じる。彼女は、普通じゃない。人間だ、ともまだあまり思えない。それならばなんだと言うのだろう。

「すごいね。見抜いちゃうんだ、あなたがはじめてかも。どうやったの?」
「……」
「いいけどね、秘密だからね」

 首肯が返ってくる。対話に応じる意思が彼女にあることがいちばんありがたかった。完全に理解不能な子ではないのだ。だったら、大丈夫。
 暖房が効くまでしばらくかかる。私は、彼女を連れて施設を案内することにした。トイレ、洗面所、食堂、それから渡り廊下を通ってロビーに顔を出す。何人かがくつろいでいて、何人かが騒いでいる。かげの姿はなかった。残念。
 ロビーに置かれた本は自由に読んでも良いこと、専用のコップでいつでもお茶が飲めること、ソファは人が多いときは交代制で20分以上陣取ってはいけないこと、なんかを私が一方的に喋る。ストーブの力でぬくぬくと暖まった空気に微睡むこどもたちを、彼女は朝焼けを仰ぐような目で見つめていた。話を聞いてくれたかどうかはわからないが、まあルールなんて習うより慣れろだからかまわない。

「あたらしいこー?」

 ころころとカーペットの柔らかさを堪能していた八つ下の義弟が、こちらを目にのんびりとした声を出す。

「ちかくん。そうだよ。彼女、そらっていうんだよ」
「あたらしいこだあ」

 義弟は笑顔で繰り返して、あくびをして、またころころと至福のカーペットを堪能する作業に戻っていった。自由だ。
 彼女のほうを見る。ただ穏やかに義弟に目を落としていた。心なしかロビーに来てから表情が明るい。こどもが好きなのかもしれない。
 お茶を一杯いただいてから暖まった自室に戻り、私が宿題をやっているうちに彼女はパジャマにも着替えず黙って寝入ってしまった。けれども、なんだか前進した気がして、明日はまた彼女をより理解できる、と思うことができた。


2019年7月3日

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