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見上げた空のパラドックス
111 ―side Seiya―

「おい片山っ! おまえ……っ」

 地下室に駆け込むと、片山の姿は壁際にあった。またひとりで歩く練習でもしていたのか、冷たいコンクリートに背を預けて休憩中らしい。その顔色は良くも悪くもなく安堵するが、それも束の間、私は彼女ににじり寄る。隊員の不自然なまでの快さを不審に思ったためだった。

「手を出したな? ……全員に!」
「うん。だめだった?」
「だめだろ」
「赦されないかもしれなかった。リスクは潰しておかなきゃ。いいじゃない。あなたは誠実だったし、みんな赦してくれたんだから」

 単調な声で答えた片山は、壁に手をつき身を立て、そろそろと歩き始める。その背はもう支えなくとも転ぶことはなさそうだった。熱心なリハビリにより彼女は着実に回復している。それだけは、喜ばしい。だが。

「お前はいいのか……?」
「ん、なにが?」
「人を操るのは嫌いだったんじゃないのか?」
「え……ううん? あなたの助けになるならむしろ喜んで、なんでもするよ」

 柔和に笑んだ表情に毒気を抜かれ、私は勢いを収める。
 彼女は力を用いて人々を私の味方につけた。あらためて思えば、確かに、責めるべき点はないように思えた。

「すまない、驚いただけだ。助かった、ありがとう」
「うん、よかった」

 彼女の笑みは完璧で、そこにあの罪悪感の影は見えない。
 だが、彼女がマインドコントロールを苦としないのだとしたら、私の件についてのみ罪だと宣うのは、やはり。

(……ここが私の本来の居場所ではないから、か)

 今更悩んでも仕方のないことだ。それはわかっているつもりだった。私の生き方は彼女への想いを起点に変わりすぎている。いまになって後戻りに想いを馳せるなど、きわめて不毛だ。わかっているつもりだ――もし心が戻されたとしても、冰とはもう話せない。
 冰と、あと少しでも話ができたら。
 情けないことに、あれからそればかり考えている自分がいた。そしてやっと片山が何を私に謝っていたのかを悟り、そしてそれは、私には赦せないと、結論が出かかっていた。

「……用件、それだけ? 誠也くん」
「いや……決戦前だからな」

 はっきりさせておきたいことがいくつもある。知らなければならないことが。
 失恋した、と言い出し泣いた冰が私になにを言ったか、忘れたわけではなかった。いまになって思えば、あれは、いま現在の私の状態を見越しての発言だったんじゃないか。そう思えてならなかった。

「冰のことが聞きたい」

 片山が足を止め振り返った。見透かすような強い目は、私の中のものを注意深く観察しているかのようで、萎縮しそうになる。
 やがて、挑むような笑みが返ってくる。
 片山は知っている。私が気づくより幾年前から、私が冰に抱いていた憧憬を知っている。

「嫌だって言ったらどうする?」
「力づくで引きずり出す」
「それでわたしが傷つくとしても?」
「あぁ」
「ちーちゃんの方が大事?」
「……あぁ。悪いな」

 私は嘘をつくのが苦手だ。
 そう答えるしか、なかった。
 片山はただ静かに微笑む。

「合格。いいよ、何から聞く?」
「……」

 試すような真似をした片山を問い詰めたい気持ちもあったが、まずは問いに答えようと思考をめぐらせた。
 私は冰のことをあまりにも知らない。何から聞きたいか。何から聞きたいのだろう、私は。

「……冰の……目的はなんだ」

 ここからだ。
 片山はゆっくりとベッドに歩み腰かけて、私にその隣を勧めてから、口を開いた。

「ちーちゃんは……人を殺したかった。できるだけ早く、できるだけたくさん。できるだけ、幸せな形で」

 臆面もなく、こちらを見るまでもなく、無垢な表情で前を向いたまま、片山はそう紡いだ。

「何故だ」
「悲しいのが許せなかったんだと思うよ。生きているかぎり人は悲しむから。悲しまないように殺すのが、ずっとちーちゃんの理想だった」
「また過激だな……なんだ、悲しいのが許せないって」
「あなたがわたしを死なせなかったのと、同じじゃないかなあ」

 コンクリートの箱には似合わない、病室を思わせる白のカーテンレールは、この二年間使い込まれて少しばかり古びている。そのかすかな汚れを見つめるようにして片山は言葉を続ける。

「ちーちゃんのプラン。開戦はそのいちばん大きなエイムだったんだよ。できるだけたくさんの人を殺すには、戦争がいちばん手っ取り早い」
「それはまあ、信じるぞ。やりかねない奴だ」
「誠也くんを戦わざるを得ない状況に追い込んだのも、ちーちゃんなんだよ。もっと言えば、ちーちゃんは誠也くんを近いうちに殺すつもり。いいの?」
「……」

 いいの? と問われたことが自分にとってはまず不思議で、私はしばらく黙りこんだ。冰のしたことに対して、いいとか悪いとか、そんな見方をしたことがなかったからだ。一ミリも疑う余地なく従ってきた。しかし、冰のいない今は。

「……よくは、ないな。冰が望んだ死を受け入れないつもりもないが、どこまで生きるかは勝手にしたい」
「あははっ。そっかあ……」

 乾いた笑い声が地下室に飽和した。久々に見る彼女の笑みは柔和で、空虚だった。私は眉を潜めて彼女の顔を覗き込む。なにか、傷つけるようなことでも言っただろうかと。すると彼女はぴたりと笑うのをやめて、こちらをじっと見返してくる。
 会話の流れが止まった。沈黙が流れ、私のなかの不安は増大する、片山の視線は強く底知れない。冰の二の舞は踏みたくない――わかりにくい奴は、隠さなければならない想いがあるからわかりにくいのだ。片山は絶対になにか大きなことを隠している。私はそれを暴かなければならない。

「勘がよくなったね、誠也くん」
「おい、片山、」
「名前で。呼んでくれない?」

 細い手が私の頬に触れる。視線からはもう逃れられない。私の意識は恐怖に落ちる。一呼吸ごとに彼女の存在が大きくなる。だめだ、私は、彼女には敵いそうにない。またなにも問えずに終わってしまう。だめだ、そんなの。

「……ふ、み」

 距離が消えた。
 紡ごうとしたはずの言葉もまた、白く、消えた。


2018年7月28日

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