見上げた空のパラドックス
102 ―side Sora―

「くっ……うぅっ……」

 体内に潜り込んだ金属片の熱さに呻きが漏れる。思ったよりも、――平気だった。
 市場のときよりは、こんなの、よっぽど楽だ。
 速度を落とさず、逃げ出した男に肉薄し、脇腹に刃を沈めた。呪詛の目が存在感を増して吐き気がする。まだ殺してないんだから、そんなに責めるなよ、と思っておく。
 男はしかし、その程度では止まらなかった。即座に自らに刺さったナイフを抜き取ると共に私から奪い去り、血を吹き出しながらも身を翻して私の鳩尾に蹴りを入れる。衝撃。平衡を失い瓦礫に頭を打ち付ける。視界が揺れ、その隙にナイフを胸の真ん中に突き立てられる。

「……っ!」
「So weak while you're as a monster...」
「英語は……わかりませんよ……っ」

 もがく。力を使えない。思ったよりも心が揺れているみたいだった。
 だから無駄話をすることにした。

「はあっ……どうして……久本さんを?」
「Jap solution is most danger for us. Especially that prototype-----or the despicable god」
「だ……から、言葉、聞き取れてるなら、しゃべってくださいよ……!」
「……言うことなど、無い」

 男は黙って片手で銃を抜き、頭上の瓦礫に向かって一発放った。崩れてきたそれが私に降りかかり、彼は早急に離脱していく。引き抜かれるナイフだけは、両手で握りしめ、死守した。ああ、この人は強いんだ。勝てる相手じゃないんだ。でも。私はもう。殺さなきゃ満足できない。
 潰れた身体を押し動かして瓦礫の山から抜け出す。
 彼は久本さんと交戦中のようだった。
 なら、他に生き残りは――だめだ。もう索敵も厳しい。現時点では自分は無力と悟ってその場に座り込む。上着を脱ぎ捨て、シャツと身体を縫い付けている金属片をひとつひとつ引き抜いていく。体内に完全に沈んでしまったものも、位置がわかりやすければ摘出をおこなう。気分の悪さは薬で中和する。――30秒間。それでずいぶん楽になったような気がした。
 力が戻ってくる。即座に生存者を探す。すっかり覚えてしまったヒトの配列は、あちこちにある。けれども、みなが形を失っている。
 よりにもよって彼が最後ということだ。
 それだけ理解すると、頭はすぐ重くなって、視線と不死の矛盾に苛まれて身体ごと崩れそうになる。まだ晶さんを治したときの疲労さえ回復していないのに、無茶をしすぎたらしい。こんな時に、なんて役に立たない身体だろう。

「私は知りませんよ、敵が誰かも……、いままで何があったかも……なにも」

 けれど、殺す理由は十分だ。
 彼に投げられた手榴弾の破片は、リボンを貫き引き裂いていたから。
 よろけつつも立ち上がり、みたび走る。久本さんと目が合う。極度の疲弊により濁った緋い目。敵も味方も、お互いギリギリだ。力が使えるか使えないかの瀬戸際。命が尽きるか尽きないかの瀬戸際に立っている。それでも、彼女はもう臆しなかった。むしろ、なにがおかしいのやら、失笑を溢す余裕すらあった。

「ふふ。おかしい、ですね……千年のインフォームを受けて、泣いていた貴方が……なぜ、またこんな辺境の島国で、諜報部のくせに、殺気立って戦っているんですか……?」
「黙れ」
「データは、バックアップごとデリートしましたよ……? ご覧のとおり、派手に処分、しましたから……」
「関係ない」
「千年は、……死にましたよ」

 敵の動きが鈍る。
 久本さんは、ここぞとばかりに結晶でかたどったハルパーを掲げ――
 私が、その刃を止めた。
 緋の目が見開かれる。

「た、高瀬さ……!?」
「私が殺る」

 振り向きざまにナイフを振るった。男の額を掠め、血液が流れ出す。一歩。踏み込んで、脳天に刃を降り下ろす。頭蓋を叩き割る、嫌な感触とたしかな手応えが伝わり、遅れて、生暖かい液体が噴水のように吹き出し、男はくずおれた。
 ……充足感。無数の呪詛の目。
 視界が霞む。感触のない涙を流す。
 とっくの昔にそんな日は越えたはずなのに、私は無心に、これでもう戻れないなあ、とつぶやいた。

「あの……高瀬さん……、」
「すみません、急に横やりをいれて。殺しちゃいけませんでしたか」
「……いえ」

 赤の彼女が目を背ける。やっぱり、私のことは怖いらしい。最初からそうだ。
 けれど、彼女は以前と違い、きっと目をあげ私をにらんだ。


2018年6月2日

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