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見上げた空のパラドックス
41 ―side Higure―

 人は正気を失うことがある。それはたとえば追い詰められたときだったり、薬や酒の作用とか、頭を打ったとか、そんな理由がなくてもなんとなく、ということはわりあいよくあるんじゃないか。そのときは自覚がないかもしれない。だが後から思い出して自分が信じられなくなるのだ。温厚な自分がかんしゃくを起こしたとか、人を殴った、ひどいことを言った、ああ言えばよかった、とか。
 少なくとも俺にはままあることだ。俺は俺が意図して振る舞うよりも直情的で、融通のきかない人間だから。まだまだ子供で、けっこうアホだ。冷静じゃないし、的確な判断力もない。自分が冷静じゃないことを他人に悟らせないことくらいにしか長けていない。
 俺の片割れはどうだったのか。冷静な奴だったのか。何を思っていま、青空の意識を奪ったのだろうか。他人事のように思いながらグリップを持ち変え、銃口を晶に向けて引き金を引く。
 当たるわけないだろ。それどころか返り討ちにされる。わかっているはずだろ。じゃあなんで、そんなこと。
 全身を不快感が襲った。
 この身体を形作るすべての細胞が発狂したのだとでもいうように。
 デリート。
 意識が飛ぶ。

「……っ!?」

 回復。
 何もかも一瞬で、ゆえに理解したのはすべてが終わってからだった。
 背中側に床。すぐ目前に晶が、仰向けに倒れた俺の肩を押さえている。どういう仕組みなのか、押さえられた先の手はぴくりとも動かない。

「ちょっ……待ってっ……今の何!」
「……質問」
「は?」
「お前の名前は」
「は、え? ……なぜです?」
「答えないなら、解放しない」
「……海間日暮」
「生年月日」
「1996年11月9日」
「所属」
「関東北方軍特別諜報部一課」
「今はいつ」
「2043年8月10日。時刻は知りません。なんですさっきから!」

 晶が手を離した。
 俺は身体が動くかどうかを確かめながら起き上がり、周囲を見回す。景色はさほど変わっていない。殺風景な部屋の隅で青空が寝かされていて、俺がさっき持っていたはずの銃はもう晶の腰にあった。変わったことなどそのくらいだ。
 たぶん、俺は、青空をここから連れ出そうとしたんじゃないか。
 記憶なんて戻らなくていい。俺のことなんか忘れていてもいいから。もう彼女が苦しむことのないように、生き延びてほしい。
 そしてそれに失敗したのだ。
 俺がやるべきことはなんだろう、と思考がめぐる。青空を助けたい。記憶の有無なんかどうだっていい。とにかく、晶のもとにいさせたら駄目だ。でも、俺がかくまえるかどうかと言ったら厳しい。あの状態になりうる青空を、俺一人で鎮められる自信がない。それに――怖い。自分を憎む相手とうまくやっていくなんて。
 最低だ。誰かのために生きるつもりで自分の感情ばかり優先する。

「しらふだな」

 俺の挙動を見て満足したのか、晶がつぶやく。

「……って。今の、なんですか。しらふかどうか確かめなきゃいけないようなことって」
「説明はする。が、その前に、高瀬のそばを離れろ」

 気づくと銃口を向けられていた。
 それでも動かない俺に、晶はかすかに息をついて、淡々と続ける。

「おまえがいるだけで高瀬は傷つくだろう」
「……は」
「高瀬はおまえが大切だ。おまえの意志を尊重したがる。おまえが高瀬に生きろと言えば、高瀬は従うかもしれない。だが、それであの死にたがりが報われることはないぞ。一生、死人に憧れて、心から楽しむこともなくなるだけだ。おまえがやっているのは、ただのエゴだよ」
「……」
「高瀬は私が救う。出ていけ」

 徐々に記憶を取り戻して、徐々に狂っていく彼女を、ずっと目の当たりにしてきた彼が、告げた。
 その言葉がいちばん――重かった。
 俺は銃口に導かれるまま退室し、玄関まで押し戻される。その間、一言も言葉は出てこなかった。彼女の呪詛がまだ頭に響いている。ころして。一言だけのそれがなぜここまで俺を揺るがすのだろう。きつい訓練にも黙って耐えてここまで来たのは、高瀬を生かしたいがためだった。その覚悟は何があろうと絶対に揺るがないと思っていたのに。
 くそ。死にてえ。
 もちろん比喩だ。
 本当に死を望む者の気持ちなんかわかりっこない。
 晶が口を開く。

「相方、貰ったぞ」
「……え?」

 晶の言葉はいちいちが重い。必要以上のことは口にしないからか。言い換えれば、ワンクッション置かずに喋るから、俺は理解に苦しむ。

「……本当にわかっていなかったのか。このためにここに来たんだろう、おまえは」
「えっ、待って、説明お願いします」
「…………」

 完全に呆れられた。

「おまえの、第二の能力“だったもの”。さっき私が貰った、と言っている。おまえの意識はもう単体だから、混同することもない」
「……」
「……疑うようなら試しても構わないぞ」

 晶が玄関を押し開け、俺の首根っこを掴んで野外に引きずり出す。
 まだまだ早朝の寧連町郊外には、人の気配など皆無だ。四角いこの建物の外装から二階を覗き込んでも、そこに何があるかは誰もわからない。隠れ家としては最高の立地と構造。その面前にふたり立って、晶はそのまま俺の服を掴み直して地面を蹴った。
 慣れた浮遊感が、全身に。
 見上げていた四角い建物は、見る間に下方へ。小さくなる。
 俺は驚きのまま、上空で、晶の顔を仰ぐ。

「あなた、たしか、無能力なんじゃ」

 着地する。
 もう力を持たない俺にはちょっとつらい衝撃が、足元から頭を揺らした。

「あぁ。昔は」
「……え、普通の人が“他者を取り込んだ”ら、脳への負担がどうとかで、少なくとも三年以内に死ぬ、って」
「知っている。それを計算したのは私だ」
「だったらなんで!」
「三年もあれば、充分だからだ」

 有無を言わせなかった。
 俺はとうとう絶望する。
 彼には勝てないと思ってしまったのだ。この先、どれだけの年月を過ごそうと、彼よりも俺が強く在られることはきっとない、と。青空を救う術にしても、生きてゆく姿勢にしても。俺は完敗を認めたのだ。
 ただ強がりたかっただけだった。見栄と意地を張っただけの、薄っぺらい生き方をしていた。たまたま、ちょっと好きになった女の子を、都合よく自分の行動の建前に利用しただけだった。恋に生きるという見栄を張るための道具にしていた。それに気づかされたのだ。
 彼は違う。明確な目的と意志を持って、そのために生きているのだ。もしかしたら、本当に、彼女を救ってくれるのかもしれない。
 それなら俺は――
 俺の意志とはなんだ――
 ちらりと、二階の塞がれた窓に目をやった。

(ごめん、青空)


2018年2月8日

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