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見上げた空のパラドックス
39 ―side Higure―

「やっと出てきたな……」

 スコープを構えながら、俺は口のなかでつぶやいた。一度、レンズから目を外して、そこにあった光景を手元の紙面に記録する。再びレンズを覗き込む。もうまるまる三日はこんなことを繰り返している。
 久本晶の居場所を掴んだ。掴んだというより、わかっていた。彼が俺を撃ったときにでも情報を仕込んだのだと思うが、ずっと探し回っていた事柄をふと気づいたら知っていたこの感覚はなにやら気味が悪い。
 寧連町某所。ここ最近やけに気温の高い、早朝、朝焼けの中。レンズ越しに、小綺麗な四角い建物が延々と代わり映えなく見える薄暗い潜伏場所で、俺は汗を垂らしていた。
 久本晶を三日間観察してわかったことと言えば――、彼が早朝の短い間にしか出歩かないこと、たったそれだけだ。話でもできれば進展するが、きっとそれも難しい。あいつは基本的に引きこもりだ。俺のような観察しに来たやつらに情報を渡さないこと、それに細心の注意を払っているようにも見える。晶の生活はほとんどわからない。日出直後に家を出て、町の中心へ行ってその日の食料を調達し帰る。いま俺が把握できる奴の行動はそれしかないのだから。

(……そろそろ覚悟しよう)

 三日もまったく同じ生活習慣を見せられたので、ここからまだ待ってなにかわかるとは思えない。
 俺はいそいそと荷物をまとめ、彼がいつも向かう店へと歩き出した。とにかく接触しなければどうしようもないと思ったのだ。
 かくして商店の並ぶ区画。髪や表情を帽子で隠した晶は、俺の視界の先である一件の戸を叩いた。戸が開き、短いやり取りがあり、玄関先で食料の売買が済ませられる。今時の商店というのはみんなあんな感じだ。すいません、買わせてください、とこちらが言いに行かない限り店は開かない。それも人口が少なく、いちいち店番なんてやっていても暇になってしまうからである。ただしその代わり、いつ訪ねても対応するサービス精神が店には求められる。夜中に来た客だって対応し損ねれば大きな打撃になるのだ。
 晶は今日のぶんの食料を布袋にぶら下げて道を引き返す――かと思えば、すぐに足を止めた。朝焼けの色味が緩んで、うすい水色を背負って、彼はこちら側に振り向く。

「……用があって来たんだろう。見張り屋」

 俺のことだ、とすぐにわかって、俺は路地裏から歩み出た。日陰を出たので、暑さが首筋ににじり寄る。薄いシャツ一枚でも汗ばむくらいだから、旧い季節感を当てはめると初夏というくらいの気候だ。晶も薄着で、だから武装を隠してもいなかった。俺は暑さと緊張、両方の意味で汗をかく。
 まっすぐ対峙した。
 彼はただ黙って俺を見ている。動く気配もなく、こちらの出方をうかがっているようにも見える。その態度には余裕がある。俺が何をしても安全だという自信が。

「……あなたにお聞きしたいことがあります。久本晶」

 こういうときほどはっきり話せる。昔からの癖だ。

「私に答えられることなら」
「金桐町の事件は、あなたの仕業ですか」
「あぁ。そうだ」

 即答。
 “これが嘘である”可能性も含めて考えなくてはならない。

「何故。なんのために?」
「対策案研究を進めさせるわけにはいかなかったから。英の支援なんて受けさせたら、結論に辿り着くまでは一瞬だろう」
「英の支援……?」
「それもわからないのに尋ねたのか?」

 呆れた口調。だが口先だけだ。そこにはなんら感情がこもっていない。彼は昔からそうだったと、現在の特諜で唯一彼の過去を知る冰が言っていた。あいつは、何を考えているかわからない、そういう口ぶりで喋って相手を混乱させるのが得意なのさ。だからその挑発に乗っちゃいけない。
 帽子のつばに隠れた目を覗き込むには、俺は少し背が高すぎる。だったら気にかけるべきは彼の全身の態度だ。落ち着け、俺は得意なはずだ。相手の機嫌を読むのは。

「……お前が私のところに寄越された理由、わかっているのか。海間日暮一等兵」
「っ……」

 名を呼ばれ、わずかに動揺した。具体的には、まばたきの間隔が少しだけ長くなった程度だ。彼ほど聡いと気づいてしまうか、どうか。
 なぜ。どこから情報が。彼が特諜の動きを探るようなことは、記録から見るに今までになかったはずだが。
 彼が、ふいに帽子を外した。目に鮮やかなコバルトブルーが東からの熱い日差しを受けて煌めく。長い青の髪を後ろでまとめている。同じ色の目付きはやわらかい。その顔はなるほど姉にそっくりで、いちど彼女と会ったことのある俺は一瞬だけ見まごいそうになる。

「外は暑い。うちで話そう」
「は……」
「運が良ければ、高瀬に会わせてやる」

 彼がささやくように言った、その言葉で、俺は納得してしまった。
 ――踊らされている。冰千年に。
 久本晶がグルなのか、手駒なのか、取引をしているのか。それはわからないが、冰の手中にあった青空を晶が持っているということは、何かしらの繋がりはあるはずだ。俺は、それをまったく知らされていなかった。青空の身に何があったのか、それは知らせたくせに、これから何があるのかはまったく知らされていなかった。ただ一つ言えることと言えば、冰の手によって、俺はこの任務に配置されていたということだ。高瀬青空を伴った久本晶との接触が想定されるこの任務に。
 何がしたいんだ、あの人は。
 俺は憤りさえ覚えた。
 青空のこと――知っているなら、教えて欲しい。教えられないなら、それを貫いて欲しい。中途半端に情報を開示していくのはいったい何故だ。そもそも、あの人は青空に何をしようと言うのだろう。不老不死の少女を市場から救い上げ、久本晶へ売り飛ばして、どうするつもりなのだろう。
 個人的な感情が先行した。俺が晶に黙ってついて言った理由はそれに尽きる。青空の状況を知らなければと思った。敵地の罠の真ん中に飛び込む行為だとしてもかまわなかった。
 そして、俺はまんまと後悔をしたのだ。


2018年2月5日

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