見上げた空のパラドックス
23 ―side Higure―
日の出と共に目覚めるのは、独り暮らしのはじまった小学生のころからずっと習慣づいている。
俺が町に戻り、家に辿り着いたのはちょうど24時間前だ。明け方なのでさいわいひと気はほぼなく、懸念していた臭いのことも服に刻まれた弾痕のことも、誰にも見つかることはなかった。家に着くまでは粘ったが、なにをする力も残っておらず、玄関にそのまま倒れ込んだのだ。意識が戻ったのがいま。いつもと同じ、日の出の時刻だった。
「……痛ぇ」
つい呟くも、痛いわけがない。
重い身体を起こしかけて、やはり重すぎて力尽きる。身体を動かす度に、自らの肉体のどこに弾丸が眠っているか、はっきりとわかる。気持ちが悪い、と表すしかない感覚に、のたうち回ることもかなわない。
存在が矛盾しているとそうなるみたいだねと、車内で冰が語っていた。君たちは体内組織に何があっても体積が変わらないし傷跡もできない。それなのに弾丸はたしかにそこにあるわけで、その体積ぶんの“矛盾”に比例して気持ち悪さは増すらしい。普通なら、存在に矛盾が生じた場合、病気になるか死ぬかなんだが、君たちはそれもできないから、と。なぜそんなに詳しい、と問うと、感知系だからさ、という答えが返ってきた。
そんなわかりにくい理屈はいい。
で、俺は放置ですか。どうしろって?
そっちのほうが数段大事だ。
「くっそ、摘出……っ」
自分でやれってか。
狂気じみている。
「やるしかないけどさあ!」
中途半端に親切な冰はこうも語った。「ブツさえ出せたら、他のことは気にしなくても治るぶん、楽ではあったよ」。
倒れていた玄関から、気合いで這ってリビングへ。青空はこんなのに耐えていたんだ、と自分に言い聞かせて動く。こういうのは余計に動かないほうが楽なんですよ、と彼女が言ったのはつまりそういうことだろう。動けば痛みのない身体が痛むから。
一応、仲間が撃たれた際の緊急措置として弾丸の摘出に関しては教わっているが、まさか自分で自分に刃を突き立てなければならないとは思わなかった。これは孤独な任務だし、特に俺は、不死身を人に知られてはいけないわけで、こういうときに頼れる者がいない。
リビングの棚の下段に鎮座する金庫を解錠し、武器弾薬を漁る。普通の人なら必要な様々が俺には必要ない。使うのはナイフとピンセットのみだ。
痛くないのが幸いなのか災厄なのか。
わかりたくもないが、あんがい楽だったと言ってしまえばそれまでだ。すでに全身が矛盾の塊だからか、これ以上矛盾が増えようと大きな違いはない。冰がほとんど同じ場所に集中して撃ち込んでくれたおかげもあった。自分の腹にナイフとピンセットを突っ込んで弾丸を引き出すだけの作業は数分で終わってしまう。精神的には疲弊したが、それだけで済んだのだから苦しんでいたのが嘘のようだ。
「……はあ……俺、化け物だなあ〜……」
いい加減に鼻が慣れてしまったが、さすがにそろそろやばいだろうとひとっ風呂して、使い物にならなくなった服を着替え、ぼろ布は洗って仕舞っておく。部屋にまでいやな臭いがこびりついていたので、できる限りの掃除と換気をして、それでようやく一息つく。
金桐町の事件からこのかた、さんざんな目にあった。生きた心地のしない数日間だった。特に冰には撃ってしまった謝罪と撃たれた文句を聞かせなければなるまい。青空にも改めて謝罪だ。知らなかったとは言え、こんな目に遇ったことを思い出させてしまったのは申し訳ない。
「さて」
青空がファリアにいることは確認したが、取引待ちをしていたということはまた見失う可能性が高い。しかし、まあ、この世界のこの日本の北関東にいると思えばどうということはなさそうだ。いまや東京と他の地域の人口比は七三だ。東京で見失ったら大事だが、他の町は大きくても人口千人がいいところ。町の数も少ない。本気で探そうと思えば余裕は有り余る。
問題は、青空がどこにいるかよりも、青空が冰のもとにあったことだ。冰千年がなにを企んでいるかは知る由もないが、彼がわざわざ市場から拾ってきたとなれば巻き込まれたと考えていい。
弱ったなあ、と。
手持ち無沙汰に窓からの湿った風にあたりながら考える。
あちら側のことには極力関わりたくない。どうも人死にのにおいがぷんぷんするからだ。
俺がこうして巻き込まれると読んでいたからこそ、彼があの“問題提起”を俺にしてきたのか、とさえ思えてくるから末恐ろしい。
殺しが正当防衛に値するか否か。理由のある殺人は正義か悪か。そんなこと、疑うどころか考えたこともなかった。迷いなく悪だ禁忌だと答える俺は間違っていないはずだ。少なくとも、俺の尺度では。
だが、正直言って自信は揺らいでいる。俺はいまや俺の意思を信じることができない身の上だ。
殺すべき時が来てもなお、殺さずにいられるのか?
その問いに、俺はほとんど“ノー”と答えてしまっているのだ。冰に銃を向け引き金を引いた、あの瞬間に。殺さずに済んだのは俺の意思が弾道を修正したからなのか冰が避けたからなのか。たぶん、それも後者だ。
いまになって震えた。
俺はあと少しで禁忌をおかすところだった。人を殺してはいけない。種の存続を欲すべき生物が同胞を殺すなんてあってはならない。
その時が、来るかもしれない。その時が来なくても、答えは出さなくてはならない。
(もし、万が一、罪と彼女を天秤にかけられたら、俺はどうする)
和やかな、晴れた朝だ。空気は湿っているから、夜に雨が降ったのかもしれない。それも止んだ輝かしい朝だ。俺はその空模様を睨んで震えている。さっきまで自分の体内にあった弾丸が、束になって机上に置かれて、窓からの光を映して輝いている。
「なんで巻き込んだんです、准尉……」
わかってはいた。俺たちみたいな化け物を、野放しにしておく人ではない。特に青空は東京大火災を起こした張本人だ。そんな逸材、使いたいのはこの世界の誰だってそうだろう。
――青空を救えるか? 倫理を捨てずに。
その時になってみなければわからないし、わからないままではいられない。
俺は、机上の弾丸を袋に集めて、ゴミ箱に詰めた。
2018年1月6日
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