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見上げた空のパラドックス
16 ―side Chitose―

 僕は、早急に部屋に戻って待機するよう圭に厳命してから、彼女の捕らえた男どもを牢まで引き摺っていった。圭を追っ払ったのは、むろん彼女が寒空のもとで雨に濡れていたから早く着替えろという意味だ。女の子は大切にする……本音ではそちらの理由が大きいのだが、それだと呆れられてしまうので、彼女には僕のすることをひとに見られたくないのだという理由を挙げておいた。口止めをしてくるから。そう言うと彼女は嫌そうな顔で軽い敬礼をした。
 五人。どれも白人だが、それとはまた別に白くなった顔に青やら赤やらの痣をつけて、気を失っている。目覚めを待つまでもない。僕は彼らのうち一人――日本語のできる奴で、隊長だ――の頭に手を触れる。
 男が目を見開いて痙攣を起こした。声にならない息の塊が喉をひゅうっと通り抜け、唇が震えあえぐ。目の焦点はたっぷり五秒はかけて僕に合わせられ、即座に恐怖を点す。奥歯の震えを噛み締めて押さえる姿は屈強な体躯に似合わず情けない。

「……who are you」
「ファリアの副代表さ」
「Falia...I know……貴方は私達の仲間だったはずだ。なぜ、拘束した」
「仲間? そんな認識なのか?」
「……建前上だ。みな、不気味な集団だと思っている」

 顔を痛め、喋りにくそうにしながら、男は言った。依然として視線が僕の姿のあちこちをぐらぐらさまよっている。隠しきれない動揺と恐怖が、色とりどりの傷跡をさらに痛ましく見せている。

「なにがあやしい?」
「資金源。ファリアの市場進出は他の機関に比べて少ない。普通に考えれば破綻すべく貧しいはずだ。しかし、医師を含めた若者数十名を抱えてなお困っていない」

 しらじらしい問いに、僕は少し笑った。

「君らのインテリジェンスはずいぶん人員への情報開示が少ないんだなあ」
「どういう意味だ」
「知らないなら言うことはないよ。なぜ拘束したか、だったな。君らに何があったか、聞きたかったからだ」

 男は白い顔を悲壮にゆがめて奥歯をぎりぎり言わせた。僕はその挙動をいささかも見逃すまいと視線をあてがい続ける。この視線が、じょじょに彼を追い詰めてゆく行程をながめている。

「……わからない。薬が何者かに盗まれたのだ。突然、車がはじけ飛んだ。それから次々に仲間の身体が弾けた。私達はほとんど丸腰で逃げるしかなかった。その何者かが、金桐町に薬をばらまいてしまった」

 網膜に彼の語る光景がまざまざと浮かぶ。気分が悪くなるにはエンタメ的すぎる軽快なスプラッタ。僕は、聞きたいのはそれじゃない、とかぶりを振る。そんなことはとうに知っていたからだ。

「そもそも来た目的はなんだ? そんなヤバめの精神調整薬をわんさか持って」
「祖国では倫理がうるさい。ああいう薬を試す場所がない。できるだけ派手に実験が可能で、法律も政府も機能していない場所が必要だった」
「おいおい、日本は遠い島国だぞ? お望み通りの国なら陸続きの近場にいくらでもある」
「ついでにやることがあったのだ」
「言ってみろ」
「……ジャップインテリジェンスとの接触と、とある交渉だ」
「へえ――つまり、現地で実験した化学兵器が使えそうだったら、君らの言うところのジャップインテリジェンスに持っていって、ばら蒔こう、って算段だったわけか」
「それは違う!」
「どうだか。せいぜい脅しには使うつもりだった。君らの“とある交渉”ってのは、脅しがなきゃ成立しないような代物だった。違うか?」

 男が興奮してきたので、再び手を伸ばすと、すぐにまた落ち着いた恐怖を持って震えだした。
 先程から何をしているのか、といった問いには、素直にインフォームとだけ答えよう。インフォームこそが世界最大の暴力である。それを得意とする僕は、おそらく暴力のために生まれてきたようなものなのだ。だから平気で情報という名の拳を振るう。この拳は言葉では表せない印象の塊だ。彼はそれにうちひしがれて涙さえ溜めていた。矮小な僕はそれを見て悦に入る。僕の中にくすぶる記憶を他者につなぐという行為によって、わずかに孤独がやわらぐから。

「だったら、なんだ……」
「困るんだよなあ。勝手なことをされると。僕らの戦場に割り込まないでくれ。最大のライバル国と対策案の合作だって? 冗談じゃない」

 男の顔に驚愕が彩られる。たかが小規模レジスタンスの人員ながら、軽々しく機密を口にした僕への驚愕だ。しかも、まだどの日本人にも知らされていないだろう彼らの目的と共に。

「……貴方は、だれだ。なぜそれを知っている」
「知りたいか?」

 笑みを漏らした。
 僕は、昔からこうなのだ。あるいは、殺してやらないぶん、昔よりたちが悪いのか。

「……知れば、どうなる。私は殺されるのか?」
「どうもない。無事で国に返してやる。ただし特諜に手は出させない。出すようなら壊滅を覚悟しろ」
「……安心してほしい。もう任務は失敗したのだ。私達は、解放してくれるのなら、ただちに尾を巻いて帰る」

 真実のみが語られていた。僕を騙そうとせず従順な振る舞いを見せた彼らは賢明だ。もちろん、事前に加えた暴力から生まれた恐怖がその判断の根元なのだろうが。それにしても、こんなにも聡いとは、さすがはエリート・インテリジェンスだ。
 僕はいつになくにこやかに、もう一度、知りたいかと問うた。男はしばらく迷って、うなづいた。一歩、嬉々として踏み込み、僕は冷たい床にぺたりと手をつく。すると、刹那、気絶していたはずの四人までもが起き出し、みな同様に泣き出した。屈強な白人男が揃いも揃って涙を流すのだ。異様な光景だが、僕はこれが大好きだった。
 泣けよ、僕が失ったぶんまで。
 踵を返す。グッバイ、ズィロット。貴方に神のご加護があらんことを祈ろう。呟き、足を踏み出すと、待てと呼び掛けがあって振り返る。

「What a despicable god you are! Kill me! Please! Kill me!」
「Sorry. I regret to do nothing. This is military command」

 悪いね。殺してやれなくて。なんせ命令でね。
 両手足を縛られ、全身に打撲傷をこしらえ、心を傷だらけにされた男どもの嗚咽が、暗い牢のなかに木霊する。心満たされた僕は穏やかに微笑みながら牢を出、扉を閉めた。その足で、圭のいるだろう宿舎へ急く。


2017年12月17日

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