[携帯モード] [URL送信]

見上げた空のパラドックス
6 ―side Kei―

 オーバーワークによってか車内で気絶した高瀬さんを背負い歩く。一応、パートナーは私なので、彼女の荷物整理は私がやらなくてはならない。もちろん彼女にはもう所有物など許されないから、使えそうなら私がいただくか、捨てるかというだけの作業だ。それを手早く済ませてもなお高瀬さんは目を覚まさなかった。
 人員の異能が発覚すれば組織からは自動的に脱退となり、買い手をこしらえるまでは危険物として保管庫に閉じ込めておかなければならない。通例ではあるけれど、意識のないままの彼女に鎖をくくる気分の悪さは言い知れないものがある。なにしろ仮にも彼女は命懸けでわたしたちを助けたというのに。
 息をつく。簡易的な牢を出、立て付けの悪い扉をぎしぎし開いたとき、その音でようやく彼女が目を覚ました。

「あ、れ、久本さん?」

 無垢な目が私を射抜く。私は縮こまって目を背ける。

「……すみません。取引が、済むまでは……ここに、いてもらいます」
「そうですか」

 彼女の返事は素っ気なく、何ら感情を含んでもいなかった。慣れていると言ったのは本当なのだろう。あの性格で、さらに不死の身体では、どこへ行っても永続きせず、ひっきりなしに売られ続けるしかない。いつものことだと言うような諦念と覚悟がある。彼女自身がその生き方を貫いているのだ。しかし彼女はこうも続けた。

「久本さん、ひとつだけいいですか」
「はい?」
「リボン。あれだけは、手放したくないんです」

 はじめて彼女の青い目が揺れる。

「……私の権限では、無理です」
「……」
「だから……掛け合うだけ、ですよ」
「ありがとう」

 彼女が微笑んだのを見て、私は黙って踵を返した。牢の扉が閉まり、またぎしぎしと耳障りな音を立てる。暗く湿ったところに長くいたくはない。私はそそくさと宿舎に帰るべく足を急かした。
 しかし、その宿舎前で私はふと立ち止まる。視線を感じたからだった。強い敵意を含んでいるかあるいは観察者の目だ。支配する側の人間の傲慢をチリチリと感じ、私は動かぬことにする。これはもう癖のようなものでもある。この類の視線を受けたらむやみに動いてはいけない。相手は強大であることが多い。敵いやしない。ひたすら守りに入りやり過ごすのがもっとも賢いやりかただろう。
 視線の主はたっぷり数分は姿を現さなかった。しばらくの沈黙の応酬を終え、敵はようやく押し負けてくれる。暗い宿舎の影から、足音もなく人影があらわれる。

「やあ、“プロトタイプ”」

 少年の気さくな声が不穏な言葉を携えて耳を打つ。
 背が高い、現在の日本では珍しい、純血の日本人らしい黒髪と茶色の目。隙のない立ち姿に、腰には申し訳程度の拳銃が二丁ある。味方ではないことは明らかで、こちらも佇まいを正した。

「……それ、私のことですか……?」
「うん。君、久本圭だよな。珍しい武器を使うっていう」

 飄々としていた。軽い口調で話してはいた。けれどもその裏には明らかに何か違うよくないものを滲ませている。いや、おそらく彼は、なんらかを知り、そのうえで私を値踏みしている。自身が会話において優勢であると信じきっているのだ。

「そうです、けど……あなたは……、冰千年さん、でしたか」
「へえ、覚えてたんだ。さすがスパイってとこか」
「……はい? どうして、私が、スパイなんですか」

 すっとんきょうに理解不能の姿勢を見せたあと、露骨に嫌そうな顔をしてみる。きっとこういうときはそうするのが自然だろうから。とはいえ私の中で冰千年への警戒度は瞬時に跳ね上がった。冰は、そんな私に、掴み所のない曖昧な笑みを返す。

「君さ、次の任務からは僕と組むらしいよ。よかったなあ、監視がついただけで済んで」

 ……はぁ!?
 一拍遅れて、内心のみで仰天した。
 Α員である彼と組むということはつまり、実際上、それは私の昇格を意味する。銃器の扱いができない私のΑへの移籍など、如何なる理由がつこうと紛れもなく特例であり驚くべきことだった。なんでしょう、目立たない兵士でいたかったはずが、なんだ、この異質さは? それでも疑いがかかった時点で即時処刑といった事態にならないのは、灰野が私を多少は有用だと見てくれているということか。喜んで良いのか非常に微妙です。

「なにか、すごく……勘違いをされたみたいですね」
「ふうん、しら切るんだ。あ、君こそ勘違いするなよ。僕は君がスパイだろうが別にどうでもいいし、灰野に言われて煽ってるだけ。逆恨みとかは勘弁だから。恨むなら灰野を恨めよ」
「……あまり……そういうことは、言わないほうが、いいのでは?」

 上官に対してなんたる度胸だろう。最優秀で万能とされるΑだからですか。それならば私はやっぱりΓが適切だと思うのに。

「いいんだ、聞かれてないし。ほら、行こう」

 ぐいぐい背中を押される。
 戸惑い、両肩が強張った。

「え、ど、どこへ……?」
「君、実は銃撃てるでしょ。でもここ数ヵ月も撃ってない。ハルパーがあるからって鈍らせるよなあ。僕はそういうの許さないから」
「ええっ? ……あの、いきなりなにを根拠に?」
「根拠〜? 強いて言うならその腰のデリンジャーかな。まあ、なんだっていいでしょ。まさかΓが僕に逆らったりしないでしょ。撃ってもらうから」

 ちょっと。別にΑがΓより身分的に上官ということではないんですけど。確かに戦場での使い勝手でランク分けされているのだから立場に差が生じるのは仕方がないけれども断じてそれでΓの私に銃を扱わせる理屈にはならないはず……! と、いうか、デリンジャーに関してはただの保険か念のためであってまず抜くことはないのに。
 いや、撃てます。もちろん撃てるのだけど、私にはあの鎌剣へのこだわりやら愛着というのがありまして。火器で戦場へ出たらあの子の出番がなくなってしまうから嫌なんです。いやいやそれよりも、下手なふりをするにはかなり気を使うから、なるべくはよしていただきたいのに。
 しかし、強引さに弱い私のこと。結局勢いのまま、人気の少ない夜の訓練場へ連れ込まれてしまった。


2017年2月8日 5月7日

▲  ▼
[戻る]