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見上げた空のパラドックス
5 ―side Chitose―

 寧連町某所。
 海間を組織へ送り届けたエンジンが冷めないうちにまた回し、ひとりで車をかっ飛ばした僕は、おかざりの銃を背にして歩を進めていた。
 この町は我らが属するファリアと同じ軍事派閥、つまり殲滅派が巣食っているから、なかなか治安が悪い。国軍の納める町は長閑とは言えずとも比較的おだやかな生活が約束されるのだが、こちらはそうもいくまい。道には崩れたままの瓦礫が放置され、穴の空いた建物が少なくとも視界に一つか二つは入る。そんな場所だった。
 くだらない争いの跡に辟易しつつ進む。

(……こっちだな)

 ようは勘だ。勘、というものに似ている。
 五感はただ単に光や音を認識しているわけでもない。脳は、五感すべてから得た情報を総合的に処理し、単に見ただけではわかり得ない高度な認識をとりなしている。それらが俗にいう第六感だとか直感だとか、そんなようなものなのだ。そして僕の場合は知覚がもう一つあるから、“勘”はより確実性を伴うものとなる。
 勘に従って行くと、珍しく血痕のない、二階建ての四角い建物にたどり着いた。旧い概念を使えば、家というよりは事務所といった体。
 見たところかなり厳重な玄関扉を、数回ノックする。当然、誰が出てくるわけもない。警戒はいいことだ。

「見ているか……?」

 窓を探した。窓枠らしきものはあれど、すべてがなにか板で塞がれている。しかしまあどこかから見てはいるはずなのだ。訪問者の顔も知れない警備システムなど無能以外の何者でもない。
 だから信じて声を張った。

「久本晶! いるよな、僕は冰千年という。敵対はしない。少し話をさせてくれないか!」

 おっと。返答は銃弾だった。
 うん、僕としては別に構わない。これとて対話だ。彼がどこに潜んでいるかもわかったし、僕を相応に警戒しているらしいのもまた明らかだ。
 銃を抜いてぴったりと見えない彼の頭を狙った。敵対とはまた違う。ごあいさつ程度のものだ。ためらいなく、引き金を引いた。かすったようだ。

「安心してよ、ゴム弾だから。痣にはなるかもしれないが」

 銃身を下げ、言った。幼い頃に殺しを禁じられてもうずいぶん経つ。こんなものでも、当たり所を調整すれば人の意識くらいは奪えるし、脅しには十分だというのは、よく知っているのだ。
 撃ち返してきた。そっちは実弾なんだから手加減してほしいものだ。彼の撃つ意思が見えていてさえも回避はぎりぎりで、彼の腕もやはり相当だと見る。彼から見れば僕は化け物だろう。このぶんなら彼が外すことなどほとんど有り得ない。

「僕を殺したら惜しいよ? 君はもうわかっているはずだ」

 言うと、射撃が静止する。ごとりと窓ひとつから音がして、鉄板が外される。
 青い。
 顔を出した彼は、透き通るようでいて深い海のような、目に痛いほどの強い青さをたたえていた。“姉”が持つ柔らかな赤みとは正反対と言っていいだろうその色に、一瞬、目を奪われる。不覚にも、美しかったのだ。

「You're S?」

 感知系か、と開口一番問われる。さすがに敵対的だ。だからこそ、僕は意地になって母語で喋り続ける。

「そう言う君は珍しく無能力なんだってね」
「What are you getting at?」
「“会ったか?”」
「……whom?」
「ふうん、会ってはいない、と」
「……」

 いい加減、銃口を下ろしていただきたいものだが、彼はいっこうに警戒を解こうとはしない。もう一押し、情報を与えれば、さすがの彼も食い付くだろうか。

「君は金桐町で圭を殺しかけた」

 銃口が、わずかにぶれる。だがそれだけで、彼は僕のこの発言を完全に無視して話を進めようとする。

「……your affiliation is what」
「関東北方軍特別諜報部一課。それからファリア第一戦闘隊Αだ。ああ、大丈夫、いま特諜でターゲットにされてるのは君じゃない。まあ君の捜索にも一人は置かれているが僕は違う」
「Why do you contact me?」
「さっき言ったとおり圭のことだ。……明日からしばらく雨だなあ、晶?」

 淡々としていた態度が、少しずつ焦りを滲ませるのが手に取るようにわかった。彼はどうあれこれを看過はできないだろう。僕は的確に彼の弱味につけこんだのだ。今こうしていても見えてしまう彼の秘め事の数々は、確かに揺らぎを隠せずにいた。
 銃口が、下ろされる。いつ撃たれてもと逃げ腰だった僕はあらため向き直る。

「よし、聞く気は出てきたな? じゃあ手短に話すよ」

 悲しいことだが、あらゆる人を踊らせることが僕にはできてしまう。ならば、誰もが望むかたちを演じてみせよう。あまねく僕がそうであったように。誰もが望む幸福のための道化師を演じて、演じきって、それでなお絶対に避けられない虚無を、みんな思い知ればいい。どうせ何にもなれはしないのだから、あがく一時くらいは好きなようにやってみてもいいじゃないかって、ああ、それすら報われはしないのに。僕が人間として生まれてしまった以上は、自らの欲に従ってしか生きられないのは、もう仕方がないから。
 この手はいつもあまりに軽々しく人を集わせ、殺め、救う。
 それに近いことをこの目なしでやってのける彼は紛れもなく天才で、僕の同志であるはずだった。たとえその裏にある彼の狂いがどれほど並外れていようが、それがありありと見えてしまっていようが、僕には、関係の無い話だから。

「圭を助ける。君にはできないだろうからね。情報は提供する。その代わり、僕に協力してほしい」



2017年2月20日 5月2日 11月15日

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